おはようございます。

こんにちは、こんばんわ。

おはようございます。

おはようございますは万能ですね。
どんな時間でも起きたら出会ったら
おはようございます。

おはようございます。
年末も年始もすっ飛ばしてしまいました。
自由気ままにと謳っているとはいえ、これでは
終わったのと同じかね。
どっかの誰かさんの漫画のようだ。
復活したらそれは続くのだ。
そう、続くのだ。

今やTwitterやらLINEやら短文でしか
物事表さない人が増えてまぁ、僕もそうなってしまってきている。
文章を読むのも書くのも集中力が続かなくなってきているように思える。

社会ではお仕事では必要不可欠なのにね。

さてさて。

気がつけば桜もまた咲いて散ろうとしてる、
4月がやってきた。
昨日まで3月だったのに。
1日しか違わないのに、
4月というだけで意味などなく3月より明るくなれる気がするのは僕だけではないはず。
だからそう、花見に行ってきた。

桜の咲く季節になると、ひとりでも意味無く桜
を写真にとりたくなるものだけど、
今年は撮ることも忘れて花より団子だ。

食べ物もって飲み物もって、
ピクニックのような花見というのは軽い夢だった。
みんなで行くのが軽い夢だった。
とはいえ、ここ数年、何故か連続していけている。去年は場所取りまでした。
2時間前から場所取りして、皆に1時間遅刻されるっていう経験までした。
だから今年は拍子抜けするくらい楽だった。

ワイワイがやがや、
予想以上の人の多さに見上げることもままならぬような、足場も見失いそうになるような中だったけれど

ワイワイがやがや、
はじまってしまえば
それはもう夢のような花見だった。
そう、夢のような花見だったのだ。


この頃10年くらい前に願ってた
夢が毎年ひとつふたつと叶っているように
思う。


僕にとってはこれ以上ないことで、
もういいやとも思ってしまうのだけれど、
それ以上を求めようとするものが人間の欲というやつで、まぁ限りなく溢れるっちゃあ溢れる。

こちらがもういいって思っても、あちこちから求められたり、今更って思いはじめたところに、またあちこちから求められたりしてる。


とてもうれしい。
まったくもって、
どうしたもんかね、

この追いついていない状況をどうにかせんがぎり応えられない。

先のことなど、考えてたって覆ったりするし、
考えてなくてもふみはずせばまっしぐらだし、
こっちであーだと思ってたってむこうでこーだと思ってて噛み合わないし、
まったく面白い。

いつも目の前で、全てを思うままにぶつけたい。
そんな単純なことが毎回出来たらどんなに楽か。
でもそれは自分だけ。
ぶつけるのはたまにでいい。ぶつけたい、ぶつけられるときだけでいい。



何かをしながら何かを出来ない、
だから片方に全振りをしてしまう自分に捧げるべき部分も相手に傾けてしまう、こんな生き方だったからこんなになってしまったのだろう。
自分の許容を超える助けは助けにならない。
自分の身体は自分しかない。
そんなあたりまえすぎる天秤をわかってたようでわからずにこの10年生きてきたように思う。
何もかも失くしたと思った10年前のあの時から
思えば今はとても沢山のモノで溢れている。


何も解決もしていないようでも、少しづつどうにかしていくしかない。
何もかもこれからこれからずっとこれからで、

ずっと続くのだろう。
なんの話をしているのだろう。

まぁいいや。
今日は気持ちがいい日。




今日もいい日だ。



またね。





哀しくても歌ってるときだけ

あいつは 踊ってるときだけ

彼女は 絵を描いてるときだけ

あの子は文字を綴ってるときだけ

あいつらは何かを演じてるときだけ

あの人は 誰かを笑わせてるときだけ

彼らは 物を作ってるときだけ

おまえは お前のやりたいことをやれ


、、、、ALL ALONE より


人の為になにかを壊して
自分の為に誰かのなにかを壊して

閉ざしたのは
止めたのは 
逃げたのは


少しずつ 揺れ動く
 
影響される


決めたことすら揺れ動かされ

それは意図も簡単に

簡単には動かされないと決めたはずなのに


針で縫うかのような言葉によって
意図も容易くほどかれる

裏切りたくない
裏切られたくない

もう嘘を嘘で固めた柔い壁なんかつくりたくないのだ

人と同じところにはいない
人と同じところに立つにはまだ足りない

それでも
進め
それでも
進め

進め、行進曲



壊れたものは戻らない
失ったものは戻らない
それでも拾いあつめて
新しいものを取り入れて
作り治して


創れ

前を、みて

どんな
選択も

それが出来るのは自分自身だけ。


冬空と冬風に風邪に

今年ばかしは少しだけ冬がきらいになりそう。


冬はいつも戦いの季節。
春に向かってと、
切り換えのための準備なのか、
アリかキリギリスか。

ギリギリにならないととかいう性質をどうにかしたい。

年末前に財布をなくし、
奇跡的拾われ、


年明け数分間前にスマホがないことに気づき、
年明け共にみつけるという、
とてつもないはじまりに。


翌日には全身痛い爆弾級の風邪をひいて



餅は食ったか、
祈りはしたか、

餅は食ったけど
まだ祈ってないぞ、

次はなにがあるのだと
思っては、

姉が二人目を産んだ。


僕のおじさん率が深まるからやめろともいえず、
新しい命が生まれたことに感動するしかなかった。


自分の子供ではないのに、どうして、こんなに少し嬉しいのだろう。

どうして小さいこというのは
こちらを笑顔にしてくれるのか。

いろんな寒さなど気にもせず、
走り回る
そんなことを気にする時点で

こんなことを考える時点で、
やはり
少し純粋ではなくなっているし、
それだけものを知ったのだろう。


知らないですむなら
知らないでいいのかもしれない

でも知ってほしいことがあるのだ

その為に伝えなくてはいけない。

どんなカタチでも

伝えることが繋げることが僕たちの…。