Tell me it's not true
Say it's just a story
Something on the news

ドラマの中の出来事みたいに
遠くのニュースなのだと信じたい。

嘘だと言って。

朝8時すぎ、実家に三泊して自宅に帰る新幹線のなかです。
今日は2/3節分
今朝は、陽がのぼるまえから豆まきしました、笑。

わたしは
「鬼はーそとー、だけど福の道もあるー、福はーうちー」
ママの部屋では、わたしの手をママの手に一度バウンドしてから、まきました。
パパは
「福はーうちー、福はーうちー」

なんでこんなかけ声?なのかというと

photo:02



というわけです。
これはパパの知り合いの神社さんの豆まきのモットー?信念?みたいなもので、この紙きれはママが何年もまえに書いたものです。
鬼さん追い出すばかりが豆まきじゃないんだなーと、新鮮さを感じた数年前から、こんなかけ声でやってます(^。^)
外にむかって思う存分♪、部屋のなかにまいた豆は、パパが後ろからついてきて、せっせとひろってました、それを、目をクリクリして笑ってママはみてました、やっぱり笑顔はいいなドキドキ

たくさん福がくるといいな。
いやいや
福は身近にあるんだろうな。
それにいっぱい気がつける一年になりますように!

ではまたパー
チャピコでしたわんわん
今日の東京は非常に暖か!
まめです。

先週末は仙台巡業でした。
介護福祉士のヘルパーさん+学生ちゃん+私の布陣です。
遠征先で私はよく「ヘルパーさんですか?」と聞かれますし、学生ちゃんたち含めで「ご兄弟ですか?」と聞かれます。
アラサーまめ、どんだけアホに見えているのであろうか…。
今日はそんな学生ちゃんたち含む「他人介護」のお話です。

我が家は気切当初から「できる限り家族は介護をしない」を方針に生活を組んでいきました。
患者本人の強い意志です。
当時私は中学生。父は働きアリの立派な社畜。
マイマザーが生きるのにこのへっぽこな2人の介護じゃ無理だとマザーおよび大学病院のMSW(医療ソーシャルワーカー)が判断しました。
今は日勤帯(10:00~17:00)は介護福祉士ヘルパー夜勤帯(17:00~翌10:00)及び土曜は重度訪問介護資格の学生ヘルパーが基本シフトで、
土日祝日の遠方外出などに私がひょっこり荷物もちとにぎやかしに混ざるカタチです。

学生ちゃんも最初は3人でまわしていたのですが、「卒業する時に新しい人を1人置いていけ」システムや「後輩を連れて来い」システムにより連綿とつながっています。
あぁまた3月がくる…!そういえば夜勤募集のビラ作ってたなぁ。
新入生狩りのシーズンです。

どうしても「夜勤介護」と聞くと特別な技術や資格を持った方を頼りがちですし、
「学生の夜勤介護」になると看護学生さんを想像する方も多いようですが、看護学生さんは学校のカリキュラムや実習が大変ハードなので、
我が家は福祉系大学に通う無資格の学生さんに資格を取ってもらうところからスタートです。
最初は本当に素人さんなんですが、そこは育てる喜び。
学生ちゃんだってたくさんの緊張とびくびくオドオドを抱えて我が家に来てくれているので、
たまに現れるおばちゃんは軽いジョークとコミュニケーション補助の係りに徹しながらご飯をいただくのです。
(だめ大人!!)

ヘルパーさんの受け入れって患者さん本人もいろいろ葛藤があるようですが、受け入れる家族もそこそこ葛藤があると思います。

でもちょっとそこを、一歩踏み出してくれたら、少しだけ楽になるのかもなとも思います。

写真は学生ちゃんたちの追い出しコンパの様子。

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ある意味「サークル」の状態ですね、我が家の夜勤学生ちゃんたちは。
また飯食いにいこーっと。
まめでした[みんな:01]

