それまで家事を担っていた父がいなくなり残された姉妹を待っていたのは母からの虐待だった。頻繁な暴力で姉妹のお尻にはミミズ腫れが絶えなかった。

「ある時、母が私たちを置いて恋人と海外に出かけ、1週間家を空けたことがありました。用意されていた食事は3日でなくなり、水道水で飢えをしのいだこともあります。ただ、そんな状況でも、当時虐待されているという認識は私にはなかったんです。母は私を殴っても数時間後には『ごめんね』ってハグしてきたし、普通の母子よりスキンシップは多かったかもしれません」

 滑らかな口調が一瞬、淀む。手入れの行き届かない髪に、いつも同じ服装。中学校に入るといじめの標的になった。

「今思えば、毎日の入浴や歯磨き、着替えなど基本的な生活習慣も教えられず、汚く見えていたのだと思います」

 中学2年生の時には校舎から飛び降り自殺を図ったが、一命をとりとめた。学業もまったくついていけなかった。

「そもそも勉強のやり方を教えてもらったことがないから、何がわからないのか、わからない。授業中は音楽を聴き、テスト中は問題を見ずに50分ずっと寝てました(笑い)。だって、見てもわからないことがわかってるから。なぜか国語だけはできたんですが、成績は中学の最後までずっとビリでした」

 私立の高校に進学したが、学校にも家庭にも心安らぐ居場所のなかった彼女は犯罪に走った。

 向かった先は東京の新宿・歌舞伎町や秋葉原などの繁華街だった。歌舞伎町や秋葉原を徘徊し、万引、窃盗、詐欺などに手を染めた。

「10代前半から万引、窃盗グループのパシリ、詐欺の手伝い…当時は全く悪いことをしている意識がなくて、とにかく稼ぎたいという感覚になっていたんだと思います」

 高校1年生の後半に自主退学。自ら“JKビジネス”を立ち上げ、のめり込んでいった。

「100円均一で大量に買ったパンツを街でスカウトした女子高生にはいてもらって、1枚8000円でオジサンたちに売っていました。スカウトした女子高生は200人くらいで、買ったオジサンはもっといた。月100万円以上の売り上げは当たり前。月300万円稼いだこともあり、気が大きくなっていきました。

 小さい頃からお金の問題で両親がもめるのを見ていて、『世の中で大事なのはお金』という考えが根幹にあった気がします。だけど、振り返ってみると別に何か特別欲しいものがあった訳じゃないんです。ただ、『お金があれば幸せになれる』と漠然と思っていた。

 あとは、どこかでお母さんを喜ばせたかったのだと思う。当時、たまに稼いだお金を、お母さんの財布にこっそり入れていました」

“JKビジネス”は10か月で終わる。自宅に警察官が現れ、そのまま児童相談所の保護施設に送られる。そして中等少年院に収容された。16才の冬だった。