訪問看護ステーションオルタナ ブログ

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訪問看護ステーションオルタナの取り組みやスタッフの想いを記事にしていきます!

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お疲れ様です

訪問看護ステーションオルタナです

ブログ更新します

 

仕事

多くの人が日々当たり前にされていることの1つだと思います

いわゆる日常

 

人はが働く目的

仕事の定義

理想の働き方

きっと正解はないし人それぞれの考え方があると思います

 

僕は現在理学療法士として働いています

今年で11年目

整形外科外来リハを中心にデイケア・療養型病棟・放課後等デイサービスなどそれなりに色々な分野で働かせて頂きました

現在は訪問リハとデイサービスを中心に理学療法士として働いています

理学療法士としての自分なりのこだわり

「結果を出すこと」

「小さな変化に気づくこと」

「日々変化を創ること」

この3つです

そして

「動く事から始まる人の幸せづくり」

ここに理学療法の醍醐味があると思っています

 

小児から高齢者まで関わらせて頂いて感じたこと

小児も高齢者も基本的には同じ

体を動かすメカニズム

不定愁訴

感情の起伏

小児も高齢者もそんなに大きな違いはありません

ただ1つ大切にしないといけないこと

「個別性」

ここは忘れてはいけないと考えています

 

体の動かし方の癖

骨や筋の形状

痛みの感じ方や表現

性格と感情

ここには確実に個人個人の特性が存在します

 

結果を出す

これはどんな仕事であれ求められること

結果を出すために小さな変化に気づき変化を創りだすこと

 

人の体

体は確かに存在しますがいつも体の状態が同じかといえば体の状態は日々必ず変化します

もちろん感情も変化します

相手が求める結果も

そんな小さな変化に気づきアプローチも変化させること

結果を出すために必要なことだと思います

 

結果を出す

仕事における結果

それは

相手が求めることに対してベストな選択と行動により

相手に満足してもらうこと

僕はこう考えています

 

医療や介護に関わる仕事をしていると感謝されることが多いと思います

そんな感謝される環境で生まれる「慣れ」

感謝される環境に慣れてしまいなんとなくでやってしまう

なんとなくでやってしまい結果が出ない時

変形が強いから

筋力が弱いから

心の問題だとか

相手のせいにしてしまう

仕事だけでなくその他のことでもよくあることだと思います

 

相手のせいにしてしまうこと

裏を返せば自己否定

自分自身の行動の結果が上手くいかなかったのだから

 

相手の求めることに対して全てを叶えることは確かに難しいかもしれません

ただ

そこに至るまでの想いは必ず相手に伝わるものだと思います

これが確り相手に伝わること

これが相手に伝わるか?伝わらないか?

そこが大切だと思います

そこが伝われば相手は納得するだろうし次のチャンスが生まれるから

 

僕の働いている会社の企業理念の1つに

起こることは失敗やミス苦しみ全て

必要・必然・ベストなことである

よって

ポジティブシンキングで考える

という理念があります

 

僕はこの考え方が1番好きです

結局は自分次第で良くも悪くも出来るということ

 

上手くいかない時は誰にでも必ず存在します

そんな時にどうするか?

上手くできない自分を受け入れ

上手く出来ない自分を認め

次の1歩を踏み出すこと

 

ここ数カ月

仕事だけでなく家族を含め自分自身の身体状況の問題など色々ありましたが

そんな時

訪問リハ中に利用者さんから言われた言葉があります

「あんたはほんといつも元気だね」

「不思議とこっちも元気になるよ」

「君はほんとに変わってるね」

「変わっているけどそのままの君を貫き通してね」

こんな言葉を頂けるとこっちが救われてしまいます

 

理学療法だけでなく他の職種にしても

仕事だけでなくその他の日常にしても

相互作用

双方向性

これは必ず存在するんだと思います

 

僕は基本的には馴れ合いや群れることは嫌いです笑

だから学生時代は怖いお兄様達に可愛がって頂きました笑

 

