お久しぶりです〜オルタナです😆


今回のテーマは

     「後悔」

         についてです。

後悔って聞くとなんだか
 
 良くない印象に感じますよね。


でも人間に備わった機能である限り

   前に進む為に 或いは

  バランスを取る為に必要な

調整の役割もあるのかもしれません。

そんな自分ですが 考えてみたら

いつからなのか

後悔とゆうものをしてません。

(一瞬一瞬ではあるのかもですが)

そもそもが 私の父親は

昔から後悔してばかりいました。

まだ母が生きていた頃にも よく

「あんたはどっちを選んだって結局後悔するんだから」

と よく笑って言っていたのを

覚えています。

しかし 自分には後悔の仕方が

わからないのです。

例えば あなたが一本道の

山道を歩いているとします。

途中で道が2つに分かれていて

左の道を選んで歩いていたら 途中で

転んで足を怪我してしまいました。

こんなことなら右の道を

選べば良かった!

と思いますか?

もし右の道を歩いていたら

車にはねられていたかもしれないし

クマに食べられていたかもしれない。

右の道を選んでいたなら

幸せな人生だったとゆう

保証が どこを探しても

見つからないのです。

もちろんこれは極端な

例かもしれませんが…

故に私は後悔をしないのではなく

後悔のしようがないのです。

そして 長く生きてみると

良くない結果が 後に幸せな

出来事に繋がったり

素敵な御縁を運んでくれた

こともあります。

悪い結果が 後々の幸せの

布石になっていたりします。

そればっかりは

未来になってみないと

わからないコト。

もちろんどんなコトも

ストレートに受け入れる

ことなんてできないし

その時々に苛立つことや

悲しいことも沢山あります。

ですが私は 良くない出来事が

未来の 良い布石に

なるかもしれないとゆう

可能性のタネは絶やさない。

(絶やしたくない)

それはきっと

自分自身を前に進めるために

私の心に配備された

防衛本能のようなもの。

そしてそれは おそらく

どちらに転んでも後悔してしまう

父親のおかげで身についた

ものだと感謝しています。

ですが

そんな自分自身にも

1つだけ…

母親の死に関してだけは

「後悔」とゆう言葉が 

ついて離れない。

飲み込んで消化できるほど

小さなものでも容易いものでも

ありませんでした。

    そこに抗う術を 

   マダ自分は知らない。

でも…まぁせっかく人間に備わった

ものなのだから

「後悔」とゆう機能を

余すことなく

後生大事に

使ってみたいと思います。

今回はここまでに

したいと思います。

ここまでお読みくださった方々

ありがとうございます(*^^*)











































覚えています