名古屋に実在するミニシアター、シネマスコーレを

舞台にした『青春ジャック 止められるか、俺たちを2』が3月15日(金)、

全国公開される。シネマスコーレの創設者は、

“ピンク映画の巨匠”と呼ばれたのち、一般映画の名作も多く手掛け、大島渚の『愛のコリーダ』などの

プロデューサーとしても知られる、

今は亡き監督・若松孝二。映画館経営に乗り出した

監督とスタッフの奮闘記、映画に賭けた青春ドラマだ。



 『青春ジャック 止められるか、俺たちを2』 とにかく若松孝二監督が、おもしろい。 本音とタテマエ、

おとなはふたつの顔を使い分ける、

なんてことがあるが、この映画の若松監督はすべて

本音で開けっぴろげ。

いつもサングラスをかけて、強面。だけれど、

東北弁と東京弁がミックスされたしゃべりは、

朴訥で、どちらかというとコミカル。話は乱暴だが、実がある。 この作品の前作は2018年に公開された

『止められるか、俺たちを』。



60年代、独特の映画製作集団を率いる若松監督を

中心に描いた青春群像劇だった。本作は、

その十年後を描く。 前作に引き続き、

若松孝二役を演じているのは井浦新。

『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』(2008) 以降、若松監督の全作品に出演している彼だからこそ表現できる、監督の人となりや、くせ。

井浦の実年齢が近くなっているからか、まさに憑依、と言いたくなる“怪演”だ。 



物語は、1982年、名古屋の駅裏にシネマスコーレと

いう映画館を作った若松孝二監督と、彼から声をかけられ支配人になった木全純治(東出昌大)。

映画館を手伝いながら監督を志す金本法子(芋生悠)。そして、若松監督に弟子入りしたいと相談する予備校生・井上淳一(杉田雷麟)。



映画は、この4人を中心に展開する。 この井上くんこそ、本作の企画・脚本・監督を務める井上淳一。

そして木全さんも企画・プロデュースを担当している。つまり、当事者によって作られた映画。

事実は小説よりも奇なり。もちろん、

デフォルメもされているだろうし、多少は盛っていると思うけれど、笑いのツボがたくさんあり、

全編を通じて、映画への愛がびんびん伝わってくる。 インディーズ映画の監督は、作っても上映する場所に苦労する。それなら自分で映画館を持とうと考えた

若松孝二。



「世界でも映画館を持っているのは、俺くらいだろう」と、胸をはる。なぜ、名古屋で?ときかれると、東京も大阪も家賃が高いから、と現実的だ。それでも映画館経営は赤字の連続。金勘定で追われる日々である。 東出演じる木全支配人も、若松監督と並ぶ魅力的なキャラ。池袋・文芸坐のスタッフだったが、結婚を機に郷里の名古屋に帰り、流行し始めたビデオカメラのセールスマンをしていたところを、若松監督から声をかけられた。井上淳一監督によると「対立とか葛藤がない」人。確かに、独立経営のミニシアター、名画座の支配人さんはこういうタイプが多いように思う。芯から映画が好きで、映画館に来るお客が好き。そんな温かさが伝わってくる東出昌大の演技が素晴らしい。 シネマスコーレは、やむなくピンク映画の封切館になって何とか経営が軌道にのる。文芸坐育ちの木全さんは、週の何日かを名作映画の上映にあてたい。そこで経営者の若松監督に直訴する。 このやりとりが傑作だ。この映画は、登場人物だけでなく、映画館で上映する映画のタイトルからなにから、すべて実名で描かれている。例えば、大林宣彦監督作品の特集上映を企画した木全さんに、若松監督は「大林の映画なんてお客がはいるわけないだろう」と怒ったりする。 当時の映画館といえば、1981年に新宿に「シネマスクエアとうきゅう」ができ、83年には六本木に「シネヴィヴァン六本木」、86年に渋谷の「シネマライズ」開館と、ミニシアターのブームがきていた。アジア映画にも注目が集まり、日本でも自主映画やピンク映画出身の新しい才能が出始め、活況を見せ始めていた。若松監督はそのブームをいち早く察知し、流れに乗ろうとしたのだろう。その頃の映画館をとりまく空気がうまくでていると感じた。 ノスタルジーかもしれないが、コンプライアンスとかパワハラとかに神経質ないま観ると、おおらかで、のんきな空気があった。 予備校生だった井上に若松監督がアドバイスをするシーンが印象的だ。 「そんなに映画監督になりたいなら、うちに来なさい(「来」にアクセント)。ただうちは給料はだせない(「せ」にアクセント)。まず大学に入り、仕送りで暮らしなさい。映画の勉強をうちでしたら、4年で映画監督にしてあげる」。 おとながちょっぴりやんちゃだった。希望がほの見えた、そういう時代の、映画の青春!