理学療法士となり患者さんや利用者さんと関わるなかで気づき学んだこと

人は1人では生きられない

自分自身の存在価値は相手が創り出してくれるもの

お陰様でお互い様

 

相手の存在のお陰で自分の存在意義が生まれます

時として人は自分中心になってしまいます

それはそれで人間らしいと思います

 

大切なのはそこから

自分中心になりそれでも

愚痴を聞いてくれる人

そんな自分を肯定してくれる人

そんな人たちへの関わり方

今日より明日

1年後より10年後

自分が成長することでの恩返し

 

人から学び人として成長し人に還元する

これが生きる目的のような1つだと思います

Going My Way

自分自身と関わり自分自身を支えてくれる人達の為に出来ることを

1度しかない人生なのだから

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

お疲れ様です

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訪問看護や訪問リハに限ったことだけではありませんが物事は基本的に上手くはいかないもの

こんな書き方をするとすごくネガティブになってしまいますね笑

 

例えばリハビリを行っている時

患者さんや利用者さんの症状の訴えに対して原因を考えアプローチを行っていきますが

確実にいい結果が出せるかとは限りません

それに

患者さんや利用者さんの訴え

主訴と愁訴

これをセラピスト側が本当の意味で理解できていない可能性もあります

実際

訪問の現場ではよくあるような気がします

 

病院で行うリハビリ

在宅で行うリハビリ

求められることは違うような気がします

 

病院だと身体機能障害に対してのリハビリが基本的には中心になると思います

在宅でも基本的にはここが中心ですが

在宅では

主訴よりも愁訴に対して向き合っていくことが求められる様な気がします

 

主訴→痛みなどの症状

愁訴→辛さ・苦しさ・悲しみなど相手に理解してもらいたいこと

 

利用者が生活するなかで本当に困っていることは何か?

在宅ではここが病院のリハビリよりも求められるような気がします

 

病院のリハビリだと痛みや機能不全に向き合うことが中心になりますが

在宅のリハビリではもしかしたらあまり問題にもしかしたらならないのかもしれません

賛否両論かもしれませんが

 

リハビリ中心の利用者に限りますが

極端に言うと

退院して在宅で生活されているということは病院でのリハビリで痛みや機能不全はある程度改善されているはずです

在宅での生活の中で生まれてくる葛藤

いわゆる愁訴

 

身体機能などの個人的要素

家族や家屋構造などの環境的要素

心や精神面などの感情的要素

これらの中で問題というか向き合わなければならなくなることは

環境的要素や感情的要素

身体機能などの個人的要素は本当の意味での問題にはならないような気がします

 

特に大切になるのが感情的要素

高齢者に限らずやっぱり人って

人との繋がりを心のどこかで求めるものなんだと思います

 

孤独って良い面と悪い面

両方の要素を含んでいると個人的には思っています

 

在宅で1人で生活されていると人それぞれ色々な感情を抱きます

もしかしたら

訪問看護や訪問リハで誰かが来てくれること

それを望んでいることもあるんだと思います

 

身体機能が改善し御自身で出来ることが増えてきてそれを肯定すると

嫌そうな顔をされたり寂しそうな顔をされ否定される方もいます

 

リハビリテーションで目指すべきところ

自立

セラピストとしては自立を目指しますが利用者としては自立を望んでいないケースもあるんだと思います

そんな利用者への関わり方

きっと正解はないんだと思います

ただ

1つだけ思うことがあります

 

「認め肯定すること」

 

誰しも褒めてもらえたりすることは嬉しいことだと思いますが

それを望んでいないことも時としてあるんだと思います

煩わしさを感じることも

 

だからこそ

認め肯定すること

その上でその人なりの自立っていうのを考えていくこと

 

自立

自ら立つこと

リハビリテーションという概念の中での自立

ここにこだわるのではなく

 

