ヲタクです。いつもカピバラです。
10月2日、ポレポレ東中野にて梁井一監督「劇場版どついたるねんライブ」を観てきました。R18の映画を観るのは初めてかもしれない。
上映後、梁井監督とプロデューサーのカンパニー松尾氏、そしてゲストの山戸っちが登壇するというので仕事終わりに駆けつけたのですが、映画本編のスクリーンから溢れる圧倒的臨場感に気圧されてしまいました。自分なんにもしてないのに、なんかやり遂げたなぁみたいな感覚に陥ってしまった。進化系のAVと評することもできるかもしれないが、誰かと一緒に観ても気まずくないからこれはたぶんエロじゃないんだ。
さて、山戸監督のコメントを以下に。(敬称略)
なるべく正確な記述を試みておりますがいかんせん録音録画から起こしたものではないため…雰囲気だけでも伝われば。
松尾「山戸さんはずっと地方に行ってたんだね?こういう映画を観て、プイっとなることも映画監督ならあるかと思うけど、どうでしたか?」
山戸「ここでアンコール上映を観て、帰り道を彩ってくれる映画だと思いました。このポレポレ東中野で処女作の『あの娘が海辺で踊ってる』をかけて頂いて私は監督としてスタートしたのですが、『劇場版どついたるねんライブ』はスクリーンから到来する"夏休み感"があって。夏休みというのは長い時間反復されるものだけど、望むべく日は少なくて、終わってしまう。満ちることのない花火大会、理想だけの夏休みなんです。よく"俺たちは文化祭を続けていくんだ"という映画監督さんとかもいますが、文化祭よりは夏休み、私たちは夏休みが足りてないんだなぁと。夢の中の夏休みに会いに行けるのが映画なんです。映画に夏休みが記録されて残されていく。100年前とか昔の映像は残されることが少なくて貴重だけど、今はYouTubeなんかにたくさんの映像があがったりしていて、価値がすごく落ちてるんだろうな。でも、100年後の梁井監督のお孫さんとか、ハマジムのカンパニーさんの後輩とか、物理的に観ることはできても、今日のこのポレポレで、小原さんが寝ずに音を調整されたというこの映画は絶対に観ることはできなくて。そうして過ぎ去ってしまうものが、土着、文化なのかも。今この日に観れて良かった、そう思える劇場体験。」
松尾「山戸さんが1つの映画を観て、それで壇上に上がってくれるというのも珍しいと思うんですが、山戸さんに釣られてきた人が大多数かもしれませんが、嬉しいです。どついたるねんというバンドのことは知ってたの?」
山戸「風の噂で聞いたことはありました。ライブは映画で初めて観ました。」
松尾「映画で魅力を感じてもらえた?」
山戸「カメラワークとかめちゃめちゃカッコよくて。」
松尾「手持ちでブレブレなんですけどね(笑)」
山戸「編集もすごくよくて。音楽と編集が同位で。気持ちよい編集でした。」
松尾「ゼロから観てもらった人に感じ取れるものがあったらと思っていて、その一人が山戸さんだったという事実が嬉しい。」
山戸「知って下さってる方には、カンパニー松尾さんはお父さんみたいな存在だってわかってると思うんですが、知らない人からすると"コイツ、新しくハマジムに入る奴なのか"って(笑) でももし私が男だったら、こんなカッコイイやつ撮ってハマジム入りたいなって。そうツイッターで呟いてから、お世辞に見られたら嫌だから消したんですけど。」
このトークイベントでは全く触れられていなかったが、山戸監督とカンパニー松尾氏は同じ愛知県出身のいわば同郷の志。去年の末にもテアトル新宿で「おとぎ話みたい(完全版)」の上映後に対談していますね。
(参考:2014.12.14 山戸結希監督×カンパニー松尾監督の対談を見てきました(過去作ネタバレあり) )
松尾「完全版ではない最初の『おとぎ話みたい』をMOOSIC LABOで前情報なしに観て。本当は別の映画を観る予定だったのに、観てしまって。頭がおかしくなっちゃって。バイクで会場に来たんだけど、気づいたら、それとは逆の方向に歩いてしまって。どうやって帰るんだ俺、ってなって。」
梁井「僕はテアトルの方で完全版を観たんですよ。COSMOSのPVが流れた回を。」
山戸「来てくださってたなんて…!」
梁井「COSMOS、カッコイイっすよね。」
山戸「私は去年は阿佐ヶ谷ロフトで『ボクは男の子ですけど、こんなカラダでも興奮してもらえますか?』(梁井監督作品)と出会って。DVD買って。」
梁井「何やってんすか(笑)」
山戸「最初のほうを観て止めたりして(笑)」
松尾「ところで山戸さんは今何やってんの?」
山戸「常に新作に向かって動いてます。」
松尾「新作って、映画?」
山戸「映画です。あとちょっとで発表できます。いま喋っちゃうと芸能界から抹殺されるんで。力と力がぶつかりあって映画が生まれるんだって、実感しています(笑)」
梁井「すごいところで戦ってるんですね。」
山戸「そんなこと言うと、どついたるねんっ!」
松尾「夏休みって、使いやすい言葉ですよね。心の中の夏休み。僕なんかは遠い昔の話で、思い出すことすら出来なくなってるけど、心の中で欲してるのかもしれない。」
梁井「どついたるねんの気だるい感じ。夏休みにダラダラしてる感じ。マジで夏なんかは中野サンプラザの前でダラダラしてますよ。何かするでもなく本当にダラダラ。気だるい印象なんです。」
山戸「実在する夏休みとは違って、走馬灯のように思い出だけがあの世の自分。そういう意味での夏休みという劇場体験。定期試験を狙ってやる、とかじゃなくて。」
梁井「ずっと聞いていたいですね。山戸さんの言葉って、ピンときたりこなかったりするのがいいですね。」
山戸「緊張してブッ飛んじゃうから、映画のテーマはDon't think, feel.なんですけど、ロジカルに。1分くらい時間下さい。沖島勲監督の絵葉書に書いてきたんですけど、まさか感想を書かれるなんて思ってなかっただろうポストカード。」
ここで山戸監督のポエトリーリーディングですが、やはり原文じゃないと意味がない気がして、補いながら記述する野暮は避けます。夏休みな劇場体験について、これでもかというほど詩情豊かに綴られています。
沖島監督は、ポレポレ東中野で山戸監督と対談のような企画があったようです。『おとぎ話みたい』の頃ですね。
ちなみに、『劇場版どついたるねんライブ』のテーマとして、ライターの九龍ジョー氏が寄せたテキストがあり、そこにBruce Leeの言葉(『燃えよドラゴン』のラストのセリフですな)Don't think, feel. が引かれている。
松尾「山戸さんは自分の映画の中で夏休みを再構築してるのかな?夏休みの原体験を、作家として意識していたり、溜まってたものを投影したり。夏休みだからかこれまでの映画は学校の話が多いけど、これから違うところ(ジャンル)にも行くの?」
山戸「再構築というか、解体・構築ではなく、こういう気持ちは、(ポレポレ東中野で『あの娘が海辺で踊ってる』が初上映された)あの時、期待の新作ということでもなし、それでレイトショー新記録みたいなことになってたんですけど。今、『劇場版どついたるねんライブ』を観て、帰り道に、鏡みたいだと思って。『あの娘~』を観たみんなはそういう気持ちだったんだなって。それっておこがましいんですが、『どついたるねんライブten』みたいなこと。」
松尾「テン?」
梁井「10ってことですか…」
山戸「そうです。私は夏休みをループして、冬休み、お正月、お歳暮まで行っちゃうんですけど。私はご縁次第というか、"観客を捏造する"という、商品があって消費者が生まれるということもあるかなと。」
松尾「山戸さんにはこの先、期待しかしてない。どこにいくのか分からない、まだ言えない、でも、(映画を)撮ってくれてればいいや。」
山戸「私は"今これを撮ってます"とか発信しないので、よく"今、何してるんですか?"とか"次の仕事は?"とか聞かれるんです。毎日、新作に向けて具体的に動いているんですけど。小原さんから"一発屋だと思われてるよ"って言われたり。しばらくは、おばあちゃんになって灰になるまでは続けます。」
松尾「山戸さんはそれはだいぶ先でしょ(笑) それまでいっぱい撮ってね。」
松尾「僕たちは月1本とかのペースで新作あるんですよ。多い人だと5本とか。そういうterm(期間)で作ってる。『劇場版どついたるねんライブ』も同じです。早く山戸さんの作品が世界の人を驚かせてほしい。」
梁井「カンヌですよ。」
松尾「山戸さんがカンヌ行くなら、飛行機代くらいカンパするから。」
山戸「カンパニーさんも来てください。カンパニーさん in カンヌ(笑) 中森(明男)さんも、行くって言ってくれました。」
山戸「そういうペースで作ってると、思い入れも少なかったりするんですか?」
梁井「そうですね。劇場でかかると実感がとてつもないから、疲れますよね。AVなんてお店にポイッと渡すだけだけど、劇場体験してますよ、俺も。」
山戸「カンパニー監督は『テレキャノ』『BiSキャノ』に関わって、ちょっと侮れないプロデューサーですよね(・∀・)」
松尾「僕は全ては『テレクラキャノンボール』から始まって、それがヒットしたことでハマジムが劇場を意識したものを作るようになって。それが混迷を深めてしまったのもあるんだけど。劇場作品と違ってAVは批判も称賛もなくて、僕らに上がってくるのは数字だけ、という世界だから。そして、自分で観なきゃいけないというのも映画ならでは。」
山戸監督が気づいた「夏休み」というキーワードがすごい。
文化祭というのは確かにありがちだし、『5つ数えれば君の夢』は文化祭そのものだし、芸術とはそのようなものだと思ってたけど、なるほど、実在の「夏季休暇」ではなく、イデアとしての「夏休み」に共鳴する映画というものが心に深く郷愁をもたらすのかもしれない。確かに夏休みって、早く来い来い夏休みって感じだし、終わっちゃうと悲しいけど、その間の40日間が全部待ち望んでいた夏休みなのかというとそうでもなくて、それは40日間もフルで遊び尽くせないという人間の、子供の性なのかもしれないけど、でもやっぱり夏休みってだけで、次の年も同じように待ち望んで、同じように持て余してしまうのかもしれない。その、持て余してしまうという構造が、夏休み的な映画にあるという意味ではなくて、結局僕らが憧れる夏休みというか、夏休みのイデアというものが確かにあって、その触れようもなく叶えようもない夢が、今、僕が対面した映画と同じ種類のものなのかも、といった具合に、とっくに夏休みを失ってしまった大人が思っているのです。というか、山戸監督が僕らがなぜ山戸監督作品に狂うのか、その理由にちょっと気づいてくれたみたいなのが嬉しい。
新作を待望していた山戸ライトとしては、もう、待ちきれないっす。
続報お待ちしております。