『大人のいない国』 成熟社会の未熟なあなた 

鷲田清一×内田樹  (プレジデント社)

http://www.president.co.jp/book/item/317/8081/

団塊のマーケッターのブログ


タイトルに引かれて、近くの図書館で借りた本。


表紙裏にこんなコピーがある。


気づいてみれば、みんなで「こんな日本に誰がした」を大合唱。

誰も「こんな日本に私がした」とはゆめゆめ思っていない。

老いも若きも「責任者を出せ!」と騒ぐクレーマー天国で、

絶滅危惧種「本当の大人」をめぐって二人の哲学者がとことん語る。


とある。


二人に哲学者とは、失礼ながら全く存じなかったが、

私と同世代にあたるという

大阪大学総長の鷲田清一先生と神戸女学院大学教授の

内田樹先生


学者としての矜持がぷんぷんするが、軽妙洒脱な物言いに

頷くこと、共鳴させられることが多かった。

そして、社会的な現象をいいあてる言葉遣いには、さすがと

思わせるところが随所に見受けられた。


プロローグ(成熟と未熟ーもう一つの大事なものを獲るために)

では鷲田清一総長はこう記される


『耐震偽装問題、偽造メール事件、食品偽装問題での、疑惑を

指摘された企業や政党の責任ある地位についているひとたち

子供だましのような発言と行動をくりかえす。その光景に多くの

人は唖然とした。人を食った発言のあと、まわりに責められて

こんどは陳謝する。芝居がかかっているのはだれにもすけて

みえる。「子供の学芸会でもあるまいし」とだれもが思う。

こんな幼稚なひとがあんな重大な仕事にかかわっていたのか、

と。』


『こんな幼稚なふるまいが通る社会というのはしかし、皮肉にも、

成熟しているのかもしれない。』


『働くこと、調理すること、修繕をすること、そのための道具を磨い

おくこと、育てること、教えること、話しあい取り決めること、

看病すること、介護すること、看取ること、これら生きていくゆえで

一つたりとも欠かせぬことの大半を、ひとびとはいま社会の公共

的なサーヴィスに委託している。社会システムからサーヴィスを

買う。あるいは受けるのである。これは福祉の充実と世間では

いわれるが、裏を返していえば、各人がこうした自活能力を一つ

一つ失ってゆく過程でもある。ひとが幼稚でいられるのも、そうし

たシステムに身をあずけているからだ。

近ごろの不正の数々は、そうしたシステムを管理している者の

幼稚さを表に出した。ナイーブなまま、思考停止したままでいら

れる社会は、じつはとても危うい社会であることを浮き彫りにした

はずでなのである。それでもまだ外側からナイーブな糾弾しか

しない。そして心のどこかで思っている。いずれだれかが是正

してくれるだろう、と。しかし、実際にはだれも責任をとらない。』


『これ以上向こうに行くと危ないという感覚、あるいはものごとの

軽重の判別、これらをわきまえてはじめて「一人前」である。

ひとはもっと「大人」に憧れるべきである。そのなかでしか、もう

一つの大事なもの「未熟」は、獲れない。』


そして、こう結ばれるのだ


『芸術をはじめとする文化のさまざまな可能性を開いてきた

「未熟」な感受性を、獲ることはできないのである。』



米国発世界不況の只中、大転換な時代にあって、

移るゆくべき次代の社会を構成すべき「人間」のこころ持ちを

しっかりと描ききらなくてはならないことを強く思うのだった。