母がふたりいました


生みの母と育ての母


育ての母は亡くなってから20年が経ちました

生みの母は2019年に亡くなりました


結局ふたりは会うこともなく話すこともなく亡くなりました


生みの母は負けん気が表に出まくりの気性の激しい人

育ての母は負けん気を内に秘めたキレると恐い強い人

そして二人とも海よりも深い優しさを持っておりました

まさに愛情の権化


私は幼い時から叔母を介して事ある毎に生みの母に会えていました

育ての母がそれについて嫌な素振りを見せたことは一度もありませんでした


一見全く違うタイプの二人でしたが今思えば性根の部分は負けず嫌いで優しいという同じ人間性だった様に感じます


ふたりの趣味

そろって庭いじりと花の栽培


生みの母は「芙蓉」



育ての母は「薔薇」


ふたりとも「小さな蘭」も好きでした

20年前
育ての母が肝臓がんで亡くなったとき私は自分の落胆ぶりに驚きました
こんなにもマザコンだったのか!?…と
七回忌が過ぎてもまだ心の何処かで育ての母を恋しいと思う自分がいました
十三回忌が過ぎてやっと落ち着いたと言っても過言ではありません

その後育ての母の分もという思いもあり生みの母に毎月必ず連絡を入れ会えるときは会うという年月を過しました
そして一昨年の2月肺がんを患った生みの母は急逝しました
マザコン確定の私はそれ以来当然の様に今も尚立ち直れていないのです

母ふたりの人生を翻弄した父も一昨年の8月に亡くなりファザコンも認識
喪失感に拍車をかけています

そんな私はALSにおかされましたがギリギリでも動けて自分の身の回りの事はこなせるしまだまだ生きて何かを成すくらいの時間はあると漠然と思っていました

しかしALSは時に診断から一月足らずで命を奪うこともあるのです
なんの因果かブログをフォローさせて頂いた方の辛すぎる現実
つい先日まで元気だったご家族の命を一月足らずで奪い去ったALS

まだまだやるべき事があったのにいきなりALSに命を奪われる無念
どうする事も出来ずに大切な人を見送らなければならない無念

あらためてALSの恐ろしさと命のはかなさを思い知らされました

ふたりの母を亡くし
その辛さを経験した私ですが
この度ALSによってご家族を亡くされた方のお気持ちは察するに余りあります

ただ
私の場合に限るのかもしれませんが亡くなったふたりの母は間違いなく私に寄り添ってくれていると感じます

きっとそばに寄り添ってくれている筈です

今夜は出来るだけ起きていよう
ふたりの母と手を合わそう
ついでに親父も入れてやろう

It will be painful, but  please … but please recover