★鎌倉アルプストレラン & 横浜ナイトラン & 小田原城散策



★ 鎌倉の神社仏閣と天園ハイキングコースの自然を満喫!!






★北条5代の城・白亜の小田原城の優美さと武者鎧に感動!!
ハーイ!!こんにちは アルプス・ハリーです。楽しい盆休み里帰りなどで皆様それぞれの夏バケーションを楽しんでいる事と存じます。ハリーは今年も単独で神奈川方面(鎌倉・横浜・小田原)に気ままな一人旅に行ってきました。それぞれの場所で出会いや感動を新たにし楽しい思い出旅行となりました。
それではハリー散策旅行の始まり始まりー!!

8/10 前日の台風一過による異常な高温とは打って変わってこの日は朝から霧雨模様、東武藤岡駅でやや気落ちした感じで電車を待ちました。栗橋駅で湘南新宿ラインの横須賀線直通電車に飛び乗り、憧れの鎌倉を目指しました。
午前10時過ぎに鎌倉駅に到着、慌ただしく駅のトイレでトレランスタイルに変身、コインロッカーに荷物を預け、さあ!!素敵な天園ハイキングコース(約7km)に向かおう!! 因みに鎌倉にはハイキングコースは全部で8コースあり、それぞれ古の社寺巡り散策と鎌倉周囲の山々の自然に溢れた楽しいコースです。


小町通りは相変わらず凄い賑やかさに溢れ、若いカップルが楽しく名物の鎌倉ワッフルを食べています。オシャレなお店が多いので女性には大人気のようです。コンビニを探したら依然あった場所にはなく、鶴岡八幡宮メイン通りにローソンがあつてそこでジェル系などを購入、ここのメイン通りは中央に歩行者専用の八幡宮への山門通りとなっていて大変整備されています。


最初にやはり鎌倉と言えば歴史情緒に満ちた源頼朝公を祀った鶴岡八幡宮に参拝しないわけにはいかない。
参道を進み階段手前の大銀杏は、倒木したけど若木が今は成長していました。北条氏により暗殺された源実朝公を偲んで合掌!!又ここは頼朝に追われた義経の妻・静御前が離れ離れとなった義経を偲んで頼朝の前で舞を踊ったゆかりの地です。



しづやしづ しづのをだまき くり返し 昔を今に なすよしもがな
吉野山 峰の白雪 ふみわけて 入りにし人の 跡ぞ恋しき
と義経を慕う歌を唄い、頼朝を激怒させるが、妻の北条政子が「私が御前の立場であっても、あの様に謡うでしょう」と取り成して命を助けた。『吾妻鏡』では、静の舞の場面を「誠にこれ社壇の壮観、梁塵(りょうじん)ほとんど動くべし、上下みな興感を催す」と絶賛している。

八幡宮の横通りから天園コース方向に進みました。蓮池には見事な蓮の花が咲き誇っています。街中を進むと鎌倉宮の鳥居があり、ここもついでに参拝しました。若い女性の二人連れさんに写真を頼まれハイチーズ!!
※鎌倉宮
1869年(明治2)に明治天皇の勅命により創建、祭神は大塔宮護良親王。境内には、足利氏により親王が幽閉された土牢や宝物殿、神苑(1994年に完成)がある。また、摂社村上社前には親王の身代わりとなった村上彦四郎義光の木像があり「身代りさま」と呼ばれ親しまれている。

小学校の童謡にこんな歌があるのを皆さんご存知ですか??
♪ 鎌倉宮(かまくらぐう)にもうでては
尽きせぬ親王(みこ)のみうらみに
悲憤の涙わきぬべし
悲憤の涙わきぬべし



鎌倉宮を後に街中を進むと、ここに歴史由緒深いお寺・瑞泉寺がありました。竹林やシダの生い茂る苔むした石段を上がるとそこには古い山門があり、そこを潜ると美しい庭園の中にひっそりとお寺がありました。

