結婚してから最初の、4年前のお正月のことです。

夫婦で滋賀の私の実家へ帰ることにして、元日夕方に到着したら、先に東京から帰省していた妹が、母と夕飯の支度をして待ってくれていました。

手伝おうとしたら『いいよ、座っておいて』と2人から言われ、台所に入ることを拒まれたように感じて、有り難くお客さん気分を味わいました。


翌日は夫婦だけで湖東の観光地まで出掛けて、夜に帰宅したら、またもご飯が自動的に、食卓へ並べてられていました。

(この日も朝から台所へ入る度に、母達からは『いいよ いいよ』と、本当に!言われていたんですよ。)

そうして家事にいっさい関与せず、3日目を迎え、お昼ご飯を食べ終えて、帰り支度を整えてリビングで寛いでいたところ、お皿洗いをしていた妹がいきなり『少しは手伝えよ!私ばっかりやってるやん!!』と、怒鳴り声を上げて、不満をぶち撒けたあげく、2階の自室に籠もったのです。(いきなりの事態に、旦那さんも閉口していました)


追いかけて妹の部屋へ入り、ひとまずは謝罪を挟むことに。

『気付かなくてごめん。でも、手伝ってほしいと一言も言わずに、察せなかったことをそこまで責める?勝手にガマンして、いきなり怒りだして、彼も驚いてたじゃない』

私にも落ち度があることは分かりつつも、彼の前で怒鳴ったことに対しては、腹立たしさを感じていました。

妹は布団に身を包みながら私を睨みつけてきて、全面的に悪いのはそっちだという態度で『社会なら察し取って当然じゃん』ということを主張してくるのです。


“妹は東京で少しもはみ出したりしないように、神経を尖らせながら踏ん張っているのだろうか····”

社会での正解を家庭へ持ち込もうとする姿に、それをはめ込みたくなる程に、私達の家庭には何も育まれていなかったのだろうか、もしくは、家庭内にあるものが気に入らないから、新しい観念で払拭したいのかなぁと、物悲しくなりました。


こちらだって感情を抑えて歩み寄っているのだから、向こうにも同じ態度を望んだけれど、話は平行線のまま、妹が一歩も譲るつもりが無いことが読み取れたので、話し合いを諦めて1階へ下りたあと、次は母と諍い合いになりました。


母からも『怒鳴るのは どうかと思うけど、あんたも気を利かせて動かなあかん。旦那さんの実家に行った時もそうやで』と、言われて

『気が利かなくてごめん、狭い台所に3人居ないほうがいいのかなと思って、言葉を額面通りに受け取ってしまった。でも、どうして頼んだり伝えることをすっ飛ばして、私ばかりを責めるの?すべて私が悪いの?私達、家族だよね?建前が前提の関係なの?』と、訴えました。

それから『3人(母妹私)揃うと、いつも揉め事が起こる。こんなことになるのなら、妹が帰省する時は、私は寄り付かないようにする』と、ヤケっぱちではなく、最善に思える提案を口にしました。


すると母が『そんな!たった2人しか居ない姉妹じゃん!私が死んだ後どうするの!?』と言うものだから

『そんな いつかの話をしないで!それよりもどうして、いま目の前にある私の気持ちを見てくれないの!?』と叫びながら、“そうだった。私は母のこういう部分が嫌でたまらないんだった”と、嫌悪感が一気に込み上げてくるのが分かりました。


母のスタンスは、こうです。

【辛い気持ちは感じないようにして、平気な振りをしてその場を凌いだら、何も起きなかったことに出来る。他人から酷いことをされても耐え忍んで、放っておきなさい】

本当は言い返したり、向き合う勇気が無いだけの癖に!

その信念が、どれだけ娘を苦しめたか分かってるの?それを貫き続けて数十年が経って、見てみなよ。いま私達は、バラバラじゃないか。


情けなさを感じて実家を後にして、駅の待合室で、旦那さんへ醜態を晒したことを謝りました。

『正直に言うと、妹さんの怒号はびっくりした。でも僕らも、少しは手伝わなきゃいけなかったんだよ』と言う彼に対して“違うよ、妹が怒ったのは私に対してだけだよ”と、申し訳のない気持ちでいっぱいになって、入籍から間もない時期に実家の恥部を見せたことも、恥ずかしくてたまりませんでした。

この頃から、母や妹よりも彼のほうがずっと近い存在で“私が心から家族と思えるのは彼だけだ”と、感じ始めていたことも覚えています。

ょぼくれながら寒々しい滋賀を後にして、それ以降、お正月の時期に滋賀へ帰ることは、ありませんでした。


この騒動から数年を経て、母と妹の間に、亀裂の入る出来事が起きます。

それを受けて母から『姉妹だからと言って、必ずしも距離を詰めて付き合う必要はないんだなって、あんたの言いたいこと、ようやく分かった。性格や考え方だって違うのにね。妹とはしんどくならない範囲で付き合えば良いと思うよ』と、言われる事態になったわけで。

その発言を聴いて『そうだろ〜そうだろ〜!』とは、なりませんでした。母も、長年抱いていた信念を越えざるを得なかったのだろうな、と感じましたから。

(あと義実家へ行った時に、騒動を思い出して家事を手伝ったらお姑さんに感謝されて、役に立った側面もあるからと、密かに思いを巡らせていました。)


そんな歴史からも、癇癪持ちの妹は今もニガテで、少し距離を保って付き合っています。向こうから見たら、ヒドく冷たい姉に映っているかと思いますよ。でも彼女の幸せは本心から望んでいたりするのです。

“一緒には幸せにはなれないけど、お互い、今いる場所で幸せになろう”じゃ、いけないかなぁ。最良と思えるのだけどなぁ。


Arisa