先々週の3連休は旦那さんと家に籠りっぱなしで、台風が去った朝、劇的に秋になっていて驚きました。なんてわかりやすい季節の境目なのだろう、と!
家中の窓を全開にして 秋風にそよめいていたら、外から大きな工事音が轟いてきました。どうやら向かいの一軒家で外壁工事が始まるらしく、足場の設置作業によるものでした。

その日の夕方、近所のパン屋さんへ出かける際に、うちのマンションの階段で肩を寄せ合って、ちょこんと座っている女の子2人の姿を見かけました。おぼこさから見て、おそらくは中学生。
これも秋風が運んできてくれた、今ならではの風景なんですよね。頬笑ましい。

私ですらも、同じような心象風景があるのです。
中学生時代、よく私の家の前で、仲の良い同級生の女の子と話し込んでいました。よくもまぁあんなにダラダラと話すことがあったなぁ、中身のない会話だった覚えもあるなぁ。
あの頃のどの場面を思い返しても、どこかモヤが覆われていて、もっと目の前の1人ずつに親切にしてあげたら良かったな、という悔いばかりだったりします。でもその薄暗いモヤのなかにも、友人の手助けによって、煌めいていた瞬間は何度も訪れてくれていたんです。女の子2人を見て、未来の私が笑みをこぼしたことこそが、何よりの証明なのだと思う。
歩き方がまったく掴めず、人へ何かを手渡してゆく発想すら無かった私へ、間違いなく宝物みたいだった時間をもたらしてくれて ありがとう、Mちゃん。

マンション前の2人もやがて、受験でいそがしくなったり、高校へ進学したりした後は、あんなかたちで時間を重ねたりすることも、次第に減ってゆく可能性が高いかと思われます。それぞれの目的を抱き始めて、自分を大切にする時間の使い方を覚えていくだろうから。
それも肝心には違いないだろうけど、生産性のギアを上げるばかりが大人になる道ではきっと無いのだと、どこか信じてみたい私がいます。

こうして、かつての自分と重ねて見つめる世代が、徐々に増えてゆくばかりなんですね。
願うならば、どの年代の自分を遡って行っても、好きだと思える私が未来に立っていますように。戻っても構わないけど『そうするには勿体ないほどに、いま手元にある宝物を手放したくなぁ』と言い切れる私が、凛と佇みながら 未来で待ってくれていますように。

Arisa