★野沢トレイルフェス2017!! 第二部観光編
野沢温泉村散策 & 善光寺・川中島古戦場址歴史巡り




7/30日曜日、早朝の5時に早々と目覚めました。と言ってもミータの早起きに誘導された感じかな??昨日のレースの疲れもあり昨夜は10時に就寝、快適なペンションのベッドで熟睡???(誰かさんのいびきと歯ぎしりで??)まではいかないけど、何とか安眠出来ました。

ペンション管理人の奥さんが今日は午前6時から温泉村中心街で恒例の朝市をやっているという事なので、それじゃついでにジョギングがてら温泉村散策しようと思い、ランスタイルに着替えました。


ハリーはいつも旅行先では翌日早朝にジョギングをすることにしています。その時々の土地柄や街並み風景堪能とやっぱ旅行に出かけると食べ過ぎて重くなってしまうからです。ハリーは完全主義者なのだ!!

5時30分、ミータと共にペンションを出て、市内観光とはやる気持ちを抑えてスタート!! 昨夜の雨はすっかり上がり時折太陽が顔を覗かせてくれます。全く一日違いでこうも違うのかな??超悔しい!!

野沢温泉村はかなり歴史も古く鎌倉時代からすでに名湯として庶民らに愛されてきたようです。勿論スキーリゾート地でもあり、冬季は多くのスキーヤーで賑わっています。昨日のレースのスタート地点の上ノ平周辺も自然が残る動植物類の宝庫です。

観光スポットとしては、麻釜(おがま)と呼ばれる野沢温泉にある30余りの源泉の一つで、100度近い熱湯をこんこんと湧出、大釜・丸釜・ゆで釜・竹のし釜・下釜の大きな湯だまりをなしている麻釜は野沢温泉の奇勝の一つです。



その他に湯沢神社も有名で健命時の西に隣り合い、うっそうとした老杉の林立の中に、簡素にして品のある本殿が建ちます。ひときわ目を引く向拝の彫刻を作ったのは越後国頚城郡の岩崎嘉市良重則。正面中央にかかる扁額は、明治の元勲三条実美の揮亳です。
この他境内には100段余りの急な石段、お宮の大欅と呼ばれ愛されている樹齢1000年を超す巨欅、松尾芭蕉句碑などの石碑が趣深く並びます。




道祖神祭りもこの地方の風習的お祭りで正月に盛大に行われるそうです。
小正月に正月飾りや締め飾りなどを焼く「どんど焼き」ともいわれる行事は各地で行われています。その歴史は古く、平安時代に宮中や公家の宮廷行事として記録に残っています。道祖神は、「どうろくじん」「さいのかみ」「さえのかみ」などとも呼ばれ、災厄の進入を防ぐ神とされ、石像などに刻んで村境や辻などに祀っています。

又、名曲(おぼろ)朧月夜の作者高野辰之博士の記念館も同地にあります。



昨日の湯沢神社に向かい、ここでミータと別れ単独で野沢温泉スポーツ公園の方に向かいました。きつい階段コースは昨日の疲れでゆっくりとスローランで進みました。太ももが筋肉痛です。最近、設置されたエスカレーター遊歩道と並行して進むと、昨日駆け下った日影ゲレンデに至り、ここにはスキー場施設の中に夏場のスキーも楽しめる芝(グラス)スキーゲレンデもありました。


それと今が旬のマウンテンバイクMTB競技コースも大いに楽しめそうです。
野沢温泉スキー場内を走る全長約10Kmのマウンテンバイクコースです。長坂ゴンドラリフト終着駅標高1,400mのスタートから見晴らしの良い高原や林間を走行できる変化に富んだコースが設置され、最長で標高約700mの日影ゲレンデまで走行が可能です。



