ヨハン・ハインリッヒ・ペスタロッチは、日本でも知られている、18~19世紀のスイスの教育思想家です。

 

孤児や貧しい子供達を集めて、学校を作ったことが有名です。当時ヨーロッパ中に彼の知名度が上がり、ドイツのフレーベル(世界で初めての幼稚園設立者)等が教えを乞いに彼を訪れたと言われています。ペスタロッチは、特に学校へ上がる前から初等教育が必要だと説いていました。

 

チューリヒのバーンホフシュトラッセ沿いにある小さな公園(グロブスデパート前)には、彼の碑が立っています。

週末に、散歩がてら、彼の墓&記念碑がある場所へ行ってみました。

ビール(Birr)という村が、まさに孤児を集めた学校があった場所です。

何にもない村で、目立つのは、GEの工場くらい。

ペスタロッチは、1769年にチューリヒから来て、ここノイホフ(Neuhof)に土地を買い、孤児や貧困の子供達に教育を実践しました。40人の子供達も一緒に、ここで糸を紡ぎ、布にする作業をしながら、教育を教え、お金の足しにしようと考えたが、うまくいかなかったそうです。1798年までここに住み、その後、別の場所へ移動して、1825年に再びこの地に戻り、1827年にここで亡くなったとあります。

 

向こうに見えるのが村の教会。子供の為に長閑にロバがいる。

 

これが、ペスタロッチの墓&記念碑。

通り過ぎてしまいそうでした。やたらとでかい建物で、教会の斜め向かいです。この通りは、まさに、ペスタロッチ通りと呼ぶ。

 

墓標には、「 Alles für Andere, für sich Nichts. 」と書かれており、”自分には何もなく、他人にすべてを与えた”、とあります。

横から見た写真。250年も前に生きていた人です。

 

鐘の音が結構うるさい目の前にある教会。ペスタロッチは、さっきの記念碑とこの教会の間に埋められています。

 

ペスタロッチが死んだブルックの街。旧市街の石の橋。

 

スイスで、ペスタロッチという名前は、よくある名前で、通りの名前はもちろん、会社とか、ホテル等にも付けられています。