【連載:個として輝くサポートミュージシャン】TAIKING



 2021年のSuchmos活動休止以降、

ソロアーティストとしての活動をスタートさせたTAIKING。2022年に1stアルバム『TOWNCRAFT』を

発表し、

ダンサーのJyunkiと共同でプロデュースする『CONNECTION FES』やオカモトコウキ(OKAMOTO'S)との企画ライブ

『Between You and Me』を成功させるなど、

精力的な活動を続けている。

その一方でサポートギタリストとしての活動も

本格始動し、藤井 風、Vaundy、RADWIMPSといった

トップアーティストのライブやレコーディングで

確かな存在感を発揮。

2023年はSuchmosの結成からちょうど10年と

いうこともあり、

2020年代の音楽シーンに大きな影響を及ぼした

バンドの功績を今一度振り返りながら、

TAIKINGの現在地について話を聞いた。

 

Suchmos TAIKING、撮り下ろし ソロ活動で迎えた

転機&野田洋次郎との出会い 


――まずは2023年の活動を振り返っていただけますか?


 TAIKING:ソロを始めたのがコロナ禍ど真ん中の

2021年で、企画してたイベントとか、

初のワンマンとか、軒並み駄目になっちゃって。

だから曲はずっと作ってたし、

リリースもしてはいたんですけど、

実働をし始めたのは2022年の頭ぐらいからで、

サポートとしての活動はそのちょっと前くらいに

始まったんですよ。2021年に風ちゃん(藤井 風)の

ツアーをやって、RADWIMPSのツアーをやって、

その後に初めて自分のワンマンライブがあって。

で、今年はサポートをやりながら自分のソロもやっていくっていう、

その温度感がやっとわかった1年だった感覚があります。でもやってみた感想としては……

めちゃくちゃ大変ですね(笑)。




 ーーそもそもソロ活動はどのように始まったのでしょうか?


 TAIKING:水面下で「バンドを休止しよう」っていう話になったときも曲は作り続けていて、

そのタイミングでもう10曲ぐらいあったのかな。

だから最初はバンドのために作ってたんですけど、「これはYONCEが歌う感じでもねえな」と思ってた

曲も結構あったりとかして。

それで実際にバンドが休止することになって、

新しくバンドを組もうかなとも思ったんですけど、

コロナ禍だし、このタイミングで

「一緒にスタジオ入ろうぜ」

なんて言える雰囲気でもなくて。

でも時間だけが過ぎていくのはもったいないなと

思ったから、「これはもう自分でやるか」みたいな、半分ギャグみたいな感じで始めたのがソロ活動の

最初の動機というか。


 ーー実際にソロ活動を始めてみて、どんな発見がありましたか? 


TAIKING:自分のソロをやったことで、ボーカリストの気持ちもちょっとわかるようになったというか、「YONCEこういうの大変だっただろうな」とか

思うこともあったし、それがサポート業でも活きてるような気がしていて。

「風ちゃん、こういうふうにやったらやりにくいだろうな」とか、そういうのは自分でもボーカルをやらないとわからないことだった気がします。

もちろん、いろんなタイプのボーカリストがいるから、(野田)洋次郎さんは

「もっとグイグイ来てほしいんだろうな」って

思ったりしますし、そういう判断は自分がボーカルをやることで身についたのかもしれないですね。


 ――2019年に一度オカモトコウキさんのライブのサポートをしてると思うんですけど、彼ももともとギタリストからスタートして、ソロでは自分で歌い、他のアーティストのサポートもしていて、TAIKINGさんと近い立ち位置ですよね。なので、コウキさんの存在もソロ活動をする上での刺激になっていたのかなと。


 TAIKING:最初はもちろんそうでした。

コウキちゃんとはSuchmosが休止する前から仲が

良くて、それこそコウキちゃん家に遊びに行ったときに「ソロを始めてみようと思うんだよね」って言われて、「いいじゃん」って言ったり。

彼とは同い年で、俺もソロをやってみたい気持ちは

前からあったから、「いつか2人じゃないと成り立たないようなイベントとかやれたらいいね」って言ってて、それが今年の2月に実現して

(2022年7月に予定されていた『Between You and Me』が2023年2月に延期)。

そういう話は5~6年前からしてたから、

2023年は昔からやろうと思ってたことが

結構実現できた年だったかもしれない。

対バンツアーもできたし、温めてたものが少しずつ

表現できるようになった年かなと思いますね。


 ――Suchmosの休止が決まって、今みたいにソロもやりつつサポートもやるみたいな活動形態を当初から何となく思い描いていたのか、それとも、最初はこういうふうになるとは思っていなかったけど、いろんな出会いを経てこうなったのか、どちらが近いですか?


