全国のサイクリストの皆様 こんにちは アルプス・ハリーです。

7/6、梅雨の晴れ間の休日の今日、久々に気の合う仲間達とサイクリングイベントに参加しました。5月にドイツビール祭りで栃木市会場に乗ったきり久しぶりでしたが、
スピードは上げずに風景を堪能したりお城を探索したり、のんびり楽しいサイクリングでした。(往復約80km:探索休憩時間も合わせて総合5.5時間)

スタート地点は、栃木市藤岡町渡良瀬川沿いの渡良瀬川サイクリングコース・新開橋付近です。今回のサイクリスト・メンバーは、おなじみマサ、きむちゃん、石ちゃん、島ちゃん、やなちゃん、紅一点のショコタン、ハリーの7人の個性あふれる猛者?達です。天候は本当に久々に太陽が時折顔を出し、やや蒸し暑さは感じるものの、風を切って走るサイクリングの醍醐味と地元の田園風景や遠くに見える山々、そして渡良瀬川の豊かな清流のせせらぎを聞きながらペダリングも軽やかです。

ショコタンも、初めての参加ですが、最近買ったお気に入りのバイク・イタリア製「BOTTECCHIA」の黒色カラーに赤色のストライプが美しいコントラストでお似合いでした。元気あふれる笑顔で楽しそうです。因みにチェンジレバーと変速ギアもあちらのメーカー「カンパノーロ」です。オールカーボンで高いのかな? やなちゃんとも始めてのサイクリングですが、彼も最近購入した黒のカーボン・スペシャライズドの電動式クラッチ後部・ULTEGRAギア搭載です。すごいですよね!! ハリーはと言えば、標準装備シマノ105・アンカーです。









しばしの休憩後、車道に入り、金山の中腹に進む峠道にアタック!!ここからやや急な上り坂が始まりました。峠チャレンジのコツは、ギアチェンジの斜度に応じた適切な選択と、リズミカルな体重移動による前傾姿勢、ハンドルを引き付ける感じで高回転にて登る事ですが、かなりきつい斜度では、スタンディングのほうが楽かもしれません。峠を登りきると少し下り右手に折れてヘアピンカーブの連続をしばらく進むと、今回の目的地・金山城跡公園頂上に到着しました。




ショコタンも始めての峠越えでかなり悪戦苦闘でしたが、頑張って踏破成功です。
地元の公園管理者の方が気軽にこの山城の歴史を紹介してくれました。

☆ここで歴史タイム
金山城は、文明元年(1469)に新田(岩松)家純の命により築城されました。
その後、岩松氏の重臣であった横瀬氏(後の由良氏)が下剋上により実質上の金山城主となり、全盛を築きました。越後上杉氏、甲斐武田氏、相模小田原北条氏など有力戦国大名の抗争の狭間にあった上野(こうずけ)で、金山城主由良氏は、上杉氏や小田原北条氏との従属関係を保ちながら生き残りを図りました。その間、金山城下は10数回もの攻撃を受けますが、金山城は一度も城の中枢にまで攻め込まれず、その堅固さを誇りました。ところが、天正12年(1584)金山城は小田原北条氏の謀略により直接支配下に入り、天正18年(1590)、豊臣秀吉の小田原北条氏討伐により廃城となりました。
その後、岩松氏の重臣であった横瀬氏(後の由良氏)が下剋上により実質上の金山城主となり、全盛を築きました。越後上杉氏、甲斐武田氏、相模小田原北条氏など有力戦国大名の抗争の狭間にあった上野(こうずけ)で、金山城主由良氏は、上杉氏や小田原北条氏との従属関係を保ちながら生き残りを図りました。その間、金山城下は10数回もの攻撃を受けますが、金山城は一度も城の中枢にまで攻め込まれず、その堅固さを誇りました。ところが、天正12年(1584)金山城は小田原北条氏の謀略により直接支配下に入り、天正18年(1590)、豊臣秀吉の小田原北条氏討伐により廃城となりました。

