おはようございます😃

「積ん読解消コンサルタント」の浅井真美世です。


11冊読めるかなチャレンジ」は、去る131日に目標の1000日を達成しました。

そして、師匠である望月俊孝さんの計らいで、ヴォルテックスのセミナールームで、

念願の「達成記念講演会」を開催し、たくさんの方に参加いただきました。

これらすべては、皆さんの応援のおかげであると、心より感謝しております。


そして、Facebookおよびnoteにて、「本を語る」100100冊チャレンジを始めました。

こちらでは、15日遅れで発表していきます。


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「本を語る」100100冊チャレンジ 第28


❶[1BOOK]

0から学ぶ『日本史』講義」戦国・江戸篇

出口治明 文春文庫850  2023310


❷[3POINT]

①「はじめに」

本書は、歴史好きな僕が渉猟した学問上の知見のなかで、現時点で僕が腹落ちした有力説を咀嚼したうえで、近世の300年の大きな流れや全体像がわかりやすく頭に入るよう、可能な限りファクトにもとづいた良質な物語(通史)をつくってみようと試みたひとつのチャレンジです。僕の個人的な意見や解釈はまったくといっていいほど入っていません。


②「武士道」の幻想

「武士道」は明治の造語

実際のところ、「武士道」は、新渡戸稲造が英文で『武士道』という本を1899年に書いて有名になった言葉なのです。

新渡戸稲造は2つのことを考えていたようです。ひとつは、「国のリーダーたるものは、社会全体への義務を負うのやで」ということです。

もう一つは、キリスト教、とくにクエーカー教徒の信仰です。社会のために頑張って働き、寄付もたくさんする。その高い宗教的な倫理観に、新渡戸稲造は刺激を受けて、日本でそれに匹敵するモデルはと探求して見つけたのが武士道だったのです。


③王政復古のクーデター徳川幕府の終わり

幕末日本のボリシェビキたち

慶喜は薩長のクーデタの動きについて、事前にある程度の情報を得ていました。

それでも彼らに先んじて動かなかったのは、「大政奉還で、倒幕の大義名分は無くなったから大丈夫だ」と考えていたのかもしれません。

一方、西郷隆盛や大久保利通ら若い下級藩士出身者たちは、「既得権にあぐらをかいた徳川家と旧体制を潰して、天皇を中心として(俺たちの動かす)新しい体制をつくるで」と腹を決めていたのですから、もう大義などはどうでもいいのです。

ここで連想されるのが、1917年のロシア革命です。

当初の革命(2月革命)後にできた臨時政府や議会では、レーニンの率いるボリシェビキ(後のソ連共産党)は、多数派ではありませんでした。しかし暴力によって議会を封じて政権を奪取(10月革命)し、その後のソ連をつくりました。

西郷や大久保はボリシェビキだと考えればわかりやすいでしょう。


❸[1ACTION]

[実行すること=自分との約束]

「なんでやねん?」の姿勢を貫く。


[思いついたこと]

「なんでやねん?」はツッコミの定番ですが、納得できないものに対して、とことん疑問をぶつけるという姿勢は大切です。出口先生は、おそらくその姿勢でたくさんの本を読み、自分なりの答えを追求されてきたのでしょう。寝る前1時間の読書も、何十年と積み重ねれば、単なる素人とは思えない域に達するわけです。


[そして]

遅ればせながら、私も「115分の読書」を続けて、ようやく3年が過ぎました。読書ノートを離れた時期も、クラブハウスを利用して「音読」を続けました。そして読みながらも、「なんでやねん」とツッコミを入れることが多々あります。ただ、文字を追いかけて、本を読むだけではなく、このツッコミを繰り返し、さらに多くの本を読んで答えを探していく姿勢を、貫いていきたいと思います。


❹[1episode]

江戸時代は最低の時代だった?

昔は国境がなかったので、人間はみんな、寒くて食べるものがなくなったらその土地から移動したのです。いわゆる五胡十六国やゲルマン民族の大移動がその典型です。

江戸時代も初期はかなり流動的な社会でしたが、鎖国システムが完成してくると、移動が禁止され、村のなかの連帯責任のシステム上からも、簡単に逃げることができなくなります。職業も居所も固定され、流動性の乏しい社会となりました。秀吉のように諸国を渡り歩いて主人を見つけるような自由がなくなったのです。

政治とは何かといえば、市民に腹いっぱい食べさせて、好きな人生を送らせることが要諦だと僕は思うので、好きな土地に移動が出来ず、死者を多く出し、身長を低くした江戸時代には、高い評価を与えることができないのです。中国の明によく似た江戸時代は、日本の歴史上、最低の時代だったのではないかと考える所以です。