映画はいつも時代を見つめ、時代を描いてきたという川西玲子さん。

8月に「映画が語る昭和史いつもヒロインがいた」を上梓され、本日の

ナビゲーター役をこなされる。


終了後、知人に緊張したと本音を漏らす川西玲子さん。

     

   団塊のマーケッターのブログ


想いを抑えきれないかのように、言葉を乱射する。


・昭和の初期、底辺労働者の流されて行く先が北海道という開拓地

であった。

満州へ流される元祖であった。


・多喜二の原作は希望の見える終わり方であったが、映画は団結する

労働者に海軍兵士の銃口が向けられる。その後の日本を暗示する。


・辺境の地、北海道の蟹工船が出航する頃、

同じ時期の東京の都市生活はアメリカナイズされた生活文化を謳歌

していた。援助交際もサラ金もあった。


・監督の山村聡は東大出のインテリ、蟹工船の現実を次代へ伝えよう

と企てたのだろう。映画にでている個々の名脇役はその後映画,TVで

活躍したのが印象深い。


・いつからか、人間の手を離れ、機械やコンピューターが仕事をやる

ようになる。80年代中間管理者はいらないとまで言われた。この時代に

誰も警鐘を鳴らさなかった。そこに問題の所在があったのではないか。


・蟹工船の時代には、まだ資本家と労働者に接点があった。

現代は人間的な接点が無くなっている。世代間のギャップを克服する

ために世代を超えた雑談が必要。


現代の労働現場よりも蟹工船の時代の方が人間的な連帯が存在し

ていたと川西さんは言い切り、現代の労働現場において「一人ぼっちの

気持」にさせることなく非正規労働者自身が自分で自分を無力化させ

ないことを世代を超えて取組まなければならないと訴えられる。


会場からの意見で、この映画が製作された時代は争議やパージが

あり、役者も十分には集まらず公募をしたそうである。

映画での労働現場の監督役をやった浅川某はその公募で選ばれた

人と紹介された。


突如にして多喜二の「蟹工船」が若者に注目され、ブームを起こし、

共産党の党員が1万に増えたという事実に、私自身は十分に焦点を

当てることは出来ないが、新自由主義の終焉の兆しが確実に訪れて

いることだけは否定できないであろうとは思うのだ。