 TAIKING:それで言うと、まずコロナ禍でいきなり職を失ったみたいな感じだったんですよ。そのタイミングって、俺の子どもが1歳になるかならないかぐらいで、「これまずくない?」と思って、音楽業界自体を下りるかどうしようかっていうぐらいだったんです。でもそのときにすごく考えたのが、バンドでやりたいことはやれていたけれど、自分のパーソナルな部分がバンドで表現できていたかというとそうではないなって。だから1回自分の好きなようにやってみて、ギタリストとしてもバンド以外のところで弾くことができるのかを試してみてからでも音楽業界を下りるのは遅くないかも、みたいに思ったんです。それでソロを始めたら、たまたま風ちゃんを紹介してもらってサポートもするようになって。コウキちゃんのライブに関しては、あんまりサポートとも思ってないというか……。



 ーーもともとの友人関係もあるし。



 TAIKING:そうそう。だから最初にいただいた仕事がたまたま風ちゃんで、その後に、それまで1回も会ったことのなかった洋次郎さんから連絡が来て。まずオカモトレイジ(OKAMOTO'S)から電話で「洋二郎さん繋げたいんだけど、いい?」って言われて。 


――そこレイジさんなんですね。さすがの顔の広さ(笑)。


 TAIKING:それで「もちろん」って言ったら、洋次郎さんから「今バンドはこういう状況で、でもツアーを回りたくて。一緒にやってみたいなと思って」っていう連絡があって、ぜひやってみたいなと。でもあの時期、風ちゃんとRADWIMPSのツアーの時期が繋がっててめっちゃ忙しかったんですよ。関東にいるときはずっとRADWIMPSの曲をスタジオで練習して、風ちゃんのツアーで地方に行って、戻ってきてまたRADWIMPSでやって……みたいな。風ちゃんのツアーファイナルが終わって、翌週にはRADWIMPSのツアーがスタートして、4カ月間ずっとツアー状態で。でもそこぐらいからかな、こういう活動の仕方も面白いかもしれないなと思ったのは。



 ――その2組の対比だと、藤井 風さんの方はもともと音楽的なシンパシーがあったと思いますけど、RADWIMPSはバックボーンもプレイスタイルもかなり違うから、結構大変だったんじゃないかなって。 


TAIKING:RADWIMPSはむちゃくちゃ大変だった(笑)。これまでタッピング(奏法)なんてまともにやったことなくて、でもRADWIMPSはタッピングめちゃめちゃやるから、「これ俺がやるの?」みたいな(笑)。ただ、自分のバックボーンを大事にして、音楽的に共鳴する人とだけ一緒にやるのもひとつの手だとは思うけど、それってそこで可能性を遮断してしまうような感じもして。プレイスタイルは全然違うし、聴いてきたものも全然違うだろうし、ファン層も違うだろうけど、すごく気になったんですよね。



 ーー気になった、というと?



 TAIKING:Suchmosは休止を選んだわけですけど、RADWIMPSはもともとドラムの(山口)智史さんが活動休止していて、その当時はギターの桑原(彰)さんもバンドに参加できない状態になっていて。つまりオリジナルメンバーは2人だけで、サポートメンバーが4人いたんですよ。例えばですけど、Suchmosがメンバー4人いなくて、それでもツアーを回るかって言われたら、俺らからしたら考えられなかったから、そこも気になってたかもしれないです。活動を止めたバンドと、動き続けるバンドと、何が違うのかを覗きに行きたかった。それは洋次郎さんにも伝えました。



 ――想像ですけど、洋次郎さんからすると桑原さんがいないときに似たタイプのギタリストを入れるよりは、あえて違うタイプの人を呼んで、ピンチをチャンスにして新しいものを得ようみたいな、そういう発想だったんじゃないかなって。


 TAIKING:そうですね。だから「やっぱりすごいや、この人」って思いました。一線でずっと活躍し続けるというか、食らいつくというか……そういう泥臭さは感じていて。「かっこいいな、この人」って思っちゃいましたね。



藤井 風やVaundyから広がるコミュニティ


 ーーその一方で、藤井 風さんのツアーはどんな経験になりましたか?