※この寺は臨済宗円覚寺派。夢想疎石がここを禅院相応の勝地として選び嘉暦二年(1327)に建立した寺。山号の錦屏山は、紅葉谷を囲む三方の山が秋になると山が紅葉し、寺の背後に錦の屏風のように広がることから名付けられた。





手足から汗が飛び跳ねます。ハイカーの方にも人気で多くの人とすれ違いました。トレラン頑張って下さい!!ありがとうございます。このコースはトレラン問題もあったコースで登山者とトレイルランナーが如何に共有してあるべき自然との取り組みマナーなどについて今後も課題となっています。


標高141mの天台山を過ぎて平坦になり少しピッチをあげました。コース中には至る所に洞穴みたいな穴が開いています。
地蔵様もあちこちに座って見守っています。やや進んでからようやく休憩所があり、暑さで溜まらずカキ氷を注文し美味しく頂きました。チョー冷たーい!!ここから分岐があり東に進むと金沢文庫や八景のある横浜方面に行けます。




今回は一般コースにて進みます。ここからも起伏はそれ程ありませんがコース特有の滑り易い粘土質のコースです。最高標高の太平山に到達、その先の分岐を左に折れ、一旦コースを下ると市街地に出て、ここにある覚園寺が本日4番目のお寺です。

※覚園寺
もともとは鎌倉幕府第二代執権・北条義時が建てた薬師堂が始まりで、再び元寇が起きないことを祈願する場所として1296年に覚園寺として改められた。それ以後は、足利尊氏をはじめ、その時々の為政者による手厚い保護を受けて守られてきた。多くの寺が時代によって変化していく中、覚園寺は今も鎌倉時代の風情を残す古寺として静寂に包まれている。




ここから急な階段を下ると、半僧坊と呼ばれる場所から建長寺界隈が見渡せます。ここからは一般の山門コースに入り、裏手より建長寺に無料で入れます。


※建長寺
巨福山建長興国禅寺は、鎌倉五山第一位の臨済宗・建長寺派の大本山です。北条時頼が、建長五年(1253)に宗から来日していた高僧・蘭渓道隆を招いて建立したわが国最初の禅寺。


ここで休憩タイム、すっかり体力を消耗しドリンクをがぶ飲み、やや雲の合間から太陽が照りつけ一段と暑くなりました。ここから市街地を進み、扇ヶ谷の坂を駆け進み、やがて海蔵寺に至り此処も立ち寄りました。


海蔵寺はこぢんまりとしたお寺だが、四季の草花が絶えない花寺として人気がある。特に4月に見頃を迎える「カイドウ」と、9月に見頃を迎える「ハギ」が有名で、この時季は多くの観光客が訪れる。いつ訪れても季節の花に出会うことができる。
海蔵寺は臨済宗建長寺派の寺である。この寺は、建長五年(1253)に鎌倉幕府六代将軍宗尊親王の命によって、藤原仲能(道知禅師)が願主となって、七堂伽藍の大寺を建立したが元弘三年(1333)5月、鎌倉滅亡の際の兵火によって全焼してしまった。
海蔵寺は臨済宗建長寺派の寺である。この寺は、建長五年(1253)に鎌倉幕府六代将軍宗尊親王の命によって、藤原仲能(道知禅師)が願主となって、七堂伽藍の大寺を建立したが元弘三年(1333)5月、鎌倉滅亡の際の兵火によって全焼してしまった。



この先から源氏山に進みました。やや荒れたハイキングコースを駆け上がると森の中に源氏山があり、そこに源頼朝公の石像が祀ってありました。最初の予定ではここからの葛原岡・大仏散策コース を進む予定でしたが、時間の都合上今回は取りやめ、一旦市街地を進みここから大仏様に向かいました。

