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★チームパシュートの栄光の陰に
デビットコーチの優れた指導力があった!!
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※以下、msnのスポーツ記事より抜粋
平昌五輪で金3、銀2、銅1、計6個のメダル獲得と入賞9という成績を残した日本スピードスケート勢。メダルゼロどころか入賞もわずか4だった'14年ソチ五輪からの大躍進の背景とは――。

'14年6月。日本電産サンキョー・スケート部の今村俊明監督は、3人の選手を連れてスケート王国のオランダに向かった。'10年バンクーバー五輪では同社(当時)の長島圭一郎と加藤条治が男子500mでそれぞれ銀、銅メダルを獲得したが、ソチ五輪では2人とも入賞止まり。女子中長距離の高木菜那は入賞からも遠かった。

 今村監督は高木、入社1年目のウイリアムソン師円ら中長距離の3選手とともに、オランダのプロチーム「ニューバランス・スピードスケートチーム」の門を叩いた。

 簡単に受け入れてくれた訳ではない。日本電産サンキョーが同チームのスポンサーフィーを払っての参加だった。今村監督はスケート仲間の知人を頼って情報を収集し、「良いコーチがいる」と紹介されてこのチームを選んでいた。

ソチ五輪のスピードスケート競技だけで23個ものメダルを獲得したオランダにはどのようなノウハウがあるのか。それを知りたかった。
 ときを同じくして女子短距離の小平奈緒もオランダに行っているが、両者は連携していたわけではない。偶然、同時期に同じことを考えていたのだった。
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 日本電産サンキョーが加入した「ニューバランス・チーム」には当時34歳だったヨハン・デビットコーチがいた。選手時代の実績に特別なものはなかったが、指導者としての評判は高かった。
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 オランダでは自転車の練習が多かった。日本でよく行なう室内での自転車トレではなく、ロードに出ての長距離走。100キロのロードトレーニングは当たり前だった。平地の多いオランダ国内だけではなく、ときにはイタリアやドイツでも合宿を張った。
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 '14-'15年シーズン、高木やウイリアムソンの成績は上がった。2人は'14年12月の全日本選手権でそろって初優勝を飾った。国際大会でも順位を上げていた。

 ソチ五輪での惨敗を受けて改革を敢行したのは、日本スケート連盟も同じだった。企業チームごとの強化から、初めてナショナルチームをつくっての強化に取り組んだ。

 ナショナルチームの選手には、合宿中の活動費に加えてランクに応じた強化費も出た。これにより、企業チームに入れなかった選手も現役を続けられる可能性が広がった。
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 スケート連盟は外国人コーチの招聘も行なった。ただ、'14-'15年シーズンは中長距離の専任コーチがまだいなかった。

 デビットコーチが日本ナショナルチームのコーチに就任したのは'15-'16年シーズンだ。強化体制の本格的な改革はここがスタートだった。デビットコーチは「ニューバランス・チーム」時代と同様の練習を日本に持ち込んだ。

練習方法だけでなくメンタル面も指導。

オランダ流の長距離自転車トレーニングのほか、フィジカルトレーニングの数値をその場で選手に見せることで選手のモチベーションを高める方法を導入。モニターに出た数字を見ながら、オランダのメダリストたちの具体名と数値を挙げて比較し、選手の意欲をさらに高めた。
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 体脂肪の管理も徹底した。
 甘い物を口にする選手には厳しく注意し、意識改革をうながした。女子選手は目に見えて身体が絞れていった。そして、誰もが感心したのが選手への目配りだ。デビットコーチは選手の精神面の細かい変化も見逃さず、ポジティブな言葉をかけ続けた。

合宿は年間300日。練習内容は個々のレベルアップはもちろんだが、特に力を入れたのは、'15年2月の世界距離別選手権で女子チームが金メダルを獲得したチームパシュートだった。

 デビットコーチは、試合で選手が最高のパフォーマンスを発揮するために、飛行機移動の乗り継ぎを少なくしたり、海外遠征時にトレーニング器具を持ち込むことを日本スケート連盟に求めるなど、環境面の交渉も行なった。最初は“オランダ流”。しかし、日本に馴染むに従って、和蘭折衷の指導になっていった。

オランダ流を取り入れる一方で、日本が従来から得意としてきた分野もあった。
 科学分析である。全日本選手権などの主要大会では10年以上前からレース後の血液採取を行っており、乳酸値などのデータを数多く持っていた。また、風洞実験による研究がチームパシュートを力強くアシストした。

 3人が1組になって隊列をつくり、先頭を交代しながら滑るこのチームパシュートで、日本は2番手以降の選手の空気抵抗を減らすベストの選手間隔を風洞実験で突き止めた。
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 カーブを利用して行う先頭交代についても、最適な方法を見つけ出した。以前はコーナーのギリギリのコースを滑っていたが、天井に取り付けたカメラで撮影して分析すると、コーナーギリギリよりも大きく膨らむ方がタイムロスが小さいことが分かった。

 日本は今、先頭の選手が大きく外側に膨らむコースを滑っている。スピードをキープするためにはこの方が効率が良かった。

 4人の中の誰を、どのレースで、どのように使うか――。
 完璧な戦略が求められる中でデビットコーチが選んだ作戦は、高木美帆と高木菜那を軸に固定し、佐藤と菊池をレースによって入れ替えるというものだった。1回戦では佐藤、準決勝で菊池、そして決勝で再び佐藤を起用した。デビットコーチは菊池を挟むことで佐藤が決勝で最大の能力を発揮するようにした。

 こうして迎えた決勝で、デビットコーチは佐藤が先頭を滑る距離を今までの1周から1.5周に増やす大胆な作戦に出た。これにより、準決勝も決勝も滑る高木菜那の負担を軽減することにも成功した。

「選手たちは力をつけ、本番で実力を発揮した。掲げた目標は高かったが、結果は素晴らしかった。でもまだオランダの方が上にいる。北京五輪には、オランダに勝ち、ナンバーワンになるという新たな目標を持って向かう」

 湯田強化部長は日本スケート連盟が現在、デビットコーチと契約延長について調整を行っていることを示唆している。 日本スピードスケート陣は北京五輪でもっと大きな成果を得ることを求めている。