今、息子の写真と向かい

心を通わせたくて熱く手を合わせる


そして


感情から溢れるいろんな思いを語り


お話の締めには


「みんなのこと見守っていてね」


「たまには夢に出てきてね」


「合図待ってるからね」


「ごめんねごめんね」


…なんて希望と懺悔を言ってる自分がいる


そういえば10年ほど前に父を亡くした時も

「空から見守っててね」って言った



お盆のお墓参りにも

「みんな元気だよ、心配しないでね、ありがとう」


どうしてだか

まるで「我が家の守護神」に語りかけるようにつぶやいている


むかしむかし

卑弥呼の時代、いや、更にもっと昔の時代の人達は手を合わせ天に神に祈り続けてきた

そうやって今の神事や仏事、霊媒師やスピリチュアルに繋がってきているのだろう…


手を合わす、、

これは

「魂」が繰り返し繰り返し

神のもとと人間の肉体を行き来し

神様に救ってもらった感謝の表しで、

魂の沢山の経験の手を合わせてきた「記憶」の欠片の一部分を

人が知らず知らずのうちに魂から感じ反応した証で

それは「神様と近い場所」に居たことがあった、とい紛れもない事実なのだと思う


息子は神様の近くで

穏やかに癒され魂を洗われ

美しく「強化された魂」は時期をみて

来世また私の子として生まれてきます


あの日、息子はあれ以上に頑張れば魂さえも再起不能になるところだったのだろう

ぎりぎりのところでの

息子の判断


お母さんは魂を守った息子を誇りに思う

そして

今世

息子の母として私を選んで生まれてきてくれた事に

神様に息子に感謝します


ホントは悲しみは無くならないけれど…


来世でも親子になろうね


今回の私の悲しみが

来世の私の魂の記憶に少しでも残されていれば



息子を必ず守ってみせる



今は離れているから

たまには何かアピールしてきてね


今朝の水やりのとき、、



…むすこかなぁ、、、