2009年、4月12日、ちょうど1年前の今日、

私はNYの地に降り立ちました。

それから早1年、あっという間です。

1年間無事に楽しく過ごせたのも、ここで一緒にいてくれるみんなや
日本で待っててくれたり応援してくれたりしているみんなのおかげです。
本当に本当にありがとう。

今回の日記には本当は、NYのたくさんの素敵な色々を1年間の記念として書こうかと思ったんだけど、もっと大事な、もっと聞いてほしいことがあるのでそれを書くことにします。

ここから先はかなり暗かったり重苦しかったり長ったらしかったり、
まぁ読んでて楽しいと思えるものでは到底ありません。
でも、少しでも多くの人に最後まで読んでもらって、何かを感じてもらいたい、そんな思いで書きます。
中には「だから何?」「きれいごとばっか並べて偽善者ぶってんじゃねーよ」とか思う人もいるかもしれない。
そんな風に思われてもかまわないし、むしろそう思うような人達に最後まで読んでもらって、少しでもいいから何か響けばとても幸いです。



NYに来て、私にとって一番衝撃だった出来事、忘れられない、そして忘れてはいけない出来ごとがある。


私の元・クラスメートの韓国人の男の子が死んだ。


彼は行方不明になって、1週間後に友達によって警察に通報された。
もともと自宅に戻らない時も多々あったらしく、夜一人で街を出歩くことも多かったらしい。
そして3週間後に、NYとNJの間にあるハドソンリバーで警察によって発見された。
死因は不明。
遺体には争った形跡も見られず、事件性はないのでは、との警察の見解、と先生から学校の生徒全員に報告があった。

でもね、彼は当時23歳で、兄弟はいなくて一人っ子。
韓国には婚約者がいたらしい。
日本のアニメが好きで、たまに私に日本語で話しかけてきたり、
日本に行ってみたい、日本が好き、とか話してた。

私にはそんな彼が自殺したとは到底思えない。
(もちろん、悩みのない人なんていないんだから、何か悩み事があって、
可能性が0ということはないんだろうけど・・・。)
警察はもちろん、自殺の方が都合がいいよね、だって
「殺人」とかになったら両国の友好関係に問題が生じるもんね。
韓国全体を敵にまわすより、亡くなった彼の周り少数が敵の方が
都合がいいのだろうと思う。

とてもかわいい笑顔が印象深かった。
プライベートでは友人の誕生日パーティーに一度居合わせただけだったけど、クラスでは数週間同じだった。

もしかしたら自殺かもしれない。

でも、もしかしたら殺人かもしれない。

確かなことは、彼が死んだこと、もう誰がいくら話しかけたくても
二度と彼は生き返らないということ。

まだ冬だったから。
とても寒かったはず。

彼が死んだ、ってことがわかってから、
しばらくは毎晩ベッドに横になると彼の顔が浮かんできて、

「寒いよう、苦しいよ、つらいよ、誰か助けてよ」って
そんな状況が目に浮かんで泣けてきた。

最愛の一人息子を教育のためにアメリカ留学させて将来に期待を寄せていた両親、
最愛の人と一緒になれる日を夢見て韓国で彼の帰りを楽しみに待ってたであろう彼のフィアンセ、

一瞬にして、目の前から愛する人がこの世からいなくなってしまった。それを考えただけで、また泣けてくる。
「もし自分の旦那だったら?」
「もし自分の家族だったら?」
「もし自分の大切な友達だったら?」

彼が私に教えてくれたのは、「命の大切さ」
自分の身をしっかり自分で守らないといけない、ということ。

と、同時に私に気づかせてくれたことがもう一つある。

毎日のようにどっかで誰かが殺されている。
今こうしてる間にも。
当たり前のことだけど、その殺されている人達には家族や友達、
愛する人たちがいる。
そして、戦争が起きていること。
戦争が起きている中でも、必死に逃げまどい、
少しでも自分の命を守ろうとしてる人たち。

私は今までに、その人たちのことを考え、
涙流したことがあった?

私の元クラスメートが、もしかしたら誰かによって殺されたかもしれないこと、

戦争で、何の罪もない人が殺されていること、

何が違うの?

自分には関係ない?

何で私は涙を流せないの??

ようするに、私は自分の周りしか目を向けてなかった。
他人のことなんてお構いなしだったのだ。

本当にそれでいいの?
本当に自分には関係ない?
自分さえ良ければ、他はどうでもいいの??


そんなの、おかしい。絶対、間違ってる。

今、同じ地球に同じ時代に生きている私たち。
世界は一つで、どっかで何かしらの形でつながってる。
もっと、真剣に、今ある問題に目を向けなければいけないと思う。

いつも思ってた。
「人間が生きてる限り、戦争がなくなるなんて、争いがなくなるなんて
無理なことなのかもしれない。」
「無理」と思ってしまったら、「可能」かもしれないことも、その時点で「不可能」になってしまう。あきらめてしまっているんだもの。

「何の権力もない自分一人が”戦争反対”っていくら叫んだところで、今起こってる戦争に何の影響もない。」
そう思ってた。

でも、良いことも悪いことも絶対どこかでつながってると思うんだよね。
誰かにされて嬉しかったことを、今度は自分もしよう、って思えるように、
自分が「戦争反対」って言うことを声に出して誰かに伝えることによって
どんどん膨れ上がって、今、これを読んでくれてる誰かがまた誰かに伝えて。いつの間にか、今戦っている最中の、人間が人間を殺し合ってる、そんな現状のとこまでつながって、「よし、この戦争無意味。止めよう」って
奇跡みたいなことが、一人の力では出来ないけど、みんなが力を合わせれば出来るんじゃないかって。


そんなことを考えながらここ最近は生活してた。

そして今日学校に行ったら、学校の隣のビルがテープで仕切られてる。
パトカーがいて警察がいる。
学校の事務の人に「隣のビル何があったの?」と聞くと、
どうやら人が飛び降りたらしい。
「その人は無事?」と聞くと、
「絶対に無事ではない。飛び降りたところが高すぎる。」と。


ああああああああああああ、もう嫌んなる。

人間が人間を殺して、人間が自分の命を断っていく。

そんな今、おかしいと思いませんか??
自分たちの未来、今いる子供たち、未来の自分の子供たちに
もっと住みよい地球を残したくありませんか??

