●盧溝橋事件

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9B%A7%E6%BA%9D%E6%A9%8B%E4%BA%8B%E4%BB%B6



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東京・総評会館2階の大会議室で18時30分から開会。

用意してあった席を追加するほどの動員が図られ、司会の佐高信さん

に言わせると、澤地久枝さんの人気と石川好さんと佐藤優さんの組合

わせによるものとの自己評価が冒頭なされた。


また、佐高さんは城山三郎原作の「官僚たちの夏」に出てくるミスター

通産省といわれ、佐藤浩一が演じている「風越真吾」のモデルになった

佐橋滋次官は非武装平和主義者であることを踏まえてTVを見て欲しい

と付加えられるのであった。


●TBS日曜劇場「官僚たちの夏」
 http://www.tbs.co.jp/kanryou09/



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演題である「大岡昇平・五味川純平そして城山三郎」は、佐高信さんの

発案によるものなので、澤地久枝さんが好き勝手に話をして欲しいとの

発言が佐高さんからあり、また、澤地さんは78歳というご高齢の上、

病院で検査をしたばかりで体力を消耗されているとの報告があった。



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検査は問題はなかったが、勢力を使い果たしてしまったと澤地さんは言

いながらも終始持ち前の早口は変わらず、演題に沿って準備されて

きたことに忠実にお話されようと努められていた。


●澤地久枝

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BE%A4%E5%9C%B0%E4%B9%85%E6%9E%9D


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講演内容については、別の機会に触れたいと思うが、一貫して戦争の

悲惨さ軍部の非業を糾弾され、日本が中国に対して行なった行為は

擁護できないと毅然と言い放たられるのだった。



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司会の佐高さん、無事にお話が終わられたことに触れ、座席に戻って

ガクッとならないかの心配をされるのであった。



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第2部までの休憩時も、

お知り合いと元気に会話をされていた澤地久枝さん。


開会の挨拶が予定されていた土井たか子さんは体調不良で欠席と

の報告があった。



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第2部のパネルディスカッションは「戦争文学と日本人」について


澤地久枝さんと佐高信さんに、石川好さんと佐藤優さんが加わる。

石川好さんと佐藤優さんは初対面で、両人とも澤地さんとご一緒

できることを参加理由とされていた。



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日中の出来事を漫画で表わされているものを集め、まず南京記念館

で展覧会をやろうと取組んでいることを紹介される。



漫画で描かれた本を開いて、会場に示される佐高さん。



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中国にはいくつかの抗日記念館があり、日本には一つもないのは、

日本が侵略戦争をしたが故だと主張される。



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澤地久枝さんが五味川純平さんに師事されたたことを踏まえながら

佐藤優さんは会場に向かって、「人間の条件」や「戦争と人間」を読ん

だことのある人は挙手するようにと求め、この2冊は絶対読むべきだ

と主張されるのだった。


私は、正直2冊とも読んでいないが、小学生のときにTVで雪降り積む、

厳寒のシベリヤを行進し、収容されるなど、人間の極限の在り様をを

混乱の中で体験していく青年「梶」役の加藤剛が主演していた「人間の

条件」には記憶がある。


●加藤剛

http://www.adnet-sakigake.com/kyo/interview/kato/kato.html



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佐藤優さんはシベリヤ収容所に送られた梶には姓はあっても名がない。

姓はあっても名がない社会が軍隊なのだ。自分のいる外務省も同じだと

言い、


人間が中心となる社会は名で呼ばれるのだと念押しをされ、



軍隊も官僚組織も同質であり、人間が中心となる社会とは区別された

ものであることをずばりと指摘されるのであった。



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7月7日のイメージは七夕であり、年に一度の織姫と彦星の

ランディブーだった。


日中戦争の導火線となった盧溝橋事件を連想することなど

全くといってなかった。



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自宅に着く直前、空を見上げ、雲に隠れつつもある満月に

目をやる。


1937年7月7日、北京の西南に位置する盧溝橋の空模様がどうで

あったのか?


事件に巻き込まれた人々は、その日夜空を見上げたのだろうか。

 

2009年7月7日に生きる私と切り結ぶものありや。