トラジがまだ丁稚の頃、あこがれの先輩がいた。
丁稚奉公を始めて間もないトラジより、2~3才年上の、今なら
中学生ぐらいの年頃の少年だ。
イケメンでそろばんも得意、頭の回転も速く、将来の番頭候補
の筆頭だった。キラ星のごとく輝く少年を追い抜くことは不可能
と知りながら、彼のようになれたら--と夢想する毎日だった。
ある日、その先輩がトラジを手招きする。
忙しい仕事の合間を縫い、先輩が招くひと気のない場所に向かう--
仕事で話すことはあっても、個人的に会話したことがない先輩に
呼ばれたことを不思議に思ったが、あこがれる気持ちから、嬉しさ
の方が勝る--
先輩はトラジをキラキラした瞳で見つめると、赤い布に包んだ何か
を差し出し、それをトラジの両手に押し込む--布の端から覗いた
のは、女性の かんざし の一部だった。
何が何だか分からないトラジに、少年が告げたのは、時々店に顔を
出す別の商家の同じく奉公人の少女の名前だった・・
トラジは天国から地獄に落ちた気分だった--
イケメンだった先輩の事、モテていたことは容易に想像はつくものの、
将来の番頭候補で、二人といない優秀な少年が、禁じられていた
恋愛沙汰に係わろうとするなんて・・!
旦那さんに知れたら、彼の未来はその瞬間閉ざされる--
躊躇するトラ--しかし気の優しい彼に、それを跳ね付ける勇気は
なかった・・
店の中での仕事が多い先輩に比べ、外との出入りが多いトラジなら、
気づかれる確率も低い--身動きの取れない先輩は、気の良いトラ
を仲介に使うことにしたのだ・・・
が、こんなことは長く続かない--間もなく先輩の規則破りが明るみ
に出ると、即日ヒマを出されることになった。そして共犯のトラジは・・
旦那さんの大岡裁きにより、不問となった。
--将来をこのような形で棒に振った先輩は、彼だけではなかった。
正直に、真面目に日々を送っていれば、出世の道を楽に歩むことが
できたはずなのに、何人もの先輩が、女性問題、または賭け事に溺れ、
輝かしい未来を自らの手で失っていったのだ・・・
なので、トラジは過当競争をのし上がってきたと言うよりは、先輩達が
次々と脱落していったために、残ったにすぎない。
但し、旦那さんはそれを過小評価しなかった。
彼には美点がいくつもあることを重く見た。
実直さや正直さ、そして何より彼の努力を買ったのだ--
