夏休みを利用して、8月2日の「社会起業支援サミットin神奈川」に参加し、
8月7日の東京サミットにも参加する予定にしていた。
そして東京サミットの翌日には長女のいる仙台を訪ね、変貌した仙台地
区の商業現場を視察する計画を立てていた。
当初は、8日と9日の土日を使って、仙台地区商業視察旅行を企画して
いたのだが、長女が動態薬学研究室での実験作業の進捗に目途が立た
ないとの報告を受け、出発を一日順延せざるをえなくなってしまっていた。
にもかかわらず、鴨川の教授の処に出掛けるなどしているうちに仙台行き
の前日が「社会起業支援サミット2009in東京」の開催日とインプットされ
ていて、8月7日には一人で暮らす実家の母親の元へ訪れたりしていたの
だった。
8月8日、田園都市線青葉台から半蔵門線九段下を経由して東西線早稲
田へと勇んで向かった。
開始時刻の14時が間近に迫る。早稲田正門前の通りが思いのほか人が
少ないので、やや焦りを感じながらも急ぎ、校内の大隈重信の銅像を横目
にしながら14号館を目指すのだった。
館内のエスカレーターで2階へのぼり、お目当ての201教場のドアを開
けたのだが、教場には人っ子一人いない。
会場でも変更したのかと、張り紙を探すのだが何処にも見当たらない。
館内を出て、近くにいた女子学生に14号館の在り処を尋ねると16号館と
表示されている建物に案内されてしまう始末だ。
いらいらを抑えながら、持参していた「社会起業支援サミット2009in東京」
のチラシを鞄から取り出して、女子大生に示そうとしたときに、目に入った
のは8月7日の文字だった。
茫然自失、唖然とし、言葉もなかった。
確実なボケの始まり、忍び寄る老いの兆しか、これもまた人生などと訳の
解らない混乱が私の頭の中を巡り、2009年8月8日の現実を目の当たり
にするのだった。
大隈翁の銅像の後姿も、こころなしか侘しく、力なく見えてしまうのだった。
●change maker 社会起業支援サミット2009in東京