気になって気になって仕方がなかった友人がいた。その人のことを、ここではBと呼んでいる。
Bとは、短期間のうちに、接触する機会が急激に増え、それなりに一緒にいることが多くなった。
気がついたら、Bのことが、好きになっていた。同性のBに対して抱いてしまった、この「好き」という感情がどういうものなのか、自分ではよく整理がつかないものであった。
Bと2人だけで話していると、時おり、安心しきって自分の弱い部分をさらけ出している自分がいた。
自分のことをもっと理解してほしいという衝動があった。
Bのことをもっと知りたいと思う衝動があった。
全然違う性格なのに、そして、こんなににぎやかな人なのに、一緒にいると、ものすごい安心感を感じるのはなんでなんだろう。
Bともっと親密になれるのではないか、Bもそれを望んでいるのではないかという期待をもった。
でも、その期待も期待外れであったということが、段々と何となくわかってきた。Bには、私の理解しえない世界を共有し共感できる存在がちゃんといて、私には立ち入る余地のない関係性がある。私などは、いってみれば眼中にないのであって、私の一方的な思いは、文字通り、一方的なものだったのだ。
そして、私たちは、決定的な転機を迎えることになった。勤務地が別々になったのだ。
Bとは、もう会うことはないかもしれない。
短期間のうちに、これほどまでに一人の人間の内面について強烈な興味を抱き、そして、自分を理解してほしいという衝動を感じたのは、私の人生において、稀有な体験であった。
これ以上、Bの深みにはまるのは、果てしない地獄に足を進めることだと思う。なぜなら、Bに対して特別な興味を抱いてからのこの短期間の間でさえ、私はまるでほろ苦い恋をしたような苦しみを味わったから。
これ以上、接触をはからない。これ以上、向こうからの連絡も期待しない。
これでもう終わり、Bとは、もう会うことはないかもしれない。
それでいいのだ。