 TAIKING:最初は結構ビクビクしてました。自分のバンド以外でやったことがなかったから、「これで大丈夫なのかな?」って。でも「いいじゃん」って言ってくれて、そこからはどんどん馴染んでいったというか。風ちゃんに関しては、ツアー2本やって、スタジアムもあったりとかして、どんどんクルーになっていく感じがしたかな。風ちゃんは超音楽好きで、めちゃくちゃコアな音楽も知ってるし、好きなものが似てる感じがして。だから「この曲は次のツアーではこういうふうにやりたいんだよね」って言われたら、「なるほど」ってすぐにわかる。 


――ジャズ、ソウル、R&Bなどのバックボーンがありつつ、それをちゃんとモダンなものに仕上げる、そういう感性や趣味の部分ではもともと通じる部分があったと。


 TAIKING:そうやって風ちゃんとRADWIMPSのツアーをやって、そこからサポート業と自分のアーティスト活動の2軸でやってるわけですけど……でも、あまり「サポート」とは思ってないかもしれないですね。「サポートミュージシャンとしてお願いします」っていう連絡はいただくんですけど、サポートミュージシャンとして行く感じなのであれば、そもそも受けてないかもしれない。自分がやりたいと思ったものだけしかやってないから、あんまりサポートの感覚がないというか。



 ー一音楽家として、「これ面白そうだな」っていうところに飛び込んでみている?


 TAIKING:そうそう。でも音楽的にハマるかハマらないかはそこまで重要ではなくて、それこそRADWIMPSは最初からハマってたわけではなかったし。それでも引き受けた理由は、この人たちとやると今の自分にない何かが見えるかもなと思ったからで、それも動機として花丸だし。だからやっぱり、「何か面白そうなことがあるかも」っていうところでしかやってないかもしれないですね。


 ――現在はVaundyさんのツアーに参加中(取材は11月末)ですが、彼に対する印象はいかがですか? 


TAIKING:バウくんはもともと隼太(SuchmosのHSU)がサポートをやってた時期があったから、ライブを観に行ったことがあって、そのとき楽屋で紹介してもらって。最初は「隼太をよろしくお願いします」みたいな感じだったんですけど(笑)、そしたらレコーディングで呼んでくれるようになったんです。スケジュールの兼ね合いでライブにはなかなか出られなかったんですけど、今回はスケジュールが合ったから、「やっとできるね」みたいな感じで。バウくんも本当に天才ですからね。アルバム(最新作『replica』)もぶっ飛んでるからなあ。



 ーー当然ですけど、藤井 風さんのバンドともRADWIMPSとも違いますよね。


 TAIKING:バウくんのところは、ギターがhannaさん、ドラムがBoboさん、ベースがマーリン(・ケリー)さんで、すごいバンドなんですよね。トラ(代役エキストラ)NGみたいな感じだし、Boboさんはずっと喋ってるし(笑)。本当にバンドみたいな空気というか、家族感があるというか……そういうバンド感があるところを俺が選んでるような気もするし、たまたまそういう人たちに呼ばれるみたいなところもあるのかもしれない。


 ――レイジさんとかHSUさんとか、人を媒介にある種のコミュニティができて、信頼できる人同士が繋がることで、「こっちでもやってみてよ」みたいなことが起きて、それで少しずつ輪が広がるというか、そういうことが今はいろいろなところで起きているような気がします。藤井 風さんとVaundyさんもお互いの曲をカバーしたり、いい関係性ですしね。


 TAIKING:初めてバウくんのサポートをしたのがライジング(『RISING SUN ROCK FESTIVAL 2023 in EZO』)で、そこで俺が(藤井 風の)「何なんw」を弾くっていう(笑)。サポートをやるようになると、たまたまそこで知り合った人と仲良くなって、またそこからコミュニティが広がるみたいな感覚は確かにありますね。Yaffleはそうで、風ちゃんのツアーでバンマスをやってて、めちゃくちゃ話が合って。iriちゃんのプロデュースをYaffleがやっていて、そこから繋がって生まれたのがSexy Zoneの「Cream」っていう曲で、iriちゃんが曲を書いて、Yaffleがプロデュースして、俺がギターを弾くみたいな。それでiriちゃんのツアーにも呼んでもらったり、そうやって広がりが生まれていくのはすごく面白いですね。 


――Vaundyさんのアルバム『replica』は35曲入りで、


TAIKINGさんはその中の11曲でギターを弾いていますが、レコーディングはいかがでしたか? TAIKING:バウくんのレコーディングは大きく2パターンあって、ひとつはバウくんの中ですでにイメージが固まってるものをそのまま弾くというか、清書する感じ。バウくんには「これ“清書”するんだったら、宅録とかでやった方が早いんじゃないの?」って言ったことがあるんですよ。仕事もらっといてアレなんですけど(笑)。でも「ここまでは決まってるフレーズなんだけど、その後の展開はタイキさん(TAIKING)に好きに弾いてもらいたい」みたいに言ってくれることもあって、それを弾いたら「それそれ!」みたいに言ってくれて。だからバウくんは……リーダーですね。 


――「ZERO」みたいなノイジーなギターは久しぶりに弾いたんじゃないですか?


