見えてきた名前は、予想に反して
天草
そのものだったーー
ただし、読みはアマクサ ではなく 何故か カタカナの テンソウ
という読みで見えた。
ーー四郎 は全く見えず
ふ
で始まる名まえと教えられた。
ふ・・・武士の武だろうか、何だろうーー
そもそも、天草四郎とは違うのかもしれない。
次に、やっと映像が見えてきた。
それは、子どもの脚ーー
素足に下駄を履きーーー牛若丸の挿絵かドラマで見たようなーー
膝できゅっと締めた短い袴。
そして袖はーーM・A氏は、天草四郎の着物の着方の好みに言及している
ーー袖がぞろりとしているのが大嫌い、きゅっと短いのが好きーーとーー
ひじの少し上までの短いものだった。
そんな格好で、海岸を歩く姿が見えたーーー
この前世に関しては、M・A氏が天草四郎の前世を持つかどうかの検証をしたかっただけ
なので、これ以上深入りはしなかった。
ふーーで始まる名まえに関して、後で調べたところ
島原の乱当時の洗礼名が
フランシスコ だったそうで、それが見えたのかもしれないーー
それと、前世を見ている間、洗礼名とは何の関係もなく、この人(天草四郎)は
ハーフだったのではないか という疑問が示された。
いずれにしても、M・A氏の天草四郎前世説は、全くのでたらめでもなさそうだ。
しかし、これを機に天草四郎について調べる過程において
天草四郎が聖人のような人物だったという説に、かなりの疑問符が付いていることを知った。
昨日の記事の冒頭に書いた 人身売買 の文字ーー
当時のキリシタン大名等の、日本人女性などを売買して武器と交換していた
という悪行に、天草四郎も関わっていたという話。
聖人どころかーーーという話になってくる・・
