その1では歴史的な建築物を三箇所巡ってきたのであったのだが、その2ではお店編になる。

最初のお店は、紳士、婦人の専門店として名を為している信濃屋だ。元町が本店格と思って

いたのだが、歴史的には馬車道店の方が古いらしい。


●信濃屋

http://www.y-shinanoya.co.jp/about.html



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伝統にこだわるものづくりということもあってか、本館のオーダーサロンや馬車道通りに隣接し

ている別館のアトリエを案内して頂いた。



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開港投じの横浜を再現する馬車道祭りでは、このアトリエで製作した鹿鳴館調の衣服を

まとって英国製の馬車や人力車に乗ったり、練り歩くそうだ。


●馬車道祭り

http://local.goo.ne.jp/leisure/spotID_TO-14002222/



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デザイン画も拝見させて頂いた。


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別館の入口には、その衣装が飾られていた。



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ふと、パリのエルメス本店内、アトリエ、バックストックを案内してもらった時を思い出した。

その時の印象よりも当然に小粒ではあるが、通じる趣がある。きっとものづくりへのこだわり

を感じたからだと思う。



次の店は、平安堂薬局。


信濃屋の創業は1866年(慶應2年)弁天通に店を構えたそうだが、平安堂薬局は1870年

(明治3年)に開業して140年。現在の店主は5代目に当るそうだ。

2階の教室で薬剤師でもある、その賢夫人により、薬局の心得など、白いボードを用いたミニ

レクチャーを2,30分受けるのだった。




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●平安堂薬局
http://www.heiandoo.jp/


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屋号を紀伊国屋として開業し、家伝薬「上記平安湯」を販売し、評判がよいために商品名の

「平安」をとって清水平安堂に改名した話や、内装を西洋型の店舗にしたことなどの紹介や

写真の現像には薬剤が使用されたことから、薬局にカメラ屋が隣接していた事情を披瀝され、

なるほどと納得もするのだった。


また、3代目の清水藤太郎氏は薬学博士であり、現在の東邦大学の教授になられたともいう

経緯から、薬剤師の育成に力を入れていることなどに触れ、昔は商売にも心得があったことを

懐かしむようにお話しされるのだった。


馬車道通りを、単にウインドウショッピングだけをして通り過ぎていたのでは、知ることのない

情報に触れ、横浜ローカルツアーなるものの有意義さを実感したのだった。


つづく