昨日(19日)18時30分から、神奈川県民サポートセンターでの横浜まちづくり塾に参加。


横浜都市発展記念館の学芸員である岡田直さんによる「東海道線と横浜の都市形成」と


題する興味深いお話を伺う事ができた。


お話の概要については、ご本人のレジュメのまとめに要約されちるので、その部分を引用


しておきたいと思う。


「まとめ


■幕末の開港により神奈川に代えて横浜が都市として発展。


■東海道本線(近代の東海道)と都市横浜の接点が不安定(初代・二代目横浜駅、平沼駅)


 震災復興により横浜駅の位置は旧「横浜」から旧「神奈川」へ


■都市内(大正期の市域)交通は昭和30年代まで路面電車。


■戦前より高速郊外電車(私鉄)が、戦後は国電と地下鉄(市電の代替)も横浜駅へ一極集中。


 これらの鉄道網とバスが昭和期以降の横浜市域全体の交通を担う。


■都心機能の一部が横浜駅周辺(旧神奈川)へ移動(都心の分解)。横浜の都市構造は


 他都市に比してターミナル駅の位置に大きな影響を受けた。駅に翻弄された都市。     」





1872年(明治5年)に、「汽笛一声新橋を はや我が汽車は離れたり・・・」と、東京「新橋」から


「横浜」(桜木町)に向けてわが国最初の蒸気機関車が走り始め たという歴史的な出来事は、


それなりに知っている方は多いと思うが、県名となった神奈川と開港地であった横浜との位置


関係についてはどのくらいの方が御存じなのだろうか?


学芸員の岡田直さんは、神奈川宿と横浜(桜木町)」の位置関係を対比されながら横浜駅の


変遷の経緯を解き明かされる。



新橋と桜木町間の停留所の一つであった「神奈川停留所」は、神奈川宿の場所であり、現在の


青木橋付近であるという。「横浜停留所」は開港場埋立地に位置し、現在の桜木町駅に当たる


という。


米国は、日本政府に開港地に神奈川を求めたのだが、政府は、江戸に近いということで、神奈川


の「横の浜」横浜を港にすると回答したという横浜開港物語のイントロとして有名な歴史的事実を、


語りながら、神奈川と横浜の宿命的な関係を示唆されるのであった。


そして、横浜(桜木町)のネームバリューが高まる中で、行政、経済・金融、商業サービスなどの


都市機能が関内周辺に集中したが、横浜駅の場所の変遷により、商業サービス機能は横浜駅


周辺に分化し、旧神奈川の宿に位置することになったと付け加えられ、横浜の都市形成を地理


学者らしい視点で解説された。


さらに横浜まちづくり塾参加者のの興味を引いたのは、


全国の大都市における旧都心地区(=100)とターミナル駅周辺の地価の推移を比較して、


横浜の(伊勢佐木町・関内と横浜駅の地価比べ)指数が347と飛びぬけて駅周辺の地価が高い


ことを実証された。



横浜都市発展記念館では4月16日から6月26日まで「昭和の東海道 「六大都市をめぐる。」


企画展が開催されているという。


横浜住民でありながら、横浜都市発展記念館についてはよく存じなかったが、岡田直さんの企画でも


あるということで、時間をつくって、是非訪れたいと思う。



○横浜都市発展記念館 ミュージアムで地図のある風景を楽しみませんか?

http://www.tohatsu.city.yokohama.jp/

チラシ
http://www.tohatsu.city.yokohama.jp/pdf/SyowaTokaido-chi.pdf