「軍師・官兵衛」の豪華俳優人も当たり役!! いよいよ官兵衛の今後の活躍が見ごたえ有り! | 躍動体験!!アルプス・ハリー

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歴史ファンの皆様 !!    こんにちは ハリーです。
 
 
とうとう鬱陶しい梅雨に入っちゃいましたね。休日の雨なんてなんか心も曇り気味で身体のリズムも狂いがちですね。♪「雨がしとしと日曜日、僕は1人で君の帰りを待っている! 壁に飾ったモナリザも素敵な笑顔忘れてる!!」♪・・・・おなじみ、ザ・タイガースのヒット曲です。去年の暮れ、東京ドームコンサートが最終公演でしたが、もう復活は無いのかな? ハリー的には、総メンバー+サポートメンバーを従えての再公演が見たいですね。今日も1人バンドでオルガンサウンドを楽しんでいます。
 
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さて、NHK大河ドラマ「軍師・官兵衛」も、いよいよ核心の場面に突入、豪華俳優人も、それぞれ個性があり、物語りもこれからが面白くなりますね。有岡城に幽閉されていた官兵衛もようやく救い出され、秀吉や松寿丸と再会し、名実ともに黒田官兵衛として活躍していくわけですが、この有岡城に幽閉さていいた牢獄は、陽もささない、湿気の多いジメジメとした洞穴のような ところでした。そこに官兵衛孝高は一年以上にわたって幽閉されたのです。そのとき、ややもすれば崩れ落ちそうになる 官兵衛の心を慰め励ましたのが、土牢から見える藤の花であったと言われています。
後にこの藤の花を黒田家の家紋としたとも伝われています。
また、この幽閉されていた惨めな自分を励まし世話してくれたのが敵方の牢獄の番人の荒木村重の家臣・加藤重徳で、その時の恩義に感謝し、後にその子・加藤一成を黒田家家臣として向かいいれました。(黒田二十四騎黒田八虎の一人)
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黒田家家紋について別説では、かつて自分を取り立ててくれた旧主君・小寺家の家紋を引き継いだとも言われていますし、息子の松寿丸を信長は処刑しようとしたところを竹中半兵衛の機転で、密かに匿い暖かく見守ってくれた半兵衛に感謝して竹中家の家紋を用いたとも言われています。竹中半兵衛が病死する間際に愛用していた軍配を官兵衛に託したのは、今後の秀吉の軍師は、官兵衛しか出来ない事を見込んで全てを任せた半兵衛の厚い友情に感謝しこれまでの恩義に報いる為、竹中半兵衛の子の竹中重門元服の際には官兵衛が烏帽子親を務め、秀吉の死後、関ヶ原の戦いの際には、松寿丸(黒田長政)と竹中重門が隣り合わせで陣を張ったことが陣跡に残されており、「両兵衛」の絆は息子同士にも受け継がれています。
 
余談ですが、半兵衛が身に付けていた鎧は、福島正則から松寿丸に渡り、後の関ヶ原の戦いにおいて長政はこの兜を身につけ、東軍を勝利に導く大活躍したのです。
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このように、竹中半兵衛の無類の洞察力と心の広さ、そして人間・黒田官兵衛の人格の偉大さと律儀性が改めて感じられる美しい友情に満ちた談話ですね。
  
ちなみに、黒田八虎のそうそうたる武将は以下の通りです。
彼らは、まさに精鋭中の精鋭といえるでしょう。栄えある八虎として賞賛されたのは、井上之房、栗山利安、黒田一成、黒田利高、黒田利則、黒田直之、後藤基次、母里友信という面々。
ドラマでは、栗山善助は、俳優・濱田岳さん、母里友信は、俳優・速水もこみちさん、井上之房は、俳優・高橋一生さん、後藤基次は、俳優・塚本高史さんがそれぞれ演じています。
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それと反対に、荒木村重は、その後、有岡城を脱出し、落ち延びますが、その荒木一族は信長の命令で122名・一族郎党全員磔・斬首にて処刑されてしまいます。その後の村重はどうなったかと言うと、天正10年(1582年)6月、信長が本能寺の変横死するとに戻りそこに居住する。豊臣秀吉が覇権を握ってからは、大坂茶人として復帰し、千利休らと親交をもった。しかし有岡城の戦いでキリシタンに恨みを持っていた村重は、小西行長や高山右近を讒訴して失敗し、秀吉の勘気を受けて長く引見を許されなかった。
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さらに、秀吉が出陣中、村重が秀吉の悪口を言っていたことが北政所に露見したため、処刑を恐れて出家し、荒木道薫(どうくん)となった(はじめは過去の過ちを恥じて「道糞」(どうふん)と名乗っていたが、秀吉は村重の過去の過ちを許し、「道薫に改めさせたと言われています。天正14年(1586年)5月4日、堺で死去。享年52。
 
             これからの軍師・官兵衛がますます楽しみですね!
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