本日出した手紙は以下の通りです。オフ会の仲間のことも多少書いています。気分悪くなったらごめんなさい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

先日、オフ会の仲間がオフ会以外で他のオフ会仲間と食事をしたというTwitterを見て、落ち込み少し寂しくなりました。私もよく食事に誘われていたのですがオフ会の中で私に反感を持った中心格が私のことをあまり関わりたくない人間と見なし他の人もそれを鵜呑みし食事の誘い等が来なくなりました。少し言い過ぎと思っている人も中にはいましたが反論しませんでした。これっていじめと同じですよね~? 本当に友達と思っているなら間違ったことは間違っていると言えると私は思いました。

あの時、メール事件の犯人の実本さんを庇ったような形を取ったことを指摘したことは私にとっては勇気のある行動でした。しかし原柚那さんは「進学校に行った生徒が多ければこの学校には良い先生が揃っていると評価が高まるから」と私の言った言葉は間違っていると言われました。あの時に私は「私がここまで言うのは飛鳥先生のことを本当に思っているからです」と言ったことを覚えていますか? これが私の正義です。

 

今回の手紙はメール事件に触れます。長文になることをご了承ください。

 

私はメール事件から20年経った今でもメール事件直後のことがトラウマになっています。

メール事件直後、私はバドミントン部のクラスメイトと彼女の親友の口車に乗せられラブレターを書き、担任の青島(沼田)先生から内容が行き過ぎているということを注意されたこと、飛鳥先生からも「こういう手紙をもらわれると困る」と言われかなり落ち込みました。それから私はクラスメイトからもちろん学年全員から無視されるようになりました。さらにクラスメイトから「茉奈ちゃんが空気の読めないことをしたからみんな怒っちゃったんだよ!」とさらに「先生はみんな茉奈ちゃんのこと問題児とレッテル貼ってるよ。誰も茉奈ちゃんの言ってること信じないよ。もちろん飛鳥先生もね!」と追い打ちをかけられました。でも、私はあの時は飛鳥先生だけは違うと思っていました。他の先生(主に青島先生と赤田先生)は私のことを問題児という目で見て、飛鳥先生はそのようは関係なく私に接していると感じました。しかし、少し他の先生の視線を気にしているかなと思いました。他の先生は私のことを問題児として見ていたので反論したくても出来なかった。反論すればいじめまでは行かないけど仲間外れみたいなことをされると……。オフ会と全く同じです。

常にこう思っていると悲観的になると思ったので敢えて何も考えてないバカのふりをしていました。

 

同級生からの無視は3学期でも3年になっても続きました。実際、2年の学年遠足や修学旅行もずっと1人ぼっちでした。特に私が辛かったのは修学旅行中に飛鳥先生と1度も会話がないどころか一緒の写真がなかったことです!通っていたカウンセリングルームにいるカウンセラーさんから「どうなりたい?」と聞かれたところ「修学旅行のやり直しをして欲しい!」と言いました。

あの時の私はクラスメイトの刷り込みによってこうなったのは自分の日頃の行いが悪いと思い込んでいました。

このことは親友の古郡さんにも「今でも辛い」と話しました。古郡さんは「今の学校はおかしい、たかが生徒が妻子持ちの先生に手紙を書いただけで大げさに騒ぎ立てる本末転倒も甚だしい」とのこと、さらに「こういうことは当人同士で解決するもの」とも言っていました。

 

思えば中学2年に進学してから私の精神状態が不穏でした。飛鳥先生とクラスが離れた……(実際数学の授業が受けられない)のが理由でした。本当のことを言ってしまえば「それは仕方ないでしょ!」「わがまま」と言われてしまうのではないかと本当のことが言えず問題行動を起こし分かってもらいたかった、でも結局誰も分かりませんでした。

分かってもらえず小学校中学年にしていた自傷行為(抜毛)が再発しメール事件の引き金になりました。

 

何故今になってこの話をしたかっていいますと、別紙の言葉を見てからトラウマを乗り越えたいからです。ただ間違って欲しくないのは謝罪が欲しいわけではなく、私の思っていることを知って欲しいだけです。実際私は小学校の先生に厳しくされ恐怖心を抱いていたこと、小学校5年の時にいじめを受けた時に先生に助けを求めていれば違っていたもっと別の人生が歩めたかも知れないことを話し、自分が自閉症スペクトラム(発達障害)だと話すと泣きながら謝罪してもらいました。その先生に対する恐怖心は消えました。

 

私のトラウマはこれだけではありません。高校時代のこともトラウマになっています。

正確に言うと、中学卒業です。去年の今頃に出した時に書いた手紙に少し書いたと思います。私はあることを生きがいにしていました。3月31日まで続けたいことを林野先生にお願いしたところ、受け入れてもらえると思い急に断られ「卒業で終わりにしよう」と言われ私には急に突き放されてショック受け、それと同時に精神的に具合が悪くなり始めました。高校に進学し先生と親しくなろうと奮起していました。しかし、高校の先生からは「アンタに構ってる暇ないから」と突き放されました。友達からも「ここはあなたのいた中学校じゃないんだよ」と言われ先生と上手く行かないことで毎日悩むようになりました。この時に飛鳥先生のいた学校(沿岸中学校)に「会いたい」と連絡したところ新しく赴任したばかりで忙しいと言われ、中学時代の先生は頼れないと思い高校での人間関係に力を入れようと思いました。先生とは上手く行かずあまりにも辛く中学校の時の後輩を頼ろうと思いました。後輩と後輩の保護者から突き放されました。

高校時代で1番の思い出と言えば球技大会で百人一首で優勝したことでクラスを優勝に導いたヒーローとして有名になったことです。クラスメイトからは感謝されましたが先生からは何も言われませんでした。このままヒーロー気取りをしたため高校1年の終わりにクラスメイトから反感を抱かれ高校2年の秋から友達も離れて行きいじめを受けました。

 

正直なところ、高校時代に辛い時に中学時代の後輩ではなく、飛鳥先生と関わっていたかったです。そうすればうつ病を発病しなかったと思います。その時の私は中学時代の先生は頼れないと思いました。その狭間で閉塞感を抱いていました。そして自傷行為が再再発し20代後半まで続きました。このことは高校の先生、林野先生そして後輩の保護者に話すつもりです。まだ林野先生と高校の先生に話す勇気がありません。元凶は後輩の保護者なので、その人を今探しているところです。後輩の保護者は私に「あなたの考えてることが理解できない」と突き放しました。

 

ここまで話すことが出来たのは古郡さん、カウンセラーさん、飛鳥先生だけです。

 

第3弾は時間をかけて手紙を書きます。出すのは下旬ぐらいです。