今日の1曲→スタンドアップ!シスター/YUKI
たちが上がれ わたしがついてるわ
タフな世界で サバイブするの!
こんばんわ!ふーです!
昨日、一昨日は夜勤をしてくれている学生たちが試験期間なので久しぶりに夜勤してきました[みんな:01]

ALSで夜勤といえば、寝ている間の介護で、母が体が痛くて起きたり、吸引して欲しくて起きる度にコールを押すので、こちらも横にねて、コールで起きて対応します。

起きて…対応…してたかな[みんな:02]

久しぶりだったのでだいぶ忘れてて、母に確認しながらの介護でしたが、話したいことが多すぎて、寝たの深夜…[みんな:03]
目の動きも難しくなってて、文字盤もほとんどできないし、目が疲れるからラジオをかけて、コールとラジオの響く実家。ヘルパーさんがいないからオナラもし放題[みんな:04]
今日は二回もオムツ替えしたけど、しっかり覚えてて、自分に感動してしまった。
たまにこうやって介護をしても面白おかしく介護できるのはうちを支えてくれるヘルパーさんたちや、学生たちがいるから。本当にみんなには感謝です。

そもそも、学生たちとの出会いはどんなもんだったかな…と考えてみると
初めて介護する学生にあったのは48のまめのママンとこに遊びに行った時でした。

ヘルパーさんですか?
ーいえ、私は学生です。
多くのことを教えてもらっています。

あれは母が『娘達が介護で人生を犠牲にするなら呼吸器つけない!』と言っていた頃でした。
その生活をみて、
娘のために死ぬとか人のせいにするんじゃないよと常々思っていた私は、開眼[みんな:05]

そんなわけで、うちも学生入れよう!と単純に考えました。
でもどうやって[みんな:06]
そうこうしてるうちに、
協会の支部のお手伝いをしていたお兄ちゃんに忘年会に誘われたのです。

これは、飲みニケーションのチャンス[みんな:07]
元々、お酒も飲み会も忘年会も大好きな私[みんな:08]
とりあえず、いってみることにしました。
そこに看護大学の先生がいらっしゃいました[みんな:09]
ダンディー!背中で語る教授っ!
外国の話をたくさんしてくれました!
三件目で日本酒と鯨ベーコンとお蕎麦をいただいてる時に
先生に学生ボランティアをお願いしたのでした。

それからまた介護の生活になり、
姉が結婚し、家をでました。
すっかり介護が私一人になり、
ヘルパーさんと私との介護シフト。
夜は一人になりました。
でも私も仕事をしたかったので、夜の介護の見込みは無いけど就職活動しちゃいました[みんな:10]
んで、採用が決まっちゃいました[みんな:11]
後先考えない見切り発車[みんな:12]

仕事しながら夜は大変だよねと言うことで、母が忘年会でお願いした先生に直接メールしてくれました。
すると先生、学生を三人連れてきてくれました。
そのうちの一人が、明日から入れますと言ってくれました。なんと!
知らない人の家に明日から泊まれますとかすげえなぁ…。
最初は私を起こすボランティアをしてもらってました。
そのあとで東京で重度訪問介護の資格を取れるよ!と教えてもらい(現在は隣県のみ)
それまでうちの庭いじりボランティアをしてくれていた男友達にも取ってもらい、我が家の夜介護人員は私合わせて三人に。
資格を取ったあとは、また飲みニケーションでお会いした広域協会の方にお願いしてCILの事業所に登録し、有償ボランティアとしてお給料を出しています。
第一号の学生ちゃんがビラを作って、アナウンスして、このボランティアは学校を代表するサークルになりました。
毎日が修学旅行みたいでご飯作ったり語り合ったりしながら翌日仕事してました[みんな:14]
眠い眠い。
学生が夜の介護を一週間すべて埋めてくれるようになったときに、私は家をでて、24時間他人介護になったのです。
完全にそうなるまでには5年もかかってしまったけど、あっという間でした。母と喧嘩もしたし、仕事のあとは全力疾走でした。
震災も学生たちがみんなが駆けつけてくれました。母が一番楽しんでたな。
今は人数がだいぶ少なくなってしまったので週三回程。
あとはヘルパーさんが入ってくれています!
他にも同様の方法で、元看護師の近所の方が母が書いた新聞投稿のボランティア募集をみてボランティアとして週一回移乗介助をしてくれています。

母のベッドの鴨居には学生たちとのクリスマスの写真が揺れていました[みんな:13]

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相変わらずストーブの前は私の陣地。
そしてヘルパーさんに朝起こされる。
パジャマで初めまして~娘です~。
最後には、帰るのめんどくさーいー!とヘルパーさんに愚痴る。
笑う母。
文字盤で、お餅持って帰れ!

