7月30日の、永山子ども基金チャリティトークにおいて、太田昌国さんンは、メディアが総じて、
3.11東日本大震災によって、日本社会に変化が起きたような言説が流布されているが、
日本国が米国の属国であることに変化はなく、沖縄は「大和」、東北は「首都・東京」に支配され
ている構造は、揺るぎないと断言された。
8月3日の日経新聞朝刊「文化欄」での五木寛之さんは、「第2の敗戦」と受けとめ、「物の考え
方、感じ方も、3月11日以前と以後とでは、がらっと変わった。何をするにも必ず一つの色が
入り込んできて、その色を通してしか周囲が見えない、という実感がある」と。
同じく、8月5日の日経新聞朝刊「文化欄」の吉本隆明さんは、戦中と比べ「あのころの東京は
人々も、町中の印象も、どこか明るくて単純だった。戦争で気分が高揚していたせいもあった
ろうが、空襲で町がやられた後でも、皆が慌ただしく動き回っていた。今度の震災の後は、何か
暗くて、このまま沈没して無くなってしまうんではないか、という気がした。元気もないし、もう、
やりようがないよ、という人々が黙々と歩いている感じ」と心象風景を語りながらも「この震災を
発想転換のまたとない機会ととらえれば。希望はある」と一条の明かりを求めている。
それぞれの、原体験があっての考え方、感じ方であるのだろうが、三者三様であるところが
興味深い。
3.11福島原発震災は、全国的に「反原発」の機運を高め、市民運動に一つのうねりを与えた。
8月4日も、急遽と言っていいペースで、議員と市民による緊急院内集会が持たれた。
省庁交渉に入る前に、事前集会として、「もんじゅ」を巡る状況について
原発反対福井県民会議の小木曽美和子さんから、開発に2兆円をつぎ込み、40年以上たった
現在でも、まともな発電も、今後の見通しの立たない現況が切々と報告された。
元京都大学原子炉実験所講師である小林圭二さんからは、高速増殖炉の致命的な欠点に
ついて、軽水炉との違いや、海外プラントのナトリウム漏えい件数などを交えた指摘がなされた。
次に、社民党の吉田忠智参議院議員、福島瑞穂党首からあり、脱原発へ強い思いが伝えられた。
●吉田忠智参議院議員
http://www5.sdp.or.jp/member/yoshida_tadatomo.htm
また、民主党の平山誠議員は、3月10日に高速増殖炉もんじゅについて質問主意書を提出し、
5月23日の決算委員会、6月8日の災害対策特別委員会でももんじゅについて質した経緯も
あってか、熱く、連帯を込めた発言が続いた。
http://ameblo.jp/hirayama-makoto/
平山さんについては、田中康男さんの講演を横浜野毛のにぎわい座で行ったときに、秘書
として帯同されていたことをを記憶している。
田中康男さんが、2009年の選挙で、参議院から衆議院に鞍替えされた際に、その後任に
就任されたことまでは、知っていたが、新党日本ではなく、民主党へ移られとは知らなかった。
原発問題では、超党派議員として、時にはエキセントリックに、省庁側を責めている場面を
何度かみてきたが、何故に原発問題に執着されているのかはよく理解できていないので
研究してみたいと思う。
たまたま、同じamebloのブログをお使いなので、手始めに読者登録から始めようと思う。
省庁交渉入りして、まずは財務省の主計官から、平成24年度の「もんじゅ」についての予算の
考え方を問うが、予算化を起案するのは文部省であるとの超原則論で応じ、それ以降は不明と
日本原子力研究開発機構の敦賀本部のもんじゅの副所長さんは、会場のヤジにエキサイト
したのか、語尾も荒々しくなり興奮収まりない場面が数度あった。
高速増殖炉内のナトリウムについての言動では、今までの見解と違っていた部分があった
文科省の担当者も、顔色一つ変えず、官庁答弁に徹する様子がありありと見えた。
最後は、主催者側から、脱原発の署名を受け取る役回りをされた。
経産省の政務三役との面会が実現できるとのことで、16時30分の終了が30分繰り上がった。
17時からは、弁護士会館で原爆労働者問題シンポジウムに参加するため、参議院議員会館の
講堂を足早に出、弁護士会館へ向った途中に、先ほどの文科省の担当者が、三人連れで同じ方向
へ歩いているのが目に入った。
何やら、省庁交渉の経緯について、話が及んでいる気配は感じられたが、会話の内容までは
解らない。立場的にも率直には話せないのは理解が付くのだが、言葉の使い方一つで、人間性が
問われるのも、また、確かなことではある。
3月11日以降に、本格的に日本社会が変わっていくためには、道遠しであることは察しはつくが、
この契機を放置するのではなく、活かす努力はなされなければならないとは思うのだ。