11月末をもって、定年まで勤めた百貨店をリタイアして、2年が過ぎようとしてい
る。居場所と出番を確保した絆ビジネスで、多文化共生、多世代交流型の地域コ
ミュニティを志向し、街の頼れる法律家 行政書士の職分を全うすべくチャレンジ
を重ねてきた。

地元NPOに入会したが、理事会の開催を避け、機関決定ないままに理事長権限をか
ざす方の独走の前に、志半ばで理事改選期を機会に退会しもした。

自ら手を挙げて入会をし、理事長の一方的裁定による理事成年後見部会長の就任
も受け入れたものの、組織力量を顧みることなしに法人後見受任ありきを先行す
る姿勢に納得できずにいたのだが、後に成年後見受任事業の補助金を受けていた
ことを知るのだった。総会は元より、月々の事務局会議でも、そうした説明を伺
うことは無かった中で、その事を知り、不信感はいやがうえにも増幅したのだっ
た。

まさに地域ヒエラルキーの硬さを思い知った経験でもあった。

成年後見法学会第8回学術大会や西郷真理子さんに啓発させられた長浜黒壁商店街
まちづくりの現況など報告をもって、今後の自らの立ち位置やアクションプログ
ラムを整理することが、本日のブログの意図であったのだが、話がずれてしま
い、タイトルに反したようだ。

立命館大学朱雀キャンパスを会場にして開催された10月29日の成年後見法学会第
8回学術大会を挟んで、

前日は、大阪駅と繋がる伊勢丹三越、ルクア、大丸、天王寺キューズモール、難
波パークス、髙島屋を巡り、大阪の友人と法善寺周辺で会食。

京都店の外商部長を歴任した彼は、長浜にも外商事務所があったことと、近江八
幡の日牟禮八幡宮にあるたねやの和菓子、洋菓子の店を勧めるのだった。

学術大会終了後、二条駅から京都に出て、満員の新快速で長浜に向かった。

翌朝、小雨模様の中、琵琶湖の岸辺を回り、静な湖水に目を遣る。

琵琶湖辺りに来ていることを身体に染み込ませ、午前9時を過ぎた頃、黒壁商店街
へとユータンした。

前日も、夕食の場所を探しにシャッターの降りた商店街を歩いては見たのだが、
趣を感じるには至らなかったのが率直な感想である。

入りたい店も決まらず、彷徨ってしると懐かしフォークソングの歌声が、まるで
歌声喫茶そのものの風情が伝わる。観光客というより、地元の人が集って来てい
るように見えた。

翌朝、その喫茶店のママらしき人と二言三言会話を交わした。

かつてライブをされた縁で、フォークシンガーが定期的に指導にあたられている

とのことであった。

次回の参加を促されたのだが、旅行者故難しい旨を伝えてお別れした。


日曜日と言う事もあってか、10時を過ぎると続々と観光バスが到着し団体の観光客の

数が膨れ上がって行く。土産物屋へも人々が吸い込まれ、まちづくり役場なるブースから、

地元の識者を加えた有線放送も流れる。

長浜黒壁商店街は各所のイベントが盛り込まれていて黒壁スクエアを中心に活気づいて

いることが手に取るように伝わる。


昨晩経験した、シャッターを下ろした後の商店街とは様変わりした様相。

長浜黒壁商店街の底力を見た思いだ。


昼前に長浜を後にして、近江八幡へ向かう。


百貨店時代の関西の友人の教えの通り、日牟禮神社の洋菓子屋倶楽部ハリエを

目指し、雨の中を歩き続けた。途中、たねやの本店を覗き、一路日牟禮八幡宮へと

歩を進めた。


観光バスの駐車場を横切り、路地裏に進入すると郷土資料館等に出くわし、さらに

路地を伝っていくと近江商人の町並み散策となっていた。


八幡堀当りの景観は特に素晴らしく、小雨も情緒を盛り上げる。


長浜黒壁商店街はやや人工的な作りを感じてしまったのだが、ここ近江八幡の町並みは

上品に整然としており、城下町の風情も残されており和らぎを感じて止まないのだ。


いいところに来た。率直な感慨であった。


赤の他人丼の名にひかれ暖簾をくぐったお食事・浜ぐらも八幡堀の風情になじんだおしゃれな

お店だった。ビ―ルが喉腰を心地よくし、ささやかな近江牛も食することができたのだった。


予期せぬ旅での出会いをビアの酔いとともに楽しむひと時を得るのであった。


さらに、京都に戻り、大丸、高島屋間を錦小路を抜けながら通り、祇園花街の町並みを巡り、

京都に訪れると恒例となった三条大橋賀茂川沿いのスタバでの一服と私的京都体験を

圧縮した中で、楽しんでみるのだった。


グルメに高じるのでもなく、神社仏閣詣出の観光でもない、心地よいまちの景観との出会い、

日常感を求め、ひたすら歩き続ける自分自身の性を弄びながら、この年にして未だ自分探し

に明け暮れるのだ。


自宅に戻ったのが昨晩遅くであった。新横浜到着後、土産物を届けに神奈川区の実家に

泊まり、夕方には失念していた成年後見研修に出かけたからだ。


こんな気ままな時の過ごし方を喜びとする定年後の自分であるのだ。



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