東庄町(とうのしょうまち)にある「諏訪大神」に立ち寄ることにしました。

天狗小僧寅吉が後にここで神社の神職をしながら妙薬による治療などもしていたと書かれていた

「大神」とありますが、この地方は大きな神社は皆「大神」と表記されています。



佐原、小見川(共に現在は香取市)を過ぎ、東庄町(とうのしょうまち)に入り、成田線を横切る

東庄町は平成の大合併では合併せず、香取市と銚子市に挟まれた場所に位置しています。
もともと中世に東の荘園があったようですが、千葉氏の一族「東氏(とうし)」がこの地を治めていました。
そしてここの少し内陸にある「東大神・東大社(とうだいしゃ)」がこの町の中心の神社です。

この東大社と銚子の雷神社、 香取市(旧小見川町)の豊玉姫神社の三社の間で20年に1度の式年三社神輿渡御が行われています。



東庄町の諏訪大神は国道356線(利根水郷ライン)沿いの笹川の中心地にあります。
かなり大きな神社です。




広い境内の奥に拝殿が見えます。
辺りは静かで近くの木々から盛ん ドンブラコデコ ドンブラコデコ と ミンミンゼミの鳴声が聞こえてきました。



拝殿の裏手が本殿ですが、かなり大きな本殿です。



やはり諏訪大神の名前の通り、長野県の諏訪大社の系列でしょうから出雲系?
香取神宮にも近い場所ですが、結構、ここのほかにも近くに諏訪神社があります。





笹川の親分「笹川繁蔵」
大利根河原で銚子の隣りの飯岡の助五郎との決闘は浪曲や三波春夫の詩でも大昔に流行ったので年配の方はご存じでしょう。



ここでは「天保水滸伝」として語り継がれています。



神社境内には「天保水滸伝伝承館」が置かれています。




笹川繁蔵がこの神社の境内で日本の大親分(清水次郎長、国定忠治、大前田英五郎など)たちを集めて大花会を開いたという。
これも、天保の大飢饉で財政的にも困っていた人たちを救うための資金集めだったようです。

天狗小僧寅吉がここにいたかどうかはよくわかりませんが、平田篤胤は東国三社(香取・鹿嶋・息栖)めぐりの時にここにも来ているようです。
地元の有力者などを集めて学問を教えているようです。

1816年:平田篤胤、東総をめぐる
1818年:江戸に天狗小僧が現る
1838年:大原幽学(おおはらゆうがく)が農協を世界で初めて創設(平田篤胤の教えた人もこれに参加していたという)
1844年:大利根河原の決闘(飯岡助五郎勢を打ち破るが、助五郎は十手を預かる身で、繁蔵は笹川を離れる)
1847年:笹川に戻った笹川繁蔵が助五郎一味に暗殺される

この諏訪大神のすぐ横に「延命寺」というお寺があり、ここに笹川繁蔵の供養塔があり、両脇に子分・勢力富五郎の供養碑と大利根河原の決闘で死去した平手造酒の墓があります。

繁蔵も暗殺されたときに死体はなく持ちされれていました。当時は仕方なく土を持ち帰り供養塔を建てたのですが、最近になり銚子や飯岡で首や胴が埋葬されていたことが判明し、こちらに遺骨を返却したようです。



延命寺は諏訪大神のすぐ隣ですが、あまり目印もなく小さなお寺です。

寺の裏手は神社と繋がっています。