以下、Wikipediaより
プトレマイオス朝はエジプトの伝統を取り入れて、血族結婚を繰り返した。
しかし、一族内での殺し合いが頻繁に行なわれ、紀元前80年に同王朝の
直系が断絶、これに介入したローマにより、紀元前30年に滅ぼされた。
クレオパトラ・セレネ1世(クレオパトラ5世セレネ)
紀元前135~130年頃生-紀元前69年没
プトレマイオス朝の王妃(在位紀元前115年-紀元前107年)。
父はプトレマイオス8世、母はクレオパトラ3世。
プトレマイオス9世の姉妹・妻。
紀元前115年、彼女の姉妹でプトレマイオス9世の妻である
クレオパトラ4世が母クレオパトラ3世に追放されると、プトレ
マイオス9世と結婚した。2人の間にはベレニケ3世が生まれた。
しかし、夫は摂政であるクレオパトラ3世との対立が続き、廃位・
復位を繰り返した末、紀元前107年にエジプトを追われ、キプロス
へ逃亡し、セレネと離婚する事となった。
プトレマイオス9世
紀元前143~142年頃生-紀元前81年没
プトレマイオス朝のファラオ(在位紀元前116年-紀元前110年、
紀元前109年-紀元前107年、紀元前88年-紀元前81年)。
父はプトレマイオス8世、母はクレオパトラ3世。弟プトレマイオス
10世アレクサンドロスと王位を争った。姉妹クレオパトラ4世、
クレオパトラ・セレネ1世と結婚している。
クレオパトラ4世
紀元前138~135年頃生-紀元前112年没
プトレマイオス朝のファラオ・女王(在位紀元前116年-紀元前115年)。
父はプトレマイオス8世、母はクレオパトラ3世。
プトレマイオス9世の姉妹・妻。
紀元前116年、兄弟のプトレマイオス9世と結婚し、母クレオパトラ3世
と共に共同統治者となった。しかし、翌年には母に追放され、プトレ
マイオス9世の配偶者に姉妹のクレオパトラ・セレネ1世が擁立された。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
『王妃』であり『姉』である、という情報が、プトレマイオス朝が血族結婚を繰り返していた
という事実を知り、納得できた。
ただ、クレオパトラ・セレネ1世他、兄弟姉妹の生没年を見ると、プトレマイオス9世が
長兄、弟10世、そして、クレオパトラ4世、セレネ1世の順になる。
ということは、『妹』ということになり、情報が違ったのか、別の王妃の事なのか・・?
例え情報とは多少違っていたとしても、このセレネが、やはりこの物語のセレネだった
のではないだろうか、と思うのは、もう一つ理由があった。
それは(15) に載せた、視えた ツール(ディスク) に似た画像--
ロサンゼルス郡立美術館所蔵のディスクが
エジプト、プトレマイオス第30代王朝時代の遺物
であるという説明書き--
第30代王朝 は、数えてみると正しく、
プトレマイオス9世の時代 だったからだ・・
