JR十日市場駅近くの図書館に、予約していた根本祐二著「朽ちるインフラ」を受け取りに、

冷たい秋の雨を掻い潜り、上品な佇まいの続く住宅街を抜けて行こうとすると、民家の庭先に

実る柿や栗を目撃。


灼熱の夏を終え、じっくりと味わうべき秋さえも瞬間芸のように通過していく季節の気まぐれに

戸惑いながら、柿と栗に目を添える。



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いくつかの栗が落下し、殻を崩して散らばってもいる。そのことが、暦でいう寒露を示すように伝わる。


もう晩秋に辿り着いているのかも知れぬと感慨を胸に、図書館まで、秋雨の中を疾走してみる。



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季節を味わう時間と、心の構えができる齢となり、その「時間(とき)」と「空間(くう)」を巡りながら、

目指すべき獲物へ焦点を当てる。



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自然を操作する季節(とき)はいたずら小僧のように、人を誑(たぶら)かし、迷わせ、弄(もてあそ)ぶ。


そして、図書館で手渡されたのが「朽ちるインフラ―忍び寄る もうひとつの危機」


根本祐二氏は、1980年代の「荒廃するアメリカ」の歴史に示されたように、建築物、道路、橋梁

などの社会資本が朽ちていく実例から、日本も1964年の東京オリンピック景気を沸かせた幾多の

公共施設が老朽化の危機を迎えると言い、


今回の大東大日本大震災の余波として、首都圏の公共施設に被害をが及んでいるとも指摘。


東日本大震災の復旧復興と共に、公共施設の老朽化という「ゆるやか震災」への対応も急務だと

断じられる。


2014年は、東京オリンピックから50年目の年だそうだ。


朽ちいく恐怖は、自然の脅威だけではない。

人類がなした作為からのしっぺ返しと思われる出来事も後を絶たない。

マヤ暦の終わりの年も目前だ。


不気味な春、不気味な夏、不気味な秋と季節の変化を追うように不気味さはつき従って来る。