その人なりの自立

その人なりの生き方

その人らしく生きること

 

ほんと当たり前かもしれませんが

これに限らず

日々の日常に追われ忘れがちになってしまう人として大切にすべきこと

日々の日常に追われている時こそ当たり前なことを大切にしていきたいと思います

 

Human Care Dream~人をケアして夢をみてもらう~

訪問看護ステーションオルタナ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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訪問リハの現場では1人で独居の方もいれば

夫婦で2人暮らしの方

子供さん夫婦と同居されている方など生活スタイルは人それぞれ

 

色々な生活スタイルがありますが

「家族」

ここの繋がりは確実に存在します

 

毎週月曜日に訪問させて頂く夫婦の方がいます

最近は口喧嘩も多く間に入ることもしばしば

話を聞いているとお互いの言い分もわからなくはない

お父さんの言い分もわかるし

お母さんの言い分もわかる

だからなんだか難しい

 

他の利用者の方を訪問させて頂くときもそんな感情を抱くことがあります

男性の方でパーキンソン病による障害がある方の訪問リハに行かせて頂くのですが

やっぱりここでも訪問リハ中に喧嘩が勃発することがあります

ここでも

お互いの話を聞いていると

どちらの言い分もわかる

 

自分の両親もですが夫婦喧嘩というものは必ず存在するわけで

訪問リハの現場であれば

介護する側と介護される側

それぞれの立場があってそれぞれの言い分が存在するんだと思います

 

僕自身

介護ってほどではないですが

両親が同時入院したり自分が癌になったりそれぞれの立場を経験しましたが

どっちも大変

どちらの立場でもお互いの葛藤があると思います

 

家族でけでなく人間関係も同じ

人それぞれ

お互いの立場や都合があって人それぞれの考えが存在する

これをすべて理解して分かり合うというのは難しいと思います

 

「分かり合うのではなく分かち合う」

こんな考え方が大切なような気がします

 

夫婦であっても元々はお互い他人であって

友人や職場のスタッフであっても元々はみんな他人

他人同士がすべてを分かり合うというのはちょっと難しいと思います

だけど

分かち合うことは出来るのではないでしょうか

 

お互いの主張を押し付けあうのではなく

お互いの主張や意見を尊重し歩み寄る考え方

いわゆる

第3の案

この考え方は本当に大切な気がします

 

人と関わる以上

理解できないことは必ず存在すると思います

理解できないかもしれませんが

冷静になってみて相手の立場になって考えると理解できることの方がが多い気がします

ただ

理解は出来ても色々な事情が重なると歩み寄ることも分かち合うことも出来ない現状も存在するのかもしれません

 

そんなときにどうするか

そこにその人の本当の人間性や力量が問われるんだと思います

直接的には難しい

今すぐには難しい

遠回りかもしれない

それでもなお

その人の為に

分かち合うことが出来る選択を出来るかどうか

 

だって

選択肢は無数に存在するし

何度でもやり直すことは出来るのだから

 

 

Human Care Draem~人をケアして夢をみてもらう~

訪問看護ステーションオルタナ

 

 

 

 

 

 

 

 

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今日は久しぶりに訪問リハの現場でのお話をさせて頂きます

本日7月3日火曜日九州大陸には台風上陸

鹿児島はそんなに強い影響を受けませんでしたが悪天候

 

毎週火曜日の朝1番の訪問リハは50代女性で盲目の方

このブログでも何度かお話させて頂いた方です

 

もちろん盲目の方なので1人での外出は困難

僕との訪問リハでは買い物目的で近くのコンビニまでいつも出かけることになっています

今日は買い物には行かないだろうと思い自分1人で買い物に行くために

あらかじめコンビニに行き陳列されている商品を把握してその方が入居されている施設へ

 

訪問しいつも通りバイタルなどを確認

なんとなく感じていた違和感

まさかとは思っていましたが本人は悪天候の中コンビニまで行く気満々

リスク管理上台風の日の外出は避けたいところ

こちら側の都合としては

 

