結論から言えばその女性とは縁が無かった。色々と思うところはあるが、私には高嶺の花すぎたんだ。異性として魅力があるだけでなく人としても素敵な方だった。
同じ故郷のとても素敵な女性と出会ったが実らなかった、それが結果だ。だが悔いは無い。
気持ちを伝える機会すら無く終わったが、正々堂々と臨み、潔く退いた。
お互いにお礼を伝えあってお別れしたから悪い終わり方ではない。
あなたのお陰で生まれ故郷と向き合うことができたと感謝を伝えたが、本当にお礼を言いたかったのは、数年ぶりに恋愛感情を抱くことができたこと、誰かを好きになる心が私にはまだ残っていたことを知れたことだ。全てではないが、感謝を伝えられてよかった。
仮に進展があったとしても、周囲に言われたように上手くは行かなかっただろう。生まれ育った環境や実家の家族との関係、価値観が違いすぎたし、私が今住んでいるこの土地は、きっとその人にとっては遠すぎた。相手のご両親のことを想うと尚更に遠かった... 加えて私は多神教の神道で、その人は一神教だったことも、恋愛のうちは問題なくとも将来を考えると少し心配だった。お互いこんなにも嚙み合わない条件だったのに、一通一通丁寧に書いて毎日交わしたメッセージの数々だけは相性が良くて楽しかったのは、今思い返すと切なくて仕方がない...
それにしても知り合った時から不思議に思えた。なぜこれだけの人がいる中で同じ地元の人と知り合ったのだろう。
そして毎日文通を交わして、最終的に地元で会うことになったことは偶然なのだろうか。
お会いした翌日、私はひさしぶりに地元で崇敬していた神霊の坐す神社へと参拝しに行った。するとどういうわけか感動のような気持ちが胸から込み上げてきて、なぜか涙がこぼれそうになった。
思い返してみればその神様には、いつも不幸に苛まれている苦しい姿しかお見せできていなかった気がする。だが今はようやく不幸から解放され、とても大きな神霊の坐す神社で神仕えする人生を歩ませて頂いている。元気になったそんな私の姿を神様は、もしかしたら喜んでおられたのかもしれない。
その人とお会いした日の夜には友人たちにも会い、他愛もない話で深夜まで談笑した。そのあと解散してホテルの一室に入るなり、ベッドに腰掛けながらこの生まれ育った地元について色々なことを考え、思いを馳せた。ホテルから見渡す景色は、またしても私の知る地元とは違う場所に見えた。
こうして正面から地元と向き合ったのは何年ぶりだろうか。思えば私は、移住するずっと前の療養生活に入ったあたりから地元に背を向けていたと思う。あまりにも辛いことが重なりすぎて、あの時すでに生まれ故郷に見切りをつけていたんだ。だからこの日までは振り返らずに来た。そして来年ここが津波で壊滅することになったとしても、気に病むことはなかった。
しかし今回は、その女性を通して地元と向き合わされた気がする。知り合う機会がなかっただけで、地元にもこんなにも心ある人がいることを思い知らされた。
ひょっとしてこれまでの私は、辛い記憶とともに実家も故郷も津波で流されてしまえばいい、と心の隅で思っていたのではないだろうか。もしも無自覚にそんな邪な思いを抱いていたならば、その誤った心を改めるために故郷に招かれ、向き合わされたと言えるかもしれない。何の落ち度もない多くの人々が消えることなど望んではいけない。
いずれにしても、あの人に出会って地元へ行くことになったのは、何かしらの意味があったのだろう。その意味はおそらく何年か経ってから知ることになる予感がしている。
最後に、ここに書いたところで意味はないが、今一度あの人へのお礼を綴ろう。
あなたのお陰で生まれ故郷には辛い記憶以外にも、楽しい思い出の数々があったことを思い出せた。あなたを含め素敵な人々が住んでいることにも気づけた。どうかこの先も平和な街であることを祈ろう。神様どうか皆をお守りください。
そして返信が待ち遠しくて仕方がなかった文通の数々は、私にとってはかけがえのない交流だった。お互いあんなにも長文で嘘偽りのない正直な文章を律儀に毎日楽しく交わし、嬉しい感情を抱くという体験は、私にとっては年齢的にこれが最後となるだろう。たったの一ヵ月弱という短い期間だったが、学生時代みたいで儚くも楽しかった。
この先、素敵なあなたに素晴らしい出会いと未来があることを祈ろう。
ありがとう。そしてさようなら。