寿三郎の生まれ故郷について、物語の始めに視えた景色を辿れば、
それほど難しい作業ではなかった。
先ず、
白い水平線 そして 地引網漁
私は、海のない地域でずっと暮らしているため、水平線の見える景色
に馴染みはない。
現実の海を見るより、TV画面や写真で見る機会の方がはるかに多い。
最初、『白くきらきらと輝く』水平線が視えた時、地引網漁という
情報と絡めてこれは、網に掛った大量の魚の群れを見たのか・・と
思った。
その真偽のほどは判らないが(海面にある大量の魚群を実際に見た
ことが無いので)、取り敢えず『地引き網漁』で検索してみると
九十九里浜(千葉県房総半島東岸)
が有名であると出た。
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地引網漁 ~Wikipedia
近世の大地引網
大地引網は九十九里浜が有名である。九十九里浜の地引き網の歴史は、
弘治元年(1555年)に紀州 の漁師 西之宮久助が剃金村 (現在の千葉
県白子町)に漂着し、紀州漁法である地引き網を伝えたことに始まるとされて
いる。
伝えられた地引き網は片手廻しの小地引網であるが、遠浅で海底に岩が隠れ
ていない九十九里浜は、網を引いても破れるおそれがないので、大規模な地引
き網に適していた。2艘の網船が沖合いで袋網を中央にして網を連結し、左右に
別れ両側に投網する両手廻しの大地引網は、寛永 年間(1624年-1658年)に
一宮本郷村(現在の千葉県一宮町)の片岡源右衛門が工夫したもので、その
規模は網の長さ片側300間、中央部に30~40間の大袋網が付き、水主60~70人
岡者200人とされる 。大規模な地引き網は多くの資金と労働力を必要とし、豊漁であれば一攫千金も
夢ではないが常に漁があるわけではないので、背後に穀倉地帯である九十九里
平野がひかえ、豊富な資金力と、必要時のみ動員できる労働力などの社会的条
件が背景にある九十九里浜で特に発展した。
大規模なものでなくとも、地引き網は多くの漁夫、引き子の労働力を
必要とした。
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地引網漁で有名なのは、ここだけでなく、他に肥後天草などが名高いとも書かれて
いたが、この九十九里浜が寿三郎の故郷であるとほぼ確信したのは、検索する前、
すでに 『千葉』 の情報を得ていたからだ。
--情報を得る方法は単純で、県名を単刀直入に尋ねるだけ。そうすると、漢字が
浮かび上がる。
・・・こんな、重々しくもない方法で得ているのです・・・!!
九十九里浜
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