本人と話しをしますが話を聞く気は全くなし

この方は元々建設会社の社長さん

なんでも自分の意見を通してやってきたと豪語されていました

何を言っても聞かないなと思い

風が強いので傘をさしながら歩行介助は難しいので雨に打たれることを確認すると

「私はレインコートを着るから君は雨に打たれてください」

と笑いながら返答

ここまで言われると僕もなんだか笑えてきたので施設の方に許可を頂き買い物へ

 

まぁ大きな怪我をすることもなく無事に帰ってくることが出来ました

もちろん僕はずぶ濡れですが笑

帰ってきてからの言葉

「君が言うことは正しいのはわかる」

「ただね」

「ずっと外にも行かず部屋にいると息がつまるの」

 

こんな日に買い物に出かけるのは非常識

ただ

これはこちら側の都合です

一緒に買い物に行くことが出来ないだろうからあらかじめコンビニに陳列されている商品を確認しましたが

この方が望んでいるのは別のこと

帰ってきてからの言葉がすべてだとすれば

この方は買い物に行くことを望んでいたのではなく息がつまりそうになる環境から飛び出したかった

これを望んでいたんだと思います

 

仕事

相手の為に動く事

そんな風に頭では考えていても自分の都合がどこかで存在してしまいます

 

最近読ませて頂いた書籍のなかにこんな言葉がありました

仕事は人が幸せになるためにするもの

事業は人を幸せになるためにするもの

企業は人が幸せになる場所

経営とはあらゆる手法を駆使して社会に貢献すること

 

訪問リハだけではなくすべての仕事は社会や相手との関わりの上で成り立ちます

結果的に

人を幸せににする仕事には価値が生まれ利益を得ることが出来る

そして

その先に自分の幸せが存在する

 

自分自身の幸せ

それがどんなものなのかは僕は正直わかりません

理想って突き詰めればきりがないし何か1つを形にすれば

必ず次の理想が生まれるものだから

それは相手の存在のお陰で成り立つもの

 

自分が関わる相手に対して出来ることに全力を尽くすこと

こんな当たり前のことを大切していきたいと思います

きっと

幸せは人が運んできてくれるものだから

 

 

Human Care Dream~人をケアして夢をもてもらう~

訪問看護ステーションオルタナ

 

お疲あれ様です

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今回の投稿で59回目

ほんとに軽い気持ちで毎週1回のペースでブログを書き始めました

期日は毎週水曜日

遅れたことも何度か記憶にあります

 

書いている内容は会社のブログに関わらず個人的なフリートークが大半です

書かれている内容を読み返してみて感じること

実際の自分は本当に薄っぺらい人間だなと感じます

正直ブログに書かれている人間と実在する僕自身

開きがすごくあるなぁと思います

 

確かにその時々で感じたこと思ったことをブログに書いていました

その時々で感じたり思ったり感じた自分も自分かもしれないし

こんな人間で在りたいと思っている自分も自分かもしれないし

自分自身って自分ではわからないものなのかもしれません

本当の自分自分自身を描けている人は違うのかもしれませんが

 

自分自身が本当にやりたいこと

自分自身が本当にやるべきこと

最近よく感じるのは

この両者は決してイコールではない

そう感じます

 

仕事では特にそうなのかもしれません

自分自身がやりたいことや目指していること

会社や仕事として関わる相手に求められること

ここには必ず違いが生まれることがあると思います

 

ここの違いをどう捉えどう行動するのか

ここに自分自身の人間性なり器が問われるのだと思います

まずは求められることに対して全力を尽くす・集中する

まずはそこにベクトルを向けること

自分自身の求められているフィールドで確り結果を残す

結果を残した上で自分自身のやりたいことに繋げていく

 

本当に力のある人や行動力のある人は

どんな状況や環境であれ結果を出すことが出来る

僕はそう思います

 

その中で大切にしなければならないというか忘れてはいけないこと

慣れないこと

慣れてしまい自分の感覚で自分のキャパでやってしまうこと

人って自分自身には甘くなってしまうものだから

 

慣れてしまった先に生まれるもの

自分自身の感覚で作られた世界

基準となるのは自分自身

 

自分自身を基準として創られたもの

その先は?

