愛国心の誤解 | Logic of Silent Majority

愛国心の誤解

 まず、下のページに目を通して欲しい。新潟日報のコラムである。
 http://mail.niigata-nippo.com/20s/
 この記事を読んで、私はとてつもない衝撃を受けた。

 実を言うと、私は同様の出発点から”愛国心”というものについて論じようと思っていた。それは、”スポーツで自国を応援する”というような行為ならば、万人に違和感なく受け入れられ、そこから”愛国心というものは何も特別なものではなく、自然に沸き上がるもの”という結論に持って行けると思ったからである。

 だが、どうやらそうではないらしい。愛国心を憎む人にとっては、”スポーツで自国を応援する”ことすら、悪であるようだ。
 彼らは一体何を求めているのだろうか?”隣人を愛せよ”ということだろうか?結構なことだ。しかし、何故隣人を愛するために自分を憎まなければならないのだ。自分を愛せない人間に、どうして他人を愛することが出来ようか。

 そもそも彼らが憎むべきは”ナショナリズム”であって”愛国心”ではないはずだ。ナショナリズムの定義は人それぞれかもしれないが、私の解釈では、それは”自国を愛する心”ではなく、”自国以外を憎む心”だと考えている。両者には明確な差があるはずだ。そこを理解していないのか、あるいは意図的にミスリードを誘っているのだろうか・・・

 日本代表選手に日の丸を振って応援している観客は、相手国を憎むがためにそうしていると思っているのだろうか?彼はWBC日韓戦で、韓国選手のファインプレーに拍手で応えた日本人観客の姿を見ていなかったのだろうか?同様に、プレー中のイチローにブーイングを浴びせた韓国人観客の姿を見ていたのだろうか?彼の目には、一体どちらが正しい行為だと映っているのだろうか?私には理解出来ない。