鎌倉市街地は、多くの外人さんが目立ち、楽しそうに日本の古の伝統と歴史文化に触れている様子です。トルコ人の経営する店で珍しいトルコアイスキャンディーを注文、何と飴のように粘々と伸びます。なかなか格別な味でした。

鎌倉大仏様も多くの人込みでした。ここでは直ぐに写真を撮り戻りました。市街地をスローランで駆け進み、鎌倉駅に到着、本日の鎌倉アルプストレランの目標を達成、約10kmの楽しい社寺巡りコースでした。午後3時過ぎに横浜行の横須賀線に飛び乗りました。

横浜駅に到着、宿泊先の関内アパホテルを目指しましたが、横浜関内方面の方向が解らず迷いながら進み仕方なくスマホのグーグルマップで道案内したら何と3km以上もありました。関内駅まで電車があったんですね!!

午後5時前に、アパホテルに到着、チェックイン後すぐに疲れた身体を最上階のサウナ付き大浴場で癒してから本日の目玉コース、横浜みなとみらいナイトラン散策コースに進みました。

夕方6時過ぎやや薄暗い横浜の人気エリアコースを駆け進みます。やっぱ港町横浜の眩いネオンライトや黄昏時の横浜ベイってロマンチックで素敵な街ですね!!昨年は晴れた夏空でしたが今日は生憎の曇りと霧雨状態!!

でも薄れゆく黄昏の山下公園から望んだみなとみらいの美しい夜景は変わらず素晴らしい!!大観覧車やタワービルの見事なイルミネーションライトアップのコンビネーション!!横浜港をいきかう貨物船や遊覧船も美しい!!

山下公園から人形の家まで駆け進み、日本郵船氷川丸前でハイポーズ!!公園周辺は多くの当然のようにアベックが多い。ハリーのように走っているランナーも人気コースで多かったです。山下公園から大さん橋に向かい、此処からでも凄い夜景に堪能しました。




みなとみらい地区に移動、しばし走っていると数人のランナーグループがハリーを追い抜きつられて走っている内に可愛い女性とペースが合い話してみると、週3度位此処を走っているそうです。彼女は中国人で日本に来て数年たち日本語も覚え、仕事をしながらみんなと走るのが趣味のようでした。




レンガ倉庫の赤茶けた建物が印象的で此処もやはり多くの若者??いや!!お年寄りもいて凄い賑わいでした。ここでディナータイム、オムレツライスを美味しく頂きました。



この付近は今、ポケモンGoのイベントの真っ只中なのか多くのファン達がスマホのポケモンGOに夢中でした。そう言えばピカチューの帽子をかぶっている子供達も多く見かけました。異様な光景でした。

みなとみらいのイルミネーションに誘われて周辺を散策、何処から見ても素晴らしいライトアップで写真も沢山撮りましたが、夜景写真は難しく、ピントがぼけちゃいました。悪しからず!!一眼レフじゃないと駄目ですね!!
こうして約8km程のナイトランを堪能、ホテルに戻りました。午後11時就寝!!

8/11午前6時30分、カーテン越しに外を見ると今日も生憎の霧雨模様、予定の早朝ランは取りやめ、散歩で近くをぶらぶらしてから7時に朝食を済ませ、さてどうしよう!!このまま栃木に帰ってももったいない!!そうだ此処からなら小田原まではさほど遠くないから、ついでに小田原城でも見てみよう!!

お城ファンのハリーはこうして小田原に向かいました。東海道線で約60分程で小田原駅に到着、直ぐに西口を出ると目当ての小田原城コースが解り、市内を進みました。



約10分程で小田原城正面入り口に到着、ここから馬出門を潜り天守閣に向かいます。昨年リニューアルされた美しい白亜の天守閣は人気があり100万人を突破したそうです。銅門や見事な常盤木門が凄い!!




