以前(4年前)、彼女について言及したことがある。
彼女に違和感を持ったと同時に、以前は喜んで!観ていた
『志村動物園』をほとんど見なくなっていた。
昨日は、偶々TVに映る彼女を見たので、相変わらずの内容
なのか確かめたくてつい見てしまった。
すると、以前は気づかなかった不思議なことに気付いた--
今回は、飼い主を亡くした犬のカウンセリング?をする企画。
瞳を見開いて、ハイジをじっと見つめる犬--まるで、彼女と
本当に?コミュニケーションしているかのように見える--
しかしそれは、実際にハイジに向けられたものかどうかを証明
することはできないものだった。というのも、犬とハイジの映像が
ひとつなぎではなく
交互に単独で切り取られたもの
に終始していたからだ。
さらに、そのカウンセリング内容は、
『これは犬の想いではなく、飼い主の想いを
話している』
と、とあるブログに書かれていた、ハイジについての懐疑的な意見を
想起させるようなものだった。
依頼者の母親と妹(姉?)は、飼い犬が、以前は決して?しなかった
行動--彼女等の顔や手を舐める--を、息子の死後、急にする
ようになった理由を尋ねた。
ハイジは、がんでこの世を去った22才の息子が、可愛がっていた
飼い犬に、依頼者である残された母親と妹(姉?)の行く末を見守
っていくようにとの想いを託し、それを忠実に実行する行為がそれ
だと答えた。
他には、余命を宣告された息子が、家族の前では気丈に明るく振舞っ
ていたが、飼い犬にだけは「死にたくない」という本音を伝えていた
ことを明かしたりしていた。
飼い犬が、まるで人間と同じような意識、感覚で、残された家族を見守る・・・?
死にたくないという本音を伝えていたことはあり得る話だが、そもそも
動物が死を理解しているかどうかが分かっていないと成り立たず、もし
そうでなければ、飼い犬には伝わらない。
しかもそのような話は、ハイジでなくてもそうあればいいと願う人が
都合よく解釈できる内容だ。さらに加えてこの企画では、彼女の話す
母国語に字幕を付けているわけではなく日本語の翻訳を被せている
ため、原語は聞き取れない。なので真に上記の意味を述べているか
どうかの証明もできない。
私が個人的に視た結論は全く違って--ブログにも書いたことだが、
動物の意識は
原初的でシンプルなもの--
彼女等の手などを急に舐めるようになったという行動には、不安
しか感じられなかった。
そもそも、彼らには『病気』とか『死』の意味は分からない。病気が
何なのかも知らない。故に、飼い主が突然姿を消したとしか捉えら
れなくて、それで不安を感じた。
その不安を埋める行動が、手などを舐めるという行動だったのでは
ないだろうか--もしくは、母と娘の(特にお母さまの)悲しみが深す
ぎるため、飼い犬にはそこまでの大きな不安がないにも拘わらず、
彼女らの大きすぎる哀しみが飼い犬に多大な影響を及ぼすことに
よって、ストレスを感じているのではないか。
飼い犬でなく子どもであっても、親が何らかのストレスを抱えていれば
ダイレクトにそれが伝わり、良い影響を与えないことがある。
人間と密着度の高いペットにも、それと同じ事が言えるだろう。
動物に人間と同等の意識を求めるのは、そうあってほしいと願う
ヒト側のエゴ
であって、それは原初的な生き物である動物等にとっては、負担が
過ぎるだろう。
そしてもしこの結論が正しいとすれば、カウンセリングを求める相手は
ハイジではなく 獣医さん だ--
TV局側は、悲しみに沈む家族と、ストレスを抱える飼い犬を上手に
利用して、『ヒト』が好む物語を作り上げ、視聴率が上がるようあの手
この手を駆使して番組を作っている・・・
それが今回見て思ったことだ。
--が、云いたいのは、TV局非難でもハイジ非難でもない。
私の上記の推測が正しいとした場合、TV局側にも企業として人を
引き付ける番組作りに大きな声では言えない必要悪の存在も欠か
せないと主張するかもしれない。
ハイジにしても騙そうなどという意図があるわけではない。スピ系の
人にはあり得る、依頼者の気持ちや死者の気持ちをまともに受けた
末の涙は偽物とは思えない。
云いたいのは、ペットの存在を重要に思っているというのは思い込みで
実は自分の気分を上げてくれることだけを彼らに望み、彼らの精神を
ないがしろにしていたとしたら--番組側が、そんな人間のエゴに
沿った内容に作り上げればウケると考えたとしたら、批判も空しい
物に変わる--正に
身から出た錆
愛するペットを悲しませるようなことは、極力避けたいものです・・・
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