ミッシング』石原さとみと中村倫也の対談インタビューを実施。撮影の舞台裏からそれぞれの芝居における“感覚”の共有まで、存分に語り合っていただいた。






万引き事件が様々な人物に波紋を広げていく『空白』ほか、長所も短所もひっくるめた人間の本質を悲喜劇的に描き続ける奇才・吉田恵輔監督(※吉は<つちよし>が正式表記)。彼が新たに書き下ろした最新監督作『ミッシング』(5月17日公開)は、幼い娘が行方不明になってしまった両親の苦しみを描いた物語だ。




のちに主人公・沙織里を演じることになる石原さとみが「この人なら自分を変えてくれるかもしれない」と吉田監督の作品に感銘を受け、伝手を辿って直談判し、その3年後に彼女の手に渡った脚本が『ミッシング』だった。 沙織里と夫の豊(青木崇高)を取材するテレビ局員に扮したのは、中村倫也。石原さんが壊れてゆく一人の母の姿をひりつく熱演で魅せれば、中村さんが他者の人生を食い物にしがちな世の中で苦悩する報道者の心情を細やかに体現し、動と静の競演が展開する。

シネマカフェでは石原さんと中村さんの対談インタビューを実施。撮影の舞台裏からそれぞれの芝居における“感覚”の共有まで、存分に語り合っていただいた。



――石原さんが6年前に吉田監督に直談判されて、その3年後に脚本が届いたと伺いました。

石原:3年前は妊娠・出産を経験前だったため「こういう感じかな」と想像しながら読ませていただきました。その後、子どもが生まれてから本作が復帰作となることに決まって、改めて読もうとしたときに怖くて読み進められない感覚になりました。3年前は想像だったのが、自分の中ではっきり絵が浮かんでしまったんです。とてつもなく覚悟は必要だと久々に感じました。

子どもが生まれたことで安易に想像できてしまうぶん、「この作品の世界に入ったら私は壊れてしまうんじゃないか」と怖くなりました。

中村:そうだったんだ。





――僕も3歳と0歳の子どもがいるのですが、本作を拝見して最初から食らってしまいました。石原さんが感じていらっしゃった不安というのは、全体的なものか具体的なものか、どういった類のものだったのでしょう。

石原:吉田監督が脚本を書かれた際、きっといままでの私だったら演じるイメージがないものを私で、とトライして下さったんです。だからこそ、自分でもどうすればいいのか本当にわからなくて。先ほどお話したように想像はできるけれど、沙織里という人がどういう人間かがわからなくて、自分が通ってきた道じゃない人生を歩んでいる人に思えて不安で仕方ありませんでした。

実際に吉田監督が「こういう人」とイメージされていた方がいらっしゃって、お会いしに行ったりもしました。そのときに、今までの私の周りにはあまりいない方だとも感じて「自分に演じられるのだろうか」と余計に心配になってしまって。ですが、役作りには 産後の自分の状態が上手く作用してくれた部分はありました。髪の毛が抜けたり痛んだり、そばかすが一気に増えたり、ジムにも一切通っていなくて腰痛もずっとあるようなボロボロの状態が沙織里とリンクして、準備をする必要がなかったんです。


実際に自分が出産・育児を経験して、生活したうえでの感覚がある状態で演じるとなったときに「いまの自分だったらどっぷり漬かれるはず」とは感じました。そのうえで「心が壊れないように帰ってこないといけない」という不安があった感覚です。

ただ、撮影期間にセッティング風景を眺めながらふと「いま私は6年前から思い描いていた夢を現実に出来ているんだ」と客観視したとき、とても幸せを感じました。






中村:これは今回に限らずですが、ここ何年か極力前情報を入れないようにしています。現場で知って、その場で合わせていく方が僕は面白くて。そのため、あえて「吉田組はこう、吉田さんの作品はこう」というような先入観を持たないようにしていました。

そのうえでですが、吉田さんは一緒にいて落ち着ける方でした。僕は悪すぎない悪意がある人が好きなのですが、まさにそんな人でした。美術部さんが用意したであろう変なキャラクターを見てひとりでニヤニヤしていたり、シーンの中心にいる人物だけでなくその周りにいる人たちの動きをモニターで観ながら「いいねえ」と笑っていたり、端々に愛を感じました。





今回のようにシリアスな作品だと、人によっては閉塞感が続くものになるかと思います。でも吉田さんの場合は、本当に短いフレーズでシュッと抜けるポイントがあったり「これであなたは笑いますか?」と試されている感じもあり、そういった部分が僕自身の感性とぴったりハマって楽しかったです。

そういった意味では、砂田に関しても自分が演じる身ではありますが「この人、実は違うことを考えてるんじゃないかな」と思われるくらいに「真意がわからない」ほうが面白いかもと思いながらチューニングしていました。

