以前の投稿でうつになった経験を書いたが、今回はその時に自分なりに考え、行ったことについて書こうと思う。

 

ある時期、職場、自宅を問わず、突然怒りを押さえられなくなり怒鳴り散らすことが度々あった。その直後には、決まって極度の不安に襲われた。何度か同じ経験をするうちに、恐怖と怒りという負の感情は、実は根っこは近いかもしれないと感じた。自分だけかもしれないが、恐怖(=鬱に至る極端な不安)をコントロールするためには、まずは怒りの感情をコントロールする事が良いのでは?と思うに至った。

 

自分にとって恐怖とは、自然と湧き上がる受け身の感情だから制御は難しいが、怒りはある程度意識的にスイッチを入れられる自発的な感情なので、怒りの制御は比較的容易なのでは、と感じたところもある。

 

まず手始めに、車の運転中や職場、家庭など身近な場所で怒りを抑える事から始めた。最初はカチンとくることが多かったが、怒りを飲み込むことを続けるうちに、前より楽にやり過ごせるようになった。

 

次の段階は、怒りを押えこむのではなく、そもそも怒らない、腹を立てない事に努めた。怒りで人は変わらないし、怒りは遺恨をもたらすことが多い。怒りに縛られるのではなく、怒りから距離を置くことが、心を自由にする事だ、と何となく感じるようになり、それ以降あまり腹も立たなくなった。

 

最後の段階は、どうしても相手にクレームを伝えなくてはならない時に、怒りに任せることなく、あえて淡々と普段通りの口調で伝えるように心がけた。目上、目下等相手の立場を問わずに淡々とクレームを伝える行為は、結果的に自らの恐怖のコントロールにも繋がった。

 

振り返ってみて、これらの行いは、自分にとっていい変化が得られたと思っている。それまでは、他人にも自らにも厳しかったが、他人を許す事で自分も許せるようになったし、それにより心が大いに軽くなった。時として怒りは重要でもある。何くそ!と発奮して、怒りのエネルギーで大きな仕事をやり遂げたこともあるが、ようは怒りとの付き合い方で、飲み込まれてしまってはダメだと思う。

もう一つは、「諦める」ということだ。

 

諦めるという、どうしても悪い言葉のように思いがちだか、世の中どうしたって思い通りに行かないことは多い。足るを知る、ではないが、まあしょうがないよねーと思える心の柔軟性を持っておいた方が、自分のようなタイプは生きやすいようだ。

 

他の人ならもっと早く、しかも容易にできることかもしれないが、自分はうつを患うまでは、試みすらしなかったし、その意味ではいい経験だったと思っている。