 TAIKING:めっちゃ面白かったですよ。俺、最初音量を加減して、「これぐらい?」とか言ったら、「いやもっと」ってバウくんがアンプ置いてある部屋に入ってきて、つまみをバーっと上げて、「これで!」みたいな感じにして。「ここまでやっちゃっていいんだ」みたいな。ああいうサウンドでやったのって、Suchmosの「A.G.I.T.」とか「Indigo Blues」以来だと思うから、懐かしかったですね。自分のソロはどちらかと言うと歌モノの方向に行って、カッティングとかが多いから、「ファズとか別にいらねえ」みたいな感じになってたので(笑)。 Suchmosを構成していた特別なバランス感覚 


――なるほど。今回TAIKINGさんに出演いただいたのは、2023年がSuchmosの結成からちょうど10年っていうのも大きくて。


 TAIKING:10年なの? そっか……知らなかった(笑)。 ――やっぱりSuchmosがその後のシーンに与えた影響はとても大きくて。今、ジャズやファンクやR&Bなどをバックボーンに持つ素晴らしいプレイヤーたちが恐れることなくポップな表現に向かっているのは、Suchmosがそれをオーバーグラウンドでもちゃんとかっこいいままできることを示したからこそだと思うんですよね。もちろん、Suchmosだけの力でシーンがガラリと変わったとは言わないまでも、間違いなく大きな影響があると思うし、その後のシーンを引っ張っている藤井 風さんやVaundyさんを今TAIKINGさんがサポートしているというのも、偶然じゃない気がするんです。 TAIKING:俺自身にはあまりそういう感覚がなくて……でもよく言われます。若い世代の子たちとも一緒にやるようになると、「ずっと聴いてました」とか「Suchmosは別格でした」とか言ってくれるんですよね。Suchmosをずっと聴いてたような子が、今デビューするようにもなって、そういう人たちと仕事をすることで、やっとバンドの存在価値を教えてもらえてるっていうか。俺たちは好きなことをやってたらたまたま売れただけだから、自分で自分のことがよくわかってなかったけど、若い子から「Suchmosに衝撃を受けて音楽始めました」みたいなことを言われると、「そうなんだ」って。なので、自分のバンドがどういう存在なのか、最近になってようやくわかってきた感じがしますね。  



――近年はセッションのシーンで活動していた人がポップスの舞台に出てくることも増えていて、HSUさんあたりはそういうシーンとも接点があり、ミュージシャンの繋がりも結構あったと思うんですけど、TAIKINGさんはそういうハコに出入りしたりはしてましたか? 


TAIKING:たまにですね。アドリブとかはあまり得意じゃないから、即興で飛び込みでやろうみたいなことはほぼなかったんですけど、ちょくちょく観に行ったりはしてました。でもそれよりは、曲作りをしたり、編曲をしたり、プロデューサーみたいなタイプの人と一緒にいることが多かったかもしれない。



 ――もともとSuchmosに入る前は音楽の専門学校でアレンジの勉強をして、編曲家の道に進む可能性もあったそうですね。


 TAIKING:そうそう。Suchmosに入る前はシンガーソングライターの子たちの曲をDTM上でアレンジして、手売りのCDを作るのを手伝ったりとかしてました。そのときに知り合ったのが、この前初めて一緒に仕事した吉澤嘉代子ちゃん。嘉代子ちゃんのアルバムを作るときのプレゼン用の仮アレンジをやったりとかしてました。 ――そうだったんですね。それが今や「吉澤嘉代子とナインティーズ」(吉澤と同年代のミュージシャンとの共同名義)に(笑)。 TAIKING:面白いですよね。他には松室政哉くんのサポートをやったりして、『Augusta Camp』に出たこともあります。あとは自分が曲をアレンジしたミュージシャンがライブをやりたいっていうときに、隼太と健人(SuchmosのOK)を雇って、一緒にサポートをやったこともありました。そういう中で隼太から「バンドやってみない? Suchmosってバンドなんだけど」って誘われて。アレンジの仕事は面白いんですけど、俺は飽き性で、ひとつのことだけやるのができなくて。それで「いいよ」って返事をして『THE BAY』を1カ月で録って、そしたらどうやらそれがちょっと調子良かったらしく、そこからバンドが続いていったんですよね。 


