『その1』の補足と続きです
8月15日、ド・グラスがロシャンボー伯爵に向けて、チェサピーク湾に向かう旨を発信すると同時に、3200名の将兵を載せた28隻の戦列艦で、カプ・フランセ(現在のカパイシアン、ハイチ)から出航した際、動きを察知したイギリス海軍ロドニー提督は、彼らの追跡を試みた。
が、彼らの行く先を掴むことができなかったため、ド・グラスが艦の一部を本国へ戻したのだろうと信じ、自軍から14隻をフッドに託した後、残りの戦艦と共に自身の体調と艦隊を整えるため、本国へと帰ってしまった。
バラスがニューポートを出航する前の8月24日、ワシントンとロシャンボー伯は、ヨークタウンに向け、ハドソン川を渡った。
その後、回遊することなく(ド・グラスとは違い)真っ直ぐチェサピーク湾に向かったフッドは、25日に、早々と敵艦未到着の湾口に着いてしまったため、仕方なく?ニューヨークへ戻り、軍を強化しようとグレイブスと合流するも、わずか5隻の戦力を足すのみとなった。
9月5日
ド・グラス艦隊28隻の内3隻は、湾の奥にあるヨーク川とジェームズ川の封鎖に派遣されていたうえ、停泊している船はフランス陸軍の上陸のために忙しく、士官も船員もボートも無い状態だった。
加えて、風向きも潮も何もかもがフランス軍にとって不利な状況の中、ド・グラスは、フランス艦24隻の碇を切り、湾の外に出て自軍の戦列を作り上げてしまった。
午後1時までに両軍はほぼ互いに向き合う形になったが、反対向きに航行していた。グレイブスは戦闘に入るため、全艦に180度の方向転換を命令したので、通常は後衛にある艦が前衛に立った。時間は午後の4時過ぎとなり、両軍が互いを認識してから6時間が経っていた。イギリス軍は風上の有利な位置で戦火を開く準備ができた。
この時点で両軍はほぼ東に動いて湾から離れた。双方の先頭を行く船が射程内に入っていく角度で互いに接近していたが、それに続く船はまだ前の船との距離を縮める操船を行っていた。この時風向きが変わり、後ろの方の船が接近することが難しくなった。このために両軍の先頭の船同士が戦闘開始のときから激しく絶え間ない砲火を交えることになった。後方の船は全く戦闘に加わることができなかった。しかもイギリス軍の指揮官グレイブスが発した明らかに矛盾する信号でイギリス艦隊に混乱が起こった。
夕闇の6時半頃、戦闘は終わった。グレイブスは風上に進路を取るように全艦に信号を送り、両軍の戦列が離れた。この時までに先頭にいて敵の矛先を受け続けていたイギリス艦が大破して、どうやってもうまく戦い続けられない状態になっていた(イギリスの戦列の先頭にいた5隻がイギリス艦隊の受けた損傷の半分以上を蒙っていた)。多くのイギリス艦が浸水を起こしており、戦闘に入る前から修理を必要としていた。フランス艦隊も艦の艤装やマストをひどく破壊されていた。
戦闘は9月5日の日没とともに終わったが、その後数日間、両軍は互いを視認できる距離をおいて睨み合いを続けた。両軍とも艦船の修理をしながら再戦できる機会を窺がっていた。その間にも両軍共に戦略的目標であったチェサピーク湾から遠ざかっていた。
遂に9月9日から10日にかけての夜に、ド・グラスが手詰まりを続けることの無益さを認め、フランス艦隊を引き返させた。翌日彼らがヘンリー岬に到着すると、留守中にバラスがニューポートから7隻の戦列艦とともに回り道をして慎重に時間を掛けた航海の後に到着しており、全戦力は36隻の戦列艦になった。
チェサピーク湾はフランス軍の絶対的な支配下に入り、バラスが持ってきた大砲は比較的短く終わったヨークタウンの包囲戦で重要な役目を果たすことになった。
ヨークタウンで闘うイギリス軍のコーンウォリス将軍には救援が届かず、フランス軍はド・グラスが運んできた部隊で増強され、北からのワシントン軍と合流できた。
ヨークタウンでのコーンウォリス軍の降伏は、アメリカ大陸におけるイギリス軍の最終的な敗北となった。
海戦に参加した戦艦↓
仏;Vengeur du Peuple as Marseillois