――中村さんが演じられた砂田は、沙織里ほか相手に対するリアクションが多めかと思います。そういった意味では余白を多めに撮影に臨んだのでしょうか。

中村:そうですね。何も決めずに現場に入りました。砂田のキャラクターや職業による部分もありますが、相対する相手によって微妙に変わる人物だろうなと思い、彼の中で大切にしたいもの(輪郭も自分でちゃんと定められていないかもしれませんが)は大事にしつつ、その場その場で人と接することで何が生まれるか、は決め込まずに臨みました。





―先ほどの作品に入る前の心構えのお話にも通じますが、その場でチャンネルを合わせる感じですね。

中村:その部分が近年より増えてきた感覚です。常に突貫工事です(笑)。だって、どれだけ台本を読んで僕が想像していっても、現場でのさとみちゃんの芝居はそれ通りになんてならないから。監督がどういうことを要求してくるかもわからないですし、その方が僕には面白い。芝居においてリスクが高い状況で柔軟に対応していくのが楽しいんです。





中村:そうですね、あまり固めていなかった印象です。

石原:私は生まれて初めて「動物を撮っているみたいだ」と言われました。吉田監督に「最初のテイクと次のテイクで全く違うことをやるよね。次に何をしでかすかわからない」と言われたのですが、自分ではそんなつもりはさらさらなくて、衝撃を受けました。

これまではどちらかといえば器用と言われていた人間で、お芝居において同じことを繰り返しできるしテンポも揃えられるし、カットとカットの映像的な“つながり”を把握して演じられるタイプでしたが、今回は初めてパニック状態に陥りました




中村:そうした回路をあえて切っていたとか?

石原:そういった意識は全くなかったと思う。多分ですが、お芝居をここまで休んだのが初めてで久々だったことや、吉田組が初めてだったこと、沙織里という人物と自分自身の乖離等々、最初からわからないことだらけでパニック状態だったのだと思います。

だけど、心や気持ちの部分は嫌でもわかってしまうから苦しくてしょうがなかったです。現場では吉田組のスタッフさんも「こんな感じは初めて」とおっしゃっていて、私は初めて「自分って器用じゃないんだ」と気づきました。

中村:いやいや、そんなことないと思う。タイミングや役、チャンネル等々色々な要因があるだろうし、次は違うんじゃないかな。

石原:確かに、その次の仕事だった連ドラはすごく優等生でできました(笑)。やっぱり、吉田組で経験した時間はこれまでと全く違っていました。

たとえば左手でお水を取って飲んでスマホを出して見てしまう――という一連の動作を、私は無意識でやっていたんです。その後もう一回撮るとなったときに「自分は何をやっていたっけ」と思い、意識してやった瞬間に吉田さんから「なんかお芝居っぽい」と言われてしまい、「この人には全部バレているんだ」と感じました。吉田さんはずっと「ドキュメンタリーを撮りたい」とおっしゃっていたのですが、その意味がすごくわかった瞬間でした。

じゃあどうすればいいのかと考えて、違うことに意識を向けたりといったことを試して、また無意識にその動作を出来た瞬間にOKをいただけました。「無意識を意識するってこんなに難しいけれど、こういう感覚なんだ」と知り、吉田組の出演者さんたちはみんなこれを知っているからすぐにOKをもらえるんだ! と思い至りました。



吉田組は常に勉強の連続で、得るものが多すぎてお金を払いたいくらいです。いまお話ししたように“無意識の意識”を知ったことで、他の役者さんたちに対する尊敬も一層強くなりました。『ミッシング』でお芝居の本当の面白さに気づけた気がしています。

吉田さんは「新人女優を撮っているみたい」ともおっしゃっていましたが、私の感覚としてもそうでした。わからないことだらけですし、学ぶことが多すぎて発見もたくさんありました。「これでいいんだろうか」と思っているものほどOKをいただけて、気持ちが爆発したら「やりすぎ」と言われてしまい…でも私は困難を充実だと思う人間なので、とても幸せな時間でした。

中村:僕の感覚としては、さとみちゃんは毎回がらりとやることが違うということではなく、行動やタイミング、言い方といったニュアンスの精度と飛距離とアングルが毎回違ったという感覚です。こちらも感度を上げて見ていたからかもしれませんが、芝居をキャッチしてつなげていく側としてはすごくやりがいがありました。崇くん(青木崇高)もきっと同じことを言うのではないかなと思います。

石原:でもそれは、倫也さんだからです。私がどこにどれだけ投げても絶対に戻してくれるんです。青木さんはどちらかというと一緒に変動してくれるタイプで、吉田さんから「どっちも抑えて」と言われることもありました。

中村:こっちは取材している側というポジションの違いも大きかったんじゃないかな。

石原:もちろんそれもあるかとは思いますが、中村さんを見て「自分も抑えなきゃ、出し過ぎてもダメだ」と客観的に思える瞬間が多々ありました。こちらが揺らいだり動いたりしてもずっとブレずにいてくださったから、とても助けられていました。