イメージ 11 Let's spend the night together.


 ロック喫茶「ストーン」は、新宿3丁目にあって、毎日朝まで店を開けていた。土曜の夜になると、それほど広くはない店内がさらに狭くなるほど、人が溢れた。薄暗い照明の中で、大音量のロックミュージックが流れていた。
「お次は、シンさんのリクエストで、レインボー『キル・ザ・キング』!」
DJが曲を紹介するや否や、コージー・パウエルのドラムとリッチー・ブラックモアのギターがうなりをあげた。昔はハードロックと呼ばれていたが、今ではヘビーメタルと言う。僕には呼び方が変わっただけにしか思わなかったが、AC/DCなんかは、かなりメタリックなサウンドだとは思った。この中で話しをするには相手の耳もとで叫ばなくてはならない。
「ジンライム!」
僕はそう叫んで、カウンターの男に500円を渡した。これだけ人で溢れるとその場で精算をしないと管理できないらしい。
「さあ12時をまわったので、ストーンズタイム。まずは『アンダー・マイ・サム』!」
DJの言葉を受けて、店内の中程から、「イエー。」といって飛び上がった男がいた。ストーンでは常連になっているアキボーというやつだった。僕の中学時代の友人だった。自分ではミック・ジャガーのつもりだったが、どちらかというとブライアン・ジョーンズの方が似ていた。それほど派手ではないが、軽く踊り出すと結構様になっていて、周りで数人が同じように踊っていた。座っている連中からも声援が送られていた。アキボーはそれに答えるでもなく、踊り狂っていた。
 ローリング・ストーンズは、よくビートルズと比較されてきた。同じ点というと、60年代イギリスで誕生し、今まで多くのバンドに影響を与え続けてきたというところだろうか。ビートルズよりもワルという印象を売りにしてきた。ビートルズが洗練されたポップスならば、ローリング・ストーンズは根底にR&Bがあり、ミック・ジャガーの声質と相まって泥臭いサウンドだった。僕も嫌いではなかったが、アキボーほどのめり込むことはなかった。
 「夜をぶっとばせ」「ジャンピンジャックフラッシュ」等ストーンズが数曲続いた。ストーンズタイムの締めに入ったらしく、スローテンポの「タイム・ウエイツ・フォー・ノー・ワン」がかかった。踊り疲れたアキボーが近寄ってきて言った。
「JUNも踊ればよかったのに。」
アキボーが、ハイライトを一本加えて火をつけた。僕はジンライムのグラスを片手で持ちながら、彼の為にカウンターの椅子を一つずれた。
「俺は常連じゃないし、ストーンズにのめり込んでるわけでもない。俺はいいよ。でもなかなかカッコよかったよ。本物のミックかと思ったぜ。」
「サンキュウ。」
「アキボーっていう呼び名もだんだん慣れてきたよ。」
アキボーは苦笑いをしながらギャラリーの中に戻っていった。この店の中では彼はスターで、僕はただの客だった。
 この年、僕とアキボーは受験のために東京に出てきた。彼は勝利をおさめ大学生になったが、僕は敗北者にもかかわらず専門学校という裏技を使って上京してきた。とにかく最初は都会の華やかさに翻弄されていて、地に足がついていなかったように思う。僕らの本分は学生だったが、学業はそっちのけで、毎日遊び歩いていた。特に彼の場合、僕のようにアルバイトをしなくても仕送が豊富にあったので、毎晩ストーン通いをしていた。
 上京の折、彼が小田急線の百合ヶ丘にアパートを決め、近くにこないかと僕を誘った。彼自身が迷った物件があるというので不動産屋を訪ねて下見をした。百合ヶ丘は山を切り開いて出来たような町で、線路の両側は山で急な坂道が数多くあった。坂というよりも長い階段を登りきった所に数件の民家があり、その中に夢幻荘があった。階段を登りきっただけのことはあり、見晴らしは最高で、何よりもその名前に引かれ、即入居を決めた。時々お互いの部屋に顔を出したり、近所のファミリーレストランで、夢を語り合ったりしていた。
 僕はアルバイトをしながら、夜学に通っていた。親の脛をかじらず自分の力だけで生活していこうと決めていた。その辺が彼とは違う点だったが、専門学校はただの言い訳に過ぎず、親元を離れ自由な環境に酔いしれて遊び歩いていたのは同じだった。