一通り散策してから朝市に向かうと多くの宿泊客などで賑わっています。郷土名産品の野沢菜他漬物類から伝統郷土品等多数を安価な割引で販売しています。






7時過ぎに戻り、美味しい朝食を頂き、思い出多き野沢温泉村を後にしました。




改めて訪れると、善光寺の構造建築の見事さと歴史的背景(1400年の伝統)を見て素晴らしいお寺であると改めて感じました。
国宝に指定されている現在の本堂は、江戸時代の宝永4年(1707年)に5年の歳月を経て完成したもので、300年の歴史を誇ります。木造建築としては、奈良・東大寺大仏殿、京都・三十三間堂とともに日本を代表する規模で、撞木造りという独特な建築様式が用いられています。







戦国時代は常に武田・上杉軍双方の需要な軍事拠点となり度々軍の待機所となったりしたようです。とりわけ第四次川中島合戦では上杉謙信が別動隊としてここに予備軍として待機させたわけですね。

善光寺散策後は、やはりゆかりの地である第四次川中島合戦の古戦場址は見ないわけにはいかない。今回で二度目の見学でした。歴史的に名高い同合戦での双方の死傷者の数は、戦国史上最大の数であり、参加動員兵の何と4割以上にのぼりました。それだけ武田信玄・上杉謙信の激突は凄まじい事で双方とも雌雄を決する覚悟で挑んだためです。

5度にわたって繰り広げられた信玄と謙信の川中島の戦いの中で、永禄4年(1561)の戦いの舞台になったのが八幡原。ここでの戦いが最も激しく、副将・武田典厩信繁、山本勘助ら勇将が戦死した。史跡公園の松林の中には古くからの八幡社が静かにたたずみ、境内には信玄・謙信両雄一騎討ちの像や三太刀七太刀之跡の碑、首塚などがある。

歴史的にもっとも謎も多い戦いで、クライマックスでの謙信対信玄の一騎打ちは、果たして本当にあったのか今でも謎ですが、謙信が馬上から振り下ろした刀を信玄が軍配で受けた止めた時に3度受けたはずなのに軍配には、7つの傷跡があったとか??チョー有名なシーンですね!!


「弁生 粛々 夜川を 渡る」この名句を知っている方はかなりの歴史通ですね。武田上杉のにらみ合いに決着をつけるべく、信玄は山本勘助の策として名高い啄木鳥戦法を採用し、搖動部隊として12000名を妻女山の上杉軍への夜間奇襲隊を送り込みましたが、その計画を察知した恐るべき謙信の決断力は凄い。八幡原で待ち伏せしている武田軍の虚を突いて上杉全軍は暗闇の中、無言で犀川を渡ります。その時に馬の口を輪でふさぎ敵に察知されないように注意しながら進んだ行軍の事です。


時、すでに夜明け前、濃霧が八幡原一帯を覆う中、突如、霧の向こうから馬や兵士たちのわななきが響き渡った。次第に霧が薄れ、信玄は我が目を疑った。やや!!あれは上杉軍の旗印・毘沙門天ではないか??まさか??勘助の啄木鳥戦法が見破られたのか??


信玄の眼前遥か彼方に、いるはずの無い上杉軍の一糸乱れぬ軍勢が勢いよく突撃してくる。世にいう車掛りの陣である。全軍突撃せよ!! 名将・柿崎景家隊を先頭部隊として車輪が内側へ押し寄せるように次々と武田軍をなぎ倒してくる。



不意を突かれた武田軍は、慌てて鶴翼の陣に体勢を立て直したいがその暇もない。御屋形様!!申し訳ありませぬ!!勘助この一命を掛けて出陣いたし申す!!御屋形様、おさらばでござる!! 勘助はすでに死を覚悟している。全責任を負う覚悟で上杉軍の真っ只中に突入していった・・・・勘助どうか無理をしないでくれ!! 信玄は祈った!!

御存じ川中島合戦最大のクライマックスシーンです。双方とも合戦後は互いの戦いぶりをほめたたえお互いの犠牲者の交換も行っているそうです。有能な名将も数多く戦死したこの地を感慨深い思いで後にし帰路につきました。
ここで一句、古(いにしえ)の武将の夢も夏草に寂しく眠るこの八幡原