小田原城本丸には常盤木門、鉄門の2つの城門がありました。このうち常盤木門は本丸の正門にあたり、重要な防御拠点であったために、他の門と比べても大きく、堅固に造られていました。多聞櫓と渡櫓門を配し、多聞櫓は武器等の貯蔵庫として用いられていました。


常盤木とは常緑樹の意で、門の傍らには往時から松が植えられており、また、松の木が常に緑色をたたえて何十年も生長することになぞらえ、小田原城が永久不変に繁栄することを願って、常盤木門と名付けられたといわれています。


やがて二の丸から本丸に至り、ここに天守閣が堂々と出迎えてくれました。姫路城のように真っ白で優美な姿です。

※小田原城天守閣
天守閣は、昭和35年に市制20周年記念事業として総工費8千万円をかけて復興された小田原市のシンボルです。 江戸時代に造られた雛型や引き図(宝永年間の再建の際に作られた模型や設計図)を基に昭和35年に江戸時代の姿として外観復元され、内部は歴史資料の展示施設となっています。

※天守閣構造
3重4階の天守櫓に付櫓、渡櫓を付した複合式天守閣で、地上38.7m、鉄筋コンクリート造、延床面積1822m2となっています。なお、最上階の高欄付き廻縁は復興に際して新たに付けられたものです。
内部には、甲冑・刀剣・絵図・古文書など、小田原の歴史を伝える資料や、武家文化にかかわる資料などが展示されています。標高約60メートルの最上階からは相模湾が一望でき、良く晴れた日には房総半島まで見ることができます。
内部には、甲冑・刀剣・絵図・古文書など、小田原の歴史を伝える資料や、武家文化にかかわる資料などが展示されています。標高約60メートルの最上階からは相模湾が一望でき、良く晴れた日には房総半島まで見ることができます。

天守閣内に入り、多くの資料や展示施設があり、映画のスライドショーを見ました。難攻不落を誇り、武田信玄や上杉謙信による攻撃にも耐え忍んだ名城です。

戦国時代、小田原城を本拠に関東一円を支配した戦国大名が北条氏(後北条氏とも言う)です。歴代当主五人は、北条五代と呼ばれています。
明応4年(1495)、関東で理想の国家を作ろうと、大森氏を退け、北条早雲が伊豆韮山から小田原城に入りました。以後、北条氏は小田原を拠点として、多くの人材を上方から招き、産業を興し、着々と勢力を伸ばしていきました。
二代目氏綱が関東支配の礎を築き、三代目氏康の時代には城下町の形態も整えられ、小田原は関東における政治、経済、産業、文化の中心として繁栄しました。そして、天下統一の機運が高まる中、四代氏政・五代氏直は、豊臣秀吉軍の攻撃に備えて町全体を取り囲む巨大な総構を築きましたが、天正18年(1590)、約18万の大軍に小田原を包囲され、約100日に及ぶ籠城戦の後、小田原城を開城し、北条氏は滅亡しました。
明応4年(1495)、関東で理想の国家を作ろうと、大森氏を退け、北条早雲が伊豆韮山から小田原城に入りました。以後、北条氏は小田原を拠点として、多くの人材を上方から招き、産業を興し、着々と勢力を伸ばしていきました。

因みに現存天守閣の高さでこの小田原城は第7位の高さを誇っています。


天守閣を見てから常盤木門1階「甲冑・忍者の館!小田原城情報館に立ち寄ったら、甲冑などの衣装を借りられるとの事に興味津々、初めてハリーは、武将姿にヘンシーン!! 皆の者!!どうじゃ吾輩の武者姿は??


なかなかどうして初めて武者姿の鎧をつけて、吾ながら似合っているのかも?? でも実際の鎧や甲冑は重くて合戦ではかなり体力と武術格闘術が無いと戦えないでしょう!! 戦国の世は大変な時代だったんだろうなとつくづく感じました。

こうして北条五代の足跡と美しい小田原城の史跡を堪能して帰路につきました。帰りは電車の中でほとんど寝ていました。