この飛び降りた人も自分には関係ない?
今自殺者数が最大死因である日本でも?
もしかしたら自分の家族が、友達が、自分自身がそうなる時が
来るかもしれなくても?
誰かが学校でいじめられてたり、会社でストレスが溜まり精神病になったり。
本当に、自分には関係ないところで起きていて、自分には何も出来ない??

NYにいると、自分より何歳も年下のよその国の人たちが、
本当にしっかりしてる。
みんな自分の意見をきちんと持っていて、自分の国の問題、
他の国の問題にも目を向けている。
確かに日本は島国だから、他の国と交流する場が少なくて、
自分からよそに目を向けないと自然と情報が入ってくるのは難しいと思う。

にしても、あまりに他人に無関心になってると思いませんか??

最近本当に聞く人聞く人精神的に参ってる人が多くって、
どうしたものかと思ってるのだけど、自殺とかダメでしょ。
死んだら元も子もない。
死ぬほどつらいことがあるなら、逃げ出しちゃえばいいと思う。
1から始めるのは、またそれはそれで大変だとは思うけど、
生きたくても殺されてく命がある中で、自分から死んでたら
その人たちに申し訳なくありませんか??
生きているより死んでしまった方が楽、確かにそうかもしれないけど、
今命がある人は、命尽きるまで一生懸命生きて行くのが役目なんじゃないのかな。

「自分が何のために生きてるかわからない」

そんな風に思ってる人が、自分の想像をはるかに上回る数で存在する。

たとえ、外からぱっと見、その人たちの環境はとても幸せそうに見えてる人たちでさえ。

どうやったらそんな人たちに、その人たちの存在価値をわかってもらえる?私は一人しかいなくて、世界中の人に「私にはあなたが必要!」なんて言って歩くのは不可能に近いかもしれないけど、私が私の周りにそれをアピールすることによって、それがどんどん伝染して、当の飛び降りてしまうような人達に届くことは無理かな?

みんながみんな少しずつ優しさを持ち寄って、「戦争反対」ってのと同じように、それが伝染していったらいつかどこかで、悩み苦しんでる人につながって、その優しさゆえに「生きて行こう」って思えたら、どんなに素敵なことか、って思いませんか??
「自分が何のために生きてるかわからない」って思ってる人も、この伝染作業の1人となったら、それが自分の「存在価値」につながらないかな??



何だか言いたいこともまとまってないし、うまく説明できないけど、
自分が自分の周りの人に優しく接することによって、いつか「自殺志願者」の人まで伝わって、その優しさゆえに「自殺」って考えを「生きる希望」に変えていけたら、ってそう思うのです。直接今の自殺者の多さを食い止めることは出来なくても、間接的に食い止めることが、みんなの力を合わせれば出来るかもしれない、そう思うのです。

私、こっちに来て本当に「日本人が好きだな」って思うんだけど、1つだけ、絶対に日本人も欧米の人たちを見習うべきって思うことがあって、それは、「優しい行動を恥ずかしがらないで出来る」ということ。
照れ屋だったり恥ずかしがりだったりの文化があるのはわかるけど、
人に優しさを与えるのはちっとも恥ずかしいことじゃない!!って思う。


例えばお年寄りや妊婦さんに電車内ですっと席を譲ってあげたり、
自分が通った後でも扉を次の人のためにおさえてあげたり、
ベビーカーや荷物をたくさん持ってる人を見たら手伝ってあげたり、
道をウロウロして迷ってると道案内を頼みもしてないのにしてくれたり、
電車や街頭でのホームレスにお金をあげたり、(これは例としては微妙だけど)数え上げたらきりがないくらい。
とにかく、彼らは「他人事」として物をとらえない。
困ってる人がいるから助ける、ただそれだけ。
みんながそうだから、自分がいざ困ってる時も助けてくれる人が必ずいる。

恥ずかしがり屋の日本人、少し見習いませんか??

昨日学校の図書室で勉強してた時のこと。今ちょうど風邪ひいてて何回もゴホゴホ咳してた。
そうしたら、隣に座ってた見たこともない女の人(多分私より若いインド系の人?)がのど飴をくれた。「ありがとう」と1つ手に取ると、「もっといっぱいとって」って机の上にたくさんのっけてくれた。
「私も、今は大分落ち着いたけど、ついこの前まで2週間風邪で咳がとまらなくてつらかったから、あなたのつらさは良くわかるの。」
名前も顔も知らない、見ず知らずの私に。ただ単に「同じ学校」っていうくくりが一緒なだけ。
でも、彼女は私の咳を「他人事」「私には関係ない」って思わずに心配してくれ、飴をくれた。私も見習おうと思った。
困ってる人がいたら、恥ずかしがらずに助ける。

こんな風に誰かの優しさが誰かに伝染して、今苦しんでる人たちを救えることが出来たらな、って思った。



長くてまとまりがなくって読みにくい日記、最後まで読んでくれた方、本当にありがとうございます。
誰かに響いて、何かが変わりますように。