自分を基準とした世界の繰り返し

本当に力のある人は別として

じゃあ本当に力のある人ってどんな人か?

 

多分定義はないし正解もない

個人個人の価値観で変化するものだと思います

ただ

言行一致・有言実行・前向き・破天荒で常識外れ・型にはまらない

僕の中ではそんな感じな気がします

これも僕のなりたい自分の姿なのかもしれません

特に

破天荒で常識外れ・型にはまらないは笑

 

たぶん

もっともっと前向きに全力で生きたい自分がいるんだと思います

 

今回の画像は癌の術後に僕に力をくれた言葉を

 

 

Human Care Dream ~人をケアし夢をみてもらう~

訪問看護ステーションオルタナ

 

 

お疲れ様です

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今回はフリーテーマで書かせて頂きます

よくよく考えるとフリーテーマばかりな気がしますが笑

 

なにか行動する時って必ず理由が存在すると思います

プライベートでも仕事でも

やっぱり何かをする時は理由が存在します

 

お腹が空いたら何かを食べる

食べるためにご飯を作る

もしくは何かを買う

これは個人の生理的欲求が理由ですが基本的は同じだと思います

 

何か目的や理由があるから行動する

 

訪問リハでのアプローチにしてもそう

目的と理由があるから1つ1つのアプローチを選択するのであって必ず理由や目的が存在するはずです

僕自身の持論ですが

評価は思考 アプローチは想像とアイデア

僕はこう考えています

 

リハビリテーションの流れの中に評価というものがあります

評価って何?と聞かれたら

なんで?を考えること

限りなく正解に近い選択肢を導き出すプロセス

僕はこう考えています

 

僕自身はリハビリテーションの流れの中で評価が1番大切だと考えています

ここを疎かにしてしまったりなんとなくでやってしまうと絶対に良い方向には向かわないから

僕はそう思います

 

評価ということば

他の言葉で表現すると

客観性

この言葉が適切なのかなと思います

1つ1つのことを俯瞰的に捉えて意味づけ点と点を結び線を作っていく

1つ1つには意味がないことかもしれないけど無機物を有機物に変換させていく

自分で書いていてもわかりにくい表現ですね笑

 

今日デイサービスで同じ職場の理学療法士が文献を開きながら頭を悩ませていたので

患者さんの治療をしながら一緒に考えてみました

不定愁訴

臨床ではよくあることです

最近は非特異的腰痛など原因が明確でない疼痛分類が作られています

この方も言っていることがバラバラで確かに原因を明確にすることが難しいかもしれません

ただ

バラバラだからメンタルの問題というのはこっち側の都合なんですよね

こんなかたの脈診だったり発汗だったり眼球運動だったり充血反応だったり

観察すると何かしらの反応だったり左右差が存在するんですよね

 

僕が伝えたことは

原因が1つだと思わなければいい

幾つか選択肢を考えて1つ1つやっていく

正直こんな感じでいいのではないかと思います

 

人間ってやっぱり正解を求めたくなるものですが正解ってないものだと思います

ある方のブログの言葉ですが

人って自分が正しいと思った時点んで間違った方向へ突っ走る

正解って結果的に生まれるものであって選択する時点ではきっと正解はないんだと思います

自分が選んだ選択肢が正解になるためにどう行動するのか?

そのために

理由や目的

これが大切になるんだと思います

そして

自分を客観視できること

こんな感覚が必要なのかもしれません

 

きっと

人生って上手くいくことのない連続

だけど

上手くいかない日常でたまにいいことがある

たまにいいことがあるから

幸福感

を感じることが出来るのかもしれません

 

ブログだけ見ると僕はすごく出来た人間に思うかもしれませんが

結構ダメ人間です笑

残念なくらいに

多分こんな人間ないんだとなりたい思います笑

 

たまに現れる幸福や楽しみを感じるために

居心地が悪い日常や上手くいかない現実を楽しんでいきたいと思います

 

 

Human Care Dream~人をケアして夢を見てもらう~

訪問看護ステーションオルタナ

 

 

 

 

 

 

 

 

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訪問リハの現場に関わらせて頂いて1年3ヵ月

まだまだ訪問リハの現場ではわからないことが多々ありますが

自分の中で1つだけはっきりしてきたことがあります

人の健康にしろ

理学療法のアプローチにしろ

その中心となるのは

運動

ここに尽きると思います

 

運動といっても色々とあると思いますが

全身運動や有酸素運動

こんな当たり前のことが人の健康を支えていて

理学療法のアプローチの中心もここにあるような気がします

 

訪問リハの現場では運動機能や身体機能が低下し活動性が低下している人がほとんど

基本的な基礎体力が低下し寝たきりや介護を必要とする生活状況へ

本当に良くないことですがこれが現状

本当であれば入院生活時代から確りサポートして自分自身で動ける身体環境を作ること

これはリハビリテーションに求められる役割の1つだし

確り果たさなければならない責任の1つ

確かに難しいことですが役割に対する責任を果たせていないからリハビリテーションの社会的価値が認められないのかもしれません

 

僕自身外来リハでずっと理学療法をしていましたが

外来リハでのアプローチは徒手療法中心

外来リハで理学療法を行っていた時も感じていましたが

徒手療法などのPassiveアプローチの限界

訪問リハを経験したことでさらに強まりました

もちろん僕自身の技術の無さもあると思います

 

可動域制限に対するアプローチにしても運動要素を活用した方が確実に効果的です

可動域制限に対するアプローチは特に徒手療法によるアプローチが選択されますがどれだけの効果が確実に得られるか?

正直微妙です笑

可動域制限に対して運動という要素を活用した場合

①主動作筋対するⅠb抑制・拮抗筋に対するⅠa抑制・レンショウ細胞による主動作筋への抑制

②筋腱以降部への伸張による筋節の合成と再生

③筋ポンプ作用による発痛物質の排泄

④熱エネルギー産出による柔軟性改善

少なくともこれくらいの効果は期待できます

 

徒手療法などのPassiveアプローチ

もちろん必要なアプローチではあると思いますが訪問リハの現場での必要性を問われると

正直なところ疑問です

筋力増強に対しても同じ

大腿四頭筋に対するアプローチ

セッティングよりも立ち上がりやスクワットを活用した方が効果的だと思います

 

理学療法のアプローチだけではないですが

相手のために色々とすることは確かに必要なことかもしれません

ただ

1つだけ気をつけなければならないこと

色々とすることで相手の可能性を奪ってしまうということ

 

色々とすることで相手から感謝される

結果として自分のモチベーションややりがいが高まる

確かにいいことかもしれませんが

相手の可能性を奪ってしまう側面も持ち合わせているということ

セラピストも看護師も利用者にとっては環境の1つであって

利用者に対して良くも悪くも作用してしまう

僕らに求められる役割はあくまで自立支援

自立支援に導くためにどう関わるのか?

関わり方を自問自答しベストな関わり方を選択していくこと

 

きっと正解はないですが

限りなく正解に近い選択肢を選ぶためにどうするか?

