青空の向こう | つねにコーチであるために

つねにコーチであるために

いつも話を聴く姿勢であり続け
いつも相手を認めることを忘れず
人として生ききることを目指している。
つねにコーチであるために、一期一会一日一日を大切に歩んでいます。

義父の13回忌で松島のホテル松島大観荘に来ている。

 

松島が一望できる露天風呂で、星空を見上げながら、「今ここ」に意識を向け、自分と向き合ってみた。

 

人は誰でも、心の中に「青空」を持っている。

 

「青空」というのは、自分の原点というか、そこに帰る場所というか、心を「無」にした時に広がっている世界を表現している。

 

心の中に邪念が広がっていると、「青空」は見えないので、邪念は「雲」のような存在だ。

 

厚い雲に覆われた青空は、どんよりとして、時に雨や雪、場合によっては雷を落とす。

 

心の中の邪念を取り払った時、青空に触れることができるのだが、実は、その青空にも向こう側があるのだと、星空を見ながら気がついた。

 

青空は、太陽の光に照らされた宇宙であるが、その向こうには、無限の宇宙が広がっていて、そこには無数の星が瞬いている。

 

SMAPの曲に「夜空ノムコウ」という曲があったけど、今日発見したのは「青空ノムコウ」だ。

 

「夜空ノムコウ」では、明日がもう待っている〜♪と、時間の経過を歌っているけど、ボクが発見したのは、「青空ノムコウ」には、無限の宇宙と星が広がっている〜♪ということだ。

 

ただ、それだけでは、「当たり前じゃん!」で終わってしまうけど、気づいたのは、「青空ノムコウ」は、追い求めても届かないけど、明らかに存在しているということ。

 

ここから何を学んだかというと、追い求めても届かないことにフォーカスするのではなく、今手が届く、感じられることと向き合うことが、自分を最も認めることになるということ。

 

言い換えると「自分として生きる」「自分らしく生きる」ということ。

 

少し観点は違うかもしれないけど、終わりのない原因を追求しても、本当に必要な(幸せになるために必要な)答えは見つからないのだということ。

 

原因を追求するよりは、今自分に与えられているものと向き合って、どうすれば心が求めている感情を手に入れられるのかということに注力する方が、幸せに生きられる可能性が高いのではないか?

 

「原因論」と「目的論」の議論に近いのかも知れない。

 

などと、温泉に浸かりながら松島の夜空を眺め、思いにふけって見た(^^)

 

明日は渋滞を覚悟して、東京に帰ろう(^_^;)