そんな二日間を過ごしてきました。
明日からは主婦!ちゃんとするぞ[みんな:15]

ふーでした[みんな:16]



皆様ごきげんよう (*´∀`*)ZOちゃんですぞう

思えば初めて「ALS」という名前を聞いたとき
ALSに関するブログやホームページで進行状況やどんな風になる疾患なのか探しました。
心構えを持たずして受け入れられないぐらい、最初は戸惑いました。

改めて思います。進行は本当に人それぞれで
当初の診断で言われた余命や進行過程を全部覆して今日も元気ですハート

もし、何処かでALSかもしれないと診断されて途方に暮れた時
ひとつの例として、我が家の緩い進行状況も何かの支えになれば幸いです桜
簡単にまとめておきます。

【発症、診断】
右手の力が入らない。何も無い道で転んでも起き上がることが難しい。
診断の結果、まずアグロメガリーが発覚する。

【それから】
アグロメガリーの進行を抑えるため、脳下垂体の腫瘍を取り除く
しかし、根本的な要因が別にあると言われ
最悪は「ALS」ではないかと初めて病名を聞く。ここまでに1年弱

【ALS確定】
特別疾患。難病。
その言葉に負けそうになる心を払拭すべくセカンドオピニオン。
しかし、最終的にはALSであると診断される。発症から約1年ちょっとのこと。

【進行】
既に右手に影響が出ていたので、左手での食事を練習する。それ以外は特に困らない。
歩行も転んだ時の対応で一人では歩かせない程度のこと。

1年後、歩行器と電動ベッドを導入する。まだ左手で食事は可能。
確定から2年後、歩行器のみでは厳しくなる。
外出時は車椅子。左手の力が入らなくなり食事介助が必要になる。風呂に一人で入れなくなったのはこの頃。

3年後、歩行困難になる。すべての移動が車椅子車イスになる。とは言え食事は介助すれば何でも食べる。
デイサービスを導入する。週に1度、お風呂に入れてもらうようになるお風呂**
程なくしてポータブルトイレを導入して移動が最小限になるも排便コントロールが出来なくなる。

3年半後、肺炎になりかかって救急搬送。退院の後、訪問看護に週2日来てもらうようになる。
訪看さんは排便コントロールが目的だが、結局生理現象には勝てず現在そんなに必要を感じないw

そこから3ヶ月後(現在)
吸引器導入。バイパップ導入。吸引器はまだ大活躍しないwww



普通の食事をします。最近は味がしないと言いますけど。
昔はよく食べたお菓子やフルーツ、お餅を食べなくなりました。

喋ることが疲れると言うようになりましたが
はっきり言ってよく喋ります。
車椅子も普通の車椅子です。頭を支えるタイプを持って来たら気に入らないと返されましたがーん



ALSだと診断されたとき
話せなくなることや、動けなくなることや
食べたい物も食べられなくなってしまうこと云々…
そうなるまでに時間を要しない病気なのかと思っていました。

我が家のパターンはひとつの例です。
今日までの病状としては、非常にゆっくり進行しています。
ただ、これからはどうなるか未知の世界ですけど。

ALSという聞いたことも無い疾患を医師から告げられた時
むちゃくちゃ不安で、この先どうなるかと心配だと思いますが
ひとつ「こんな時間の流れでALSと付き合ってる」パターンもあるんだなって思って頂けたら嬉しいですハート

長々と失礼しましたごめんなさいではではまた~音符