――Yaffleさんと話がめちゃくちゃ合ったという話もありましたけど、ギタリストであり、ソロアーティストでもあると同時に、アレンジャーであり、プロデューサー的な側面も持ってるわけですよね。将来は若手アーティストをプロデュースすることもありそうですが。




TAIKING:そういうことも考えてはいます。サポートも自分の活動もやりつつ、さらにその枠を越えたいと思っていて、プロデュースはまだやったことがないからやってみたいなとは思ってますね。 ――実際、2024年以降の活動に関しては、どんな展望を持っていますか? TAIKING:まずソロに関して言うと、去年出した1stアルバム(『TOWNCRAFT』)はコロナ禍に書き溜めてたものが形になった感じなんですね。バンド活動が長かったけど、しょっぱいものばっかり食ってると甘いものも食いたくなるのと一緒で、「バンドだとできないことを形にしよう」というのができたアルバムなんです。でも1回それをやったことで、「じゃあ、自分が本当にやりたいことって何だろう?」みたいに今はなっていて。しょっぱいものも甘いものもちゃんと食べた、その健康的な状態で自分は何を作れるのか。それを模索して、形にして、数は多くなくてもいいから、しっかり届けることが大事だなと。2024年はそんなふうに思ってますね。1回深呼吸して、「自分とは?」っていうのを探り直すタイミングなのかな。 ーーサポートに関してはいかがですか? TAIKING:サポートもいくつか決まってるんですけど……それはもう楽しむだけというか(笑)。あと俺はツアーが好きなんですよね。クルーみんなであちこち行って、「昨日のライブは良かったね。じゃあ2日目はどうしようか」みたいな、そうやって作り上げていくことが好きなんです。音を鳴らすメンバーだけがバンドだとも思ってなくて、PAさんがいないと音を聴けないわけだし、照明がかっこよくないと盛り上がれないし、そういうクルーも含めてバンドだなと。そこをよりアップデートしていきたいですね。ミュージシャンはミュージシャン、照明さんは照明さん、PAさんはPAさん、テックさんはテックさんで飲みに行くみたいな、何となく打ち上げにもカテゴライズがある気がするんですけど、Suchmosは結構みんなごちゃまぜだったんですよ。あの感じが好きだったので、もっとクルーっぽくさせたいっていうか。 


――『CONNECTION FES』も様々なカルチャーを混ぜ合わせたイベントだったし、そうやって繋げたり繋がったりするのが楽しいっていうのも、TAIKINGさんの活動の背景としてきっと大きいんでしょうね。 


TAIKING:お祭り野郎ですね(笑)。だから来年もそれをよりよくやりたいなと思ってます。そういうことはバンドだけやってたらわからなかったことで。「修行の時期を迎えるため」みたいなことを言ってバンドを休止してるわけですけど、「修行の甲斐あり」みたいな、今のところはそう思ってますね。 




――ちなみについ先日、YONCEさんの新しいバンド(Hedigan’s)の新曲「LOVE (XL)」と、TAIHEIさんのバンド(賽)のアルバム『YELLOW』が同じ日に出ていて、TAIKINGさんのソロも含めて聴き比べると、それぞれ全然違うから、この人たちが一緒のバンドをやってたのはすごいなと思って(笑)。


 TAIKING:めっちゃ変ですよね(笑)。でもTAIHEIの感じもYONCEの感じも、俺のソロもそうだけど、上手く混ざってたんだなっていうか。 ――まさに、裏を返せばそういうことですよね。 TAIKING:結構、混ぜるな危険でもあるとは思うんだけど(笑)。


 ――「もともとバンドでやろうと思って作ったけど、合わないなと思ってソロでやった曲もあった」という話でしたけど、Suchmos的なDNAを一番受け継いでいるのはTAIKINGさんのソロ作かなというイメージもあって。そこは意識的だったりしますか?


 TAIKING:それは曲によるかもしれないですね。意図的に「この曲はSuchmosっぽくしたろ」みたいなのもありましたし、それとは別に、本当にパーソナルなものとして作った曲もあるし。でも1stアルバムは、Suchmosのお客さんが聴いても「うんうん」って思ってくれるんじゃないかなっていうものではあったと思います。自分のソロのツアーだと物販に立ってみたりしてるんですよ。それでお客さん一人ひとりと話すんですけど、「Suchmosの頃から好きです」とか「またSuchmosやってほしいです」とか、そういう声をダイレクトに聞くことも増えて。Suchmosをいつやるかはわからないけど、「待っていてくれる人たちがいるんだな」っていうのは、2023年の自分のツアーですごく思ったことなので、またみんなが集まるタイミングがあれば何かやりたいですね。