「産んでくれてありがとう」と思える人生を送りたい | ~風になりたい~

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両親の介護と看取り記事が終了
現在は遠距離でお付き合いしている彼のことや
愛犬のこと、お仕事をしていて感じたことなど
日常を綴っています
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子どもを産む事、産まれることって、

自然なことでもなく当たり前ではないと

改めて思うようになりました

 

というのも

五年前に嫁いだ娘夫婦には

まだ子どもがいません

 

まだ妊活のスタート地点に

立っていないのかもしれないし

夫婦間に思いの差があるのかもしれないし・・・

 

娘が婿に

「周りの友達は子育てしてるのに自分は・・・」

と話をしたということは聞いていますが

あえてあまり触れていません

 

 

結婚したら命を授かるということは

ごく自然なことでもなく

当たり前の事でもない

 

 

そして私は

ひのえうまの年生まれで

出生率が極端に少ない年に産まれているので

産まれてくることも

あたりまえではないという思いは

ありました

 

 

 

 

 

本当かどうかわかりませんが

人工中絶が多かったという話も聞きました

 

そんな中で命を授かった

私の両親

 

「女の子だったら苦労をするから」と

親戚に言われていたけど

母の「産む」という気持ちは

変わらなかった

父から教えてもらいました

 

もしかしたら宿した命は

男の子かも知れないと

期待していたのかもしれませんね(笑)

 

その話を聞いたのは

同居を始めた頃

 

まだ両親ともにピンピンしていた時で

母の私に対する冷たい態度や暴言で

傷ついていた時に聞かされました

 

 

母は私が幼いころから

冷たいと思える言動を繰り返していました

だからとても怖かったです

 

言うことを聞かないと

どんな目に遭うのかわからないと

ビビっていました

 

今なら虐待だと近所から言われるようなことも

ありました

 

そんな母親にはならないと

ずっと思って生きてきました

 

 

今さっき、WIKIで丙午について調べていたら

「厳しくしつけられた」という一文もあったので

丙午だから厳しくしつけないと

手に負えなくなるとでも

思ってたのでしょうか(笑)

 

 

私を産むことを

周りから反対されてたことを父から聞いて

私は母の事を

大事にしようと決めました

 

どんなことを言われても

流していけると思っていました

 

認知症が進むにつれて

発言も、ただの針だったのが

毒針に変わり(笑)

一緒に暮らすことが家族みんなの

精神衛生上、良くないと判断し

足が浮腫み、痛みで歩けなくなった母をなだめて

入院してもらい

亡くなるまで家の敷居をまたぐことは

ありませんでした

 

あまりの暴言に

「どうして産んだ」

と母に言い放ったこともありました

 

「勝手に生まれてきた」

と言われた言葉に私は

「この人を看取るために産まれてきたんだろうな」

「それが生まれてきた私の役目」

なぜか、ふと思ったことも

つい昨日のように思い出します

 

もし、母が身内の意見に従っていたら

私は今、ここにいない

 

 

 

ブロ友さんの中には

ご存知の方も多いと思いますが

2018年11月7日に母が亡くなり

34日後

12月10日に父が亡くなりました

 

 

2019年は遺品の整理や気持ちの整理をし

後から後からやってくる寂しさが

少し落ち着き

これからは心穏やかに

自分の人生を自分のために歩んでいこうと

介護離職後の社会復帰をし始めようとした

2020年から

新型コロナウイルス(COVID-19)

が日本中を蔓延し

大嫌いだったマスクを着用し

目に見えないウイルスにおびえる日々

 

 

2020年2月には

ロシア軍によるキーウへの

砲撃や空襲が開始され

近年においては日本でも物価が高騰し

以前にも増して

節約をせざるを得なくなりました

 

息苦しさを感じる時には

産まれてきたことや

母の暴言や暴力で

命を絶つことをしなかった自分を

悔やむこともあり

「なんで生きてるんだろう」と

思うこともあります

 

 

今はアレンの為かもしれない・・・

 

 

母親のおなかに生命が宿り

産まれてくることは

実は自然なことではなく

とても大変なことで

産まれてきてからは

ひのえうまであろうがなかろうが

生きていくことも

育てていくことも

実は大変なことだということを

この歳になって

改めて感じています

 

 

極端に少ない

1966年(昭和41年)

ひのえうま年の命

 

3年後には

60年に一度の

ひのえうまの年が来ます

 

今の時代は

「ひのえうまだから」と

迷信を信じる人は

いないでしょうけど

どんな命も大切な命であることには

変わりない

 

どんな命も意味があって

産まれてきていると

私は思っています

 

 

いつになるかわからない

私自身の最期の時に

「産まれてきてよかった」

と思える人生であってほしい

そして

産んでくれた母に

「産んでくれてありがとう」と

思える人生を送れてるといいかなぁ

 

これからも毎年

母の日や私の誕生日

両親の誕生日には

いつもこんなことを思うんだと

思います