何気なく目を向けたテレビに、地井武男さんがナビゲーター役の「ちい散歩」で、横浜市神奈
川区にある大口商店街と周辺の町並みを取上げていた。
ここ最近は、横浜でも馴染みの東神奈川や白楽周辺など横浜でもそれほどメジャーではな
い処にスポットを当てていたが、自分が育った「大口」までも取上げるとは正直驚いた。
リタイア後の暮らし方の一例として、「ちい散歩」での地井さんの彷徨う姿には魅力を感じて
いた。
バイプレーヤー「地井武男」の晩年がこうした形で輝くのはうれしいものだ。等身大で演じる
地井さんの姿に勇気さえ与えられる。
昼過ぎに旭区の区役所に出向き、成年後見に関する書類の作成のために「住民票」と「戸籍」
「改製原戸籍」の請求手続きを終えた後、朝方見たテレビの影響もあって母親の住む大口仲
町の実家に立ち寄った。
相鉄線の鶴ヶ峰駅から横浜駅に出、京急で子安駅で降りた。
JR横浜線大口駅からは逆方向での「大口商店街」をスルーするのだ。
私がまだ、大学生だったとき、この子安駅から赤軍の文字の入った赤ヘルを手にした同い年
位の青年を目撃したことがあった。その日、私も参加した同じ場所の政治集会かデモの帰り
であったのだろうか。確かでないが、手に持ってぶらぶらさせていた赤軍の文字の入った赤ヘ
ルはとても印象強いものがあった。
oguti一番街・・・・ 子供の頃は「大口第一商店街」と呼称していたように記憶している。
第2国道を挟んで、子安駅側が第一で大口駅側が「大口第二商店街」であったように思う。
小学校のときに学んだときには、大口商店街は横浜市の五大商店街に数えられていた。
京浜第二工業地帯を周辺に控えていたこともあり、庶民的な商店街であった。
大口第二商店街の中央部、向かって左側に「曙商店街」がつながり、七島町のミニ商店街
へと流れていく。
右前方の、八百屋の「水翁」のご主人はテレビで地井さんと掛け合いをしていた。今も元気に
接客に昂じていた。
薩摩揚げの種類が多い能登屋蒲鉾店。大口第二商店街には、ここの本店と支店がある。
私も子供の頃から、好きな食べ物の一つであった。
テレビ放映の影響か、アルバイト風の若い販売員も増え、店の元気さをアピールしていた。
テレビ番組の中でも、地井さんは大口商店街の涌いてくるようなエネルギーを褒めたたえ、
元気さが体一杯に感じると評価も加えた。
シャッター通り化する多くの商店街、昔を知る私には現在の大口商店街も同様に感じていた
のだが、番組を通じて多くの商店街を 見聞きしている地井さんにとっては別の見方ができて
いるのかもしれない。大口商店街に新たな町興しの必要を意識していた私は、こうした地井さ
んの評価される部分をもっともっと拡大再生産し、アピールしていくことが大口商店街の将来
にとって肝心だなことだと思うのだ。
「お買物は何でもそろう おおぐち通商店街」
地井さんはこのフレーズが気にいったのか、商店街の気風を感じ取り、ワニの絵柄に言及さ
れる。
私も、大口商店街のワニのキャラクターの存在については知らなかったのだが、商店街関
係者の言うことには、ワニやかばは口が大きいことから、商店街のキャラクターに採用した
とのことであった。
吹奏楽で定評のある地元の高校の全国大会出場を祝う幕を掲げていた。
大口仲町の実家を離れて有に四分の一世紀が立つのだが、変わったようで変わってもいな
い大口商店街に、時代に取り残されたとの私の一方的な断定は誤りであったのかもしれない。
「ちい散歩」の取上げによって、再び輝きを取り戻すかもしれないのだ。
いたずらに近代化させればいいというものでない、そんな感慨をもって懐かしの大口商店街を
今一度、眺めてみるのだった。
●ちい散歩横浜市神奈川区大口(前編)
http://www.tv-asahi.co.jp/sanpo/
●ちい散歩横浜市神奈川区大口(後編)