人生、生きていると度々「黒歴史」という言葉に通りかかる。

それは対面して話している人であっても、ネットであってもそうだ。

そういう時に黒歴史は大体恥ずかしいこととして言われているように思う。

それを暗喩して「黒く塗りつぶしたい」歴史なのだろう。

 

だが本当にそうなのか?

私はそれがいまいち理解できない。

一応弁解すると、私は黒歴史を一つも持っていないわけではない。

なんなら人生全体が黒歴史と言えるほど失敗してきている。

幼少期も学生時代も大人になって振り返っても、思い返して黒歴史と感じたことはどんどん増えていくばかりである。

 

というのも、それこそ学生時代だけで4回も失恋しているのだから、十分に黒歴史の定義に当てはまるであろう。

1回は好きだった幼馴染を6年ほど思い続けた結果蛙化現象で自然消滅。

もう1回は好きな人のことを友達に相談した結果、言いふらされて失恋。

更にもう一回は告白まで行ったがあっけなく失恋。

最後に至っては両片思いまで行ったが、友達的な関係しか結べず私から関係性を断ち切ってしまった。

これを隠したい歴史と言わずして何と言うべきか。いや、そもそも問う時点で無駄なのであろうか。紛れもない黒歴史である。

 

だがこれを黒歴史と私が捉えていないのは、言葉に対する認識の違いもあるだろうが、学生時代の私の恋の定義が違うからなのだと思う。

なんせ、私は昔から心を許して頼れる人、本当に愛せる人が恋愛対象だったように感じる。

だからそもそも恋という言葉に収まらない、俗に言うガチ恋や愛情を感じているのであろう。

そりゃ今思えば、学生時代という興味本位で付き合う年齢でガチ恋してたら相手にとって愛が重すぎるだろう。

 

この記事を書き始めた時は「いかに黒歴史は恥じるべきものではない」ことを記そうと思っていたが、案外そうでないかもしれない。

私の学生時代での恋の認識が他者と違うように、黒歴史も人によってどこからどこまでが黒いのか、何がどのように黒いのかは違うのだ。

恥じる人はそのようにして、恥を感じない人はそのまま黒歴史の概念を変えていけばいい。

そういう気づきが起こるからこそ、人生は面白く、生きる意味があるのだろう。そう思ったら、生き甲斐が出てきた。