☆構造と縄張り
金山城の縄張りとその変遷 金山城は、金山山頂から樹根状に延びる尾根部を中心に縄張りされた、核となる四つの主要部からなる山城です。
金山城の主要部を山頂部の実城域とし、北方の北城域、西方の西城域、南方の八王子山ノ砦域があり、大小の堀切によって分断されています。その広さはほぼ金山全山の約300ha に及びます。金山城の縄張りは、当初の城普請が70日余りと記録されていることから、一時期に完成したのではなく、大きく四つの時期に拡張されていった変遷を見ることが出来ます。
金山城の主要部を山頂部の実城域とし、北方の北城域、西方の西城域、南方の八王子山ノ砦域があり、大小の堀切によって分断されています。その広さはほぼ金山全山の約300ha に及びます。金山城の縄張りは、当初の城普請が70日余りと記録されていることから、一時期に完成したのではなく、大きく四つの時期に拡張されていった変遷を見ることが出来ます。

第一段階…金山城の築城は金山山頂を中心とした一部の空間で工事が行われ、実城、二ノ丸、三ノ丸程度の規模だったと考えられています。第一期は、築城時からの初期段階で、日常の生活空間である館と山城がまだ一体化していない段階と考えられます。

第二段階…山城と日常空間とが一体化し、本城として拡張されていく時期と考えられています。金山城の内乱として明応4年(1495)に起こった明応の乱では『松陰私語』の記事に「真城」(実城)と「中城」の存在が明記されています。この「中城」は、馬場曲輪、馬場下周辺に当てることが出来るのではないかと考えられています。このころの金山城の縄張りは、南方が御台所曲輪、南曲輪とその帯曲輪、西方が馬場曲輪、馬場下を含めて物見台下堀切まで広がったと考えられます。

第三段階…金山城が有力戦国大名により戦災を頻繁に受けて、修築がしばしば行われた時期で、永禄9年(1566)から天正12年(1584)の小田原北条氏に金山城を明け渡すまでと考えられています。
第四段階…小田原北条氏の支配下時代と考えられています。金山城では、西城域西端の見附出丸や八王子山ノ砦から尾根伝いに延びる二重土塁と堀切などに小田原北条氏特有の縄張りが顕著に見られます。これらは、この第四期における普請になるものと考えられています。 以上のように、金山城は改修、縄張りの拡張を重ねて、今に伝えられる規模の山城になったのです。
第四段階…小田原北条氏の支配下時代と考えられています。金山城では、西城域西端の見附出丸や八王子山ノ砦から尾根伝いに延びる二重土塁と堀切などに小田原北条氏特有の縄張りが顕著に見られます。これらは、この第四期における普請になるものと考えられています。 以上のように、金山城は改修、縄張りの拡張を重ねて、今に伝えられる規模の山城になったのです。

さて、石垣の堂々とした風格のたたずまいを探索し大満足の一行は、歴史の面影深い山城を後に、お待ちかねきむちゃん案内にて、大田名物・ジャガイモ入りソース焼そばを堪能する為、地元の焼そば店「山口屋」に移りました。お店は国道407号線沿いにあり、赤い屋根が印象的なこじんまりとしたお店です。さて、全員で名物・ジャガ入り焼そばを注文、いざ運ばれてきたそのボリュームのすごさに感嘆の声!!

普通の焼そばの2.5倍位の大盛りです。これがたったの450円なんてすごい大サービスですよね!! みんなで驚きつつ、その太目の蕎麦と絶妙なジャガイモとソースの味に舌鼓!! 美味い!! から揚げとキュウリも美味しいです。さすがにハリーの胃袋では食べきれないので、残りはパックに入れて持ち帰りました。ここのご主人は知る人ぞ知るくらいの名物料理長で、奥さんと仲良くお店を切り盛りしています。なんとサービスで、焼そばを1パック頂きました。有難うございます。叉是非寄らして頂きます。
お店の前で集合写真を撮り、帰路に着きました。





こうして、楽しい大田金山城・歴史の旅サイクリングイベントは終了しました。
次回は、どこの風景を堪能しようかな??皆さんも興味のある方は是非、このブログにお便りを下さい!! そしてサイクリングの楽しみを一緒に分かち合いましょう!!