自分自身と向き合いながら積み重ねていくこと

たとえ失敗が続いても

諦めずに積み重ねていくこと

これしかないような気がします

きっと訪問リハだけでなく人生においても

今回はここまでにします

 

 

Human Care Dream~人をケアして夢を見てもらう~

訪問看護ステーションオルタナ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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人間って基本わがまま

もちろん僕も

やっぱりいろんなものを求めてしまいます

ものだけでなく人に対しても

 

人って人に対して期待してしまうもの

だからこそ人に期待して人なにかを求めてしまう

人が自分の期待通りに動いてくれないと

不満を感じ人を責めてしまう

 

頭では

それがいけないこと

そこから生まれるのは負の連鎖でしかないこと

頭ではわかっていても

そんな反応や行動をしてしまうもの

それが人間という生き物なのかもしれません

 

なぜそんな反応や行動をしてしまうのか

きっと

今より幸せになりたいから

今よりよりよい自分になりたいから

多分そんなところだと思います

 

僕も含めてですが

多くの人はそこに行き着くまでのプロセスや方法を間違ってしまうんだと思います

自分の価値を高めるには他の人より秀でることも必要かもしれません

ただ

間違ってはいけないことは

ベクトルを自分に向けるのか?相手に向けるのか?

 

相手に向けてしまうと相手を否定し自分を肯定する行動へ

自分に向けてしまうと今までの自分を否定し自分を変える行動へ

どっちがいいか?

明らかに後者です

 

人を否定して生まれるもの

一時的に快楽は得られても所詮は一時的なもので

その時限り

 

自分を変える行動を選択した時

多分何かが変わる

きっとそうなるんだと思います

 

自分を変えることで見える世界が変わる

見える世界が変われば相手に対する見方も変わる

分かり合うではなく

分かち合うこと

お互いがお互いを理解しようとすること

歩みより

相手を肯定して自分を肯定する

そのうほうが自分だけでなく相手も幸せになる

きっとそうだと思います

 

自分だけが幸せで本当に幸せか?

哲学的な分野です

絶対ではないですが自分だけが幸せで幸せかと言われたらNoだと思います

幸せって感情は自分と相手が存在して

自分と相手の間に創りだされるものだから

もし相手が存在しなければ無という無機物に終わってしまいます

 

夢も幸せも同じ

相手が存在するから夢や幸せが存在するのであって

夢や幸せを形にしていくから新たな夢や幸せが生まれる

その積み重ねが

よりよい自分

よりよい生き方

ここに繋がっていくのではないでしょうか

 

会社のブログですが

完全にフリートークなので今回はここまでにします

 

 

Human Care Dream ~人をケアして夢をみてもらう~

訪問看護ステーションオルタナ

 

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悩みや不安

きっと誰にでもあるものだと思います

 

悩みや不安ってマイナスなイメージが強いと思いますが

僕はプラスな要素もあると思っています

 

 

13の成功戦略の5番目

準備して待つ

 

なにか目標を達成する為に準備することは必要だし大切なこと

なにを準備することが必要か

そのために不安や悩みは必要な要素になってくるのではないでしょうか

 

仕事や人間関係でも同じ

目標を達成する為にあらゆることを想定して臨むと思います

その際

起こりうる障害を予測しそうならないために準備すること

そんな時

不安や悩みという感情はプラスに働きます

あくまで個人的意見です笑

 

不安や悩み

起こりうる障害を予測すること

これが出来るということは

起こりうる障害を回避する為の選択肢も考えることが出来ます

それを行動に変換することが出来るかは別として笑

 

訪問リハでも同じです

いつもですが

僕は訪問リハを行う際に起こりうる障害をを予測し訪問リハに臨みます

リハビリをするだけであればあんまり悩みや不安は生まれませんが

訪問リハの現場ではリハビリ以外のことが求められることが存在するのが現状です

そのことを考えると悩みや不安は簡単に生まれます

それが起こった時にどうするのか

選択肢を想定することができるから以外とどうにかなったりもします

 

仕事に限らずですが

僕の場合は1番最悪な起こりうる障害を考えます

ネガティブで自己否定が強い性格なのは自信がありますが

1番最悪な起こりうる障害を考えるからこそ

以外と冷静になれるし動揺しません笑

なにより笑い話になればいいやぐらいの感覚なので

 

結局

すべて自分自身の解釈1つでプラスにもマイナスにも変化するんだと思います

マイナスなことも自分次第でプラスに変えることができるしその逆も然りです

 

起こることは全て必要・必然・ベスト

最悪と最高は隣り合せ

 

きっとこうなんだと思います

 

悩みや不安

生きている以上

ずっと付き合っていくお友達です

親友に変えるか疫病神に変えるか

僕はこれからも変わらず親友であり相棒です笑

 

今回はここまでにします

 

 

Human Care Dream~人をケアして夢をみてもらう~

訪問看護ステーションオルタナ

 

 

 

 

 

 

 

 

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僕自身は理学療法士として訪問リハの現場に携わっています

理学療法士が関わることが出来る分野

その選択肢が多くなってきている時代です

その中で自分が関わりたい分野に関われている理学療法士はどれくらいいるんでしょうか?

 

僕は理学療法という仕事が大好きです

理学療法だけではないですが理学療法をはじめ医療や介護に関わる職種は相手に感謝されやすい側面があって

それだけで働くモチベーションが生まれたりします

 

僕自身

そんな理由もあるとは思いますが

僕が理学療法が大好きなのは多分僕自身の性分に合っていたんだと思います

僕は昔からなんで君的なところがあります

なんでそうなるのか?

なんでこうなるんだろうか?

なんで?

今も変わらずそうですが

なんで?を考えるのが好きな子でした笑

いわゆる問い

?に対することを考えることが好きなんだと思います

思うというか好きです

疑問に思うと夜中の2時とか3時とかまでずっと医学書や文献を読んだりしている時も多々あります

 

理学療法って

昔は白衣の大工さん?って言われていた様に力仕事って思われたりしているようですが

僕個人的には考える仕事だと思っています

なんで痛いのか?

なんで変形したのか?

なんで力が入らないのか?

なんで起きることが出来ないのか?

なんで歩くことが出来ないのか?

なんで?という問いに対しての選択肢を考え

限りなく正解に近い選択肢を考えてアプローチをする

そういうプロセスが僕は好きなんだと思います

もちろん

上手くいかないことも多々ありますが

 

最近個人的に考えていたんですが

訪問リハで求められる技術とは何か?

それこそ正解がない問いです

人それぞれ関わる相手も違えば環境も違うのだから

 

この問いに対して個人的に相談してみました

 

どう楽に寝れるか?

何が出来るようになりたいか?

何が出来たらいいか?

そこから考えて必要なものを提供できればいいんだよね

もっとシンプルに淡々と余計なことを考えず

1つ1つのことを精一杯やってみて出来ることをとことんやってみる

気づいたらいろんなことが出来るようになっているもの

 

こんな言葉を頂きました

 

訪問リハだとか

外来リハだとか

回復期リハとか

色々と考ると求めらることは多少なり違うかもしれませんが

土台の部分

幹となるところは変わらないような気がします

 

相手が求めていることに対して

自分に何が出来て何が提供できるのか?

自分のベストを尽くすだけ

 

冒頭に戻りますが

自分が関わりたい分野で関わることが出来ている人はどれだけいるのか?

どうなんでしょうか?

僕自身

現在訪問リハに関わらせて頂いていますが自分が関わるとは思っていなかった分野です

 

起こることは必要・必然・ベスト

すべては繋がっている

 

きっと僕自身が現在訪問リハに関わっていることは何かしらの意味があります

それに

本当に力のある人は環境や相手のせいにせず

どんな場所でもどんな環境でも輝きを放つし突き抜けるものだと思います

 

よく出る杭は打たれると言いますが

出過ぎれば打たれることさえなくなるんですよね

僕はそれくらい突き抜けた存在になります

 

よくわからない決意表明ですが今回はここまでにします

 

 

Human Care Dream ~人をケアして夢を見てもらう~

訪問看護ステーションオルタナ