おはようございます😃

「積ん読解消コンサルタント」の浅井真美世です。


11冊読めるかなチャレンジ」は、去る131日に目標の1000日を達成しました。

そして、師匠である望月俊孝さんの計らいで、ヴォルテックスのセミナールームで、

念願の「達成記念講演会」を開催し、たくさんの方に参加いただきました。

これらすべては、皆さんの応援のおかげであると、心より感謝しております。


そして、86日よりFacebookおよびnoteにて、「本を語る」100100冊チャレンジを始めました。

こちらでは、15日遅れで発表していきます。


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「本を語る」100100冊チャレンジ 第43


❶[1BOOK]

「ぼくは古典を読み続ける」珠玉の5冊を堪能する

出口治明 光文社 2023228


❷[3POINT]

①「はじめに」

古典を読めば、世界がわかる〜古典を読む理由

1)人間が過去に残してきた記録をしっかり読めば、世界で起きているいろんなことが理解できる。

2)考える力も、まずレシピを真似することから始めるといい。そのレシピにあたるのが古典で、古典に書いてあることを真似しながら考える力を鍛えればいい。

3)古典は世界中で読まれている。つまりグローバルな世界における共通テキストになる。


②第3章『地底旅行』ヴェルヌ

出口流、小説を読む二つのコツ

ひとつは、どういう登場人物でとういう構成、起承転結になっているか。

もう一つは、何をテーマにしているのか、何が言いたいのか。

この二つの点から物語を見ていくとわかりやすいでしょう。


③第5章『歎異抄』唯円著・親鸞述

輪廻転生、疲れませんか

だけど輪廻転生というのは、よく考えると大変です。人生は楽しいことばかりではなくて、好きな人にフラれることもあれば、仕事に失敗することもあります。23回なら生まれ変わってもいいかもしれないけれど、永遠に生まれ変わるのはちょっとしんどいな、と。ぐるぐる回り続けるのは、「24時間働けますか?」と言われているみたいでイヤでしょう。そこで輪廻転生からなんとか抜け出せないかと考えるようになります。こうした悩みに応えるためにブッダは、「涅槃」や「解脱」を説きました。


❸[1ACTION]

[実行すること=自分との約束]

「光文社新訳文庫」の古典作品を音読する。


[思いついたこと]

古典というと、どうしても岩波文庫を思い出し、難解だというイメージが強いのですが、光文社が「新訳文庫」というシリーズを出していることを、この本で初めて知りました。この年齢になって、今更「古典」に挑む必要はない、そんな時間はもったいない、と思い込んでいたのです。Kindle版で出ているというので、少し覗いてみることにしました。とりあえず、『ソクラテスの弁明』を。


そこで、とてもびっくりしました。「読みやすい」ではありませんか。以前、出口さんが「古典を読んで難しいと思ったら、自分がアホやと思いなさい」と言っていましたが、岩波文庫では脚注が多くて、使用されている言葉も難しく、いつも挫折してしまい、自分の勉強不足があからさまになるのが怖くて、「古典」に近寄ることを避けていたのです。そんな手間をかけなくても、立派な解説書がたくさんあるから、それを読めばええやんか〜。


[そして]

古典の読み方として、一番良いのは「音読」だと直感しました。現在、ビジネス書を中心にクラブハウスで音読を続けていますが、それは普段読まない人にも、その内容を知り、活用してもらいたいという思いがあるからです。だから、それはそのまま続けることにして、別のメディアで「古典」を読んでいこうと思います。誰のためでもない、まずは自分のために始めることにしましょう。


以前、友人に教えてもらった「stand fm」というアプリがあります。登録はしたものの、あまり活用していなかったので、これを「古典」に当てることにしました。そして一番にこの本を音読しようと思います。「思わず書店に行きたくなる!本が読みたくなる!」という帯がついていますが、まさしくその通りです。こうして、読書によって世界がますます広がっていき、呑気なリタイヤ生活どころではなくなってきました。人生100年時代と言いますが、もしその通りだとしたら、私はまだ30年以上も残されている勘定になります。今から「古典」を読み始めても、十分間に合うということですね。


❹[1episode]

「ごめんちゃい」を言わなかったソクラテスの矜持

ぼくが会社員だった頃、同僚に面白い人がいました。ガンガン好き勝手なことを言うのですが、矛盾を指摘されると、突然ニッコリ笑って、「そこまで考えていませんでした。ごめんちゃい!」と言うのです。そしたらみんな、彼がとんでもないことを言っていたのも忘れて、こいつはええ奴や、となります。そんな例が、皆さんの周りにもないでしょうか。

ところがソクラテスはそれをしません。以前から難儀なおっさんやと思われていましたから

評決はどうなるかといえば・・・わかりますよね? ロジックは正しくても「ごめんちゃい」のひと言もなく傲然としていれば、誰も助けてやろうとは思わない。

やはり人間は論理的ではないんです。この本を読めば、それがよくわかります。今でも人間は変わっていません。

ソクラテスもそのことは十分、わかっていたと思いますが、ここで態度を変えては問題提起にならないし、自分が哲学者としてやってきたことを否定することになると考えたのではないでしょうか。「そんなことで判断していいのですか。あなた方の理性はどこになるのですか」という問いかけを際立たせるために、こういう作戦をとったのだと思います。もう70歳やし、やりたいことはやったし、こんなところで可愛くして生きながらえてもしょうがないという割り切りがあったのかもしれません。自分が70年かけてやってきたことを、「ごめんちゃい」のひと言で、帳消しにしてええのかと。〜第2章『ソクラテスの弁明』プラトンより