【引用元】
■創元社
■D・カーネギー・著 山口博・訳
■人を動かす
リヴィングストン・ラーネット
「父は忘れる」
坊や、聞いてくれ。
おまえは小さな手に頬をのせ、汗ばんだ額に金髪の巻き毛をくっつけて、安らかに眠っているね。
お父さんは、ひとりで、こっそりお前の部屋にやってきた。
今しがたまで、お父さんは書斎で新聞を読んでいたが、急に、息苦しい悔恨の念にせまられた。
罪の意識にさいなまれてお前のそばへやってきたんだ。
お父さんは考えた。
これまでわたしはお前にずいぶんつらく当たっていたのだ。
お前が学校へ行く支度をしている最中に、タオルで顔をちょっとなでただけだといって、叱った。
靴をみがかないからといって、叱りつけた。
また、持ち物を床の上にほうり投げたといっては、どなりつけた。
今朝も食事中に小言をいった。
食べ物をこぼすとか、丸のみにするとか、テーブルにひじをつくとか、パンにバターをつけすぎるとかいって、叱りつけた。
それから、お前は遊びに出かけるし、お父さんは駅へ行くので、一緒に家を出たが、別れるとき、お前は振り返って手を振りながら、「お父さん、行ってらっしゃい!」といった。
すると、お父さんは、顔をしかめて、「胸を張りなさい!」といった。
同じようなことがまた夕方に繰り返された。
わたしが帰ってくると、お前は地面に膝をついて、ビー玉で遊んでいた。
ストッキングは膝のところが穴だらけになっていた。
お父さんはお前を家へ追い返し、友達の前で恥をかかせた。
「靴下は高いのだ。お前が自分で金をもうけて買うんだったら、もっと大切にするはずだ!」
これが、お父さんの口から出た言葉だから、われながら情けない。
それから夜になってお父さんが書斎で新聞を読んでいるとき、お前は悲しげな目つきをして、おずおずと部屋に入ってきたね。
うるさそうにわたしが目をあげると、お前は、入口のところで、ためらった。
「何のようだ」
とわたしが怒鳴ると、お前は何も言わずに、さっとわたしのそばにかけよってきた。
両の手をわたしの首に巻きつけて、わたしにキスした。
お前の小さな両腕には、神さまがうえつけてくださった愛情がこもっていた。
どんなにないがしろにされても、決して枯れることのない愛情だ。
やがて、お前は、ばたばたと足音をたてて、2階の部屋へ行ってしまった。
ところが、坊や、そのすぐあとで、お父さんは突然何ともいえない不安におそわれ、手にしていた新聞を思わず取り落としたのだ。
何という習慣に、お父さんは、取りつかれていたのだろう!
叱ってばかりいる習慣・・・
まだほんの子供にすぎないおまえに、お父さんは何ということをしてきたのだろう!
決してお前を愛していないわけではない。
お父さんは、まだ年端もゆかないお前に、無理なことを期待しすぎていたのだ。
お前をおとなと同列に考えていたのだ。
お前のなかには、善良な、立派な、真実なものがいっぱいある。
お前のやさしい心根は、ちょうど山の向こうからひろがってくるあけぼのを見るようだ。
おまえがこのお父さんにとびつき、お休みのキスをしたとき、そのことが、お父さんにははっきりわかった。
ほかのことは問題ではない。
お父さんは、お前に詫びたくて、こうしてひざまずいているのだ。
お父さんとしては、これが、お前に対するせめてものつぐないだ。
昼間こういうことを話しても、お前にはわかるまい。
だが、明日からは、きっと、よいお父さんになってみせる。
お前と仲良しになって、一緒に喜んだり悲しんだりしよう。
小言を言いたくなったら舌をかもう。
そして、お前がまだ子供だということを常に忘れないようにしよう。
お父さんはお前を一人前の人間とみなしていたようだ。
こうして、あどけない寝顔を見ていると、やはりお前はまだ赤ちゃんだ。
昨日も、お母さんに抱っこされて、肩にもたれかかっていたではないか。
お父さんの注文が多すぎたのだ。



