Twitterの相互のフォロアーであるにも関わらず、

今の今迄、団鬼六氏を「だんおにろく」と読まず、「きろく」とばかり呼んでいた。

フォロー返しのコメントに「これからもよろしゅーに・・」とのダイレクトメッセージ

を頂いた。

団鬼六さんの名は、氏の本を一冊も読んではいない私だが、SM官能小説家として、

その名が染みついているのは事実だ。

「縛り」の文学、エロチックにはあるが、極めておどろおどろしくは聞こえる。

SM映画の女王・谷ナオミ(後に監督もされる)を見出したのが団鬼六さんだとの

風評もあるが、私には、そうしたサブカルチャー情報が団鬼六の印象を形づくって

いたようだ。

昭和の終わりから23年、平成の時代の真っ盛りの中での終焉に、あの小向美奈子の

存在が、さらに色濃く影を落すことで、団鬼六の実像を歪めているのか解らないが

団鬼六さんの死をもって、「昭和は